1-8

 彼女は一人、静かに本を読んでいた。


 アマトが足を運んだのは図書室。凪沙を廊下に置いた彼は彼女の下へと歩む。


 窓辺の席に座り、そっとページを捲る仕草。窓から吹くそよ風に揺れる紺髪。活字に目を通し、本の世界に一人浸る彼女の姿は、自然と少年の注目を惹きつける。図書室という場所である手前、周りが彼女と同じ仕草を取ろうとしてもなお、彼女――氷上涼乃だけは特別。


 図書室という点を配慮し、アマトは潜めた声で涼乃に語りかけようとしたその時、


「キミが来ることは知っていたわ。私の『幸伏の指南書ハッピーメイカー』が教えてくれたから」

「……知っていた? ここに来た要件も?」

「それはせいぜい、紅林さん絡みということしかわからないけど」


 それだけ口にすると涼乃は、再び本の世界へと浸り始める。


「氷上さんに会わせたい人がいるんだ。なんでも、お嬢様を自称する同級生なんだけど」


 すると、涼乃はおもむろに本を閉じる。パタンと、単調な音がした。

 彼女は腰を上げて、


「わかったわ、キミに付いていきましょう」


       ◇


 プイッと目を背ける紅林凪沙を右手に、無言のまま歩む氷上涼乃を左手に従えたアマトは、目的の場所に到着すると扉をコンコン叩き、


「はーい、どうぞ」


 室内に彼女がいることを確認し、ガラリと扉を引いた。


「こんにちは、篠宮くん。申請は済ませた?」


 椅子に座り宣伝ポスターの作製に取り掛かっていたのは、スクールセーター姿の同級生、時永琴夜。女の子らしいイラストの上に色ペンを置き、普段どおりの柔らかな笑みでアマトを迎え入れるが、


「あっ、凪沙ちゃん、それに涼乃ちゃんもっ」


 アマトの両隣の少女らも、


「こっ、琴夜!? なんで琴夜がコイツと……?」

「びっくりした、まさか琴夜が篠宮くんと……」

「事情はちゃんと話すよ。さ、ともかく入って」


 琴夜は客人二人をパイプ椅子に座らせ、冷たい麦茶を提供し、


「ユートピア法廃止のためにね、この篠宮くんを引き込んで部活を始めたんだ」


 さも当たり前のように来客の前で『ユートピア法』と口にする琴夜に、


「おい、時永さん。結局この二人は何者なんだよ。やっぱり二人って……」

「あ、言ってなかったっけ? 凪沙ちゃん、涼乃ちゃん、二人とも私と同じお嬢様の一員だよ」


 アマトが奇怪な目で凪沙、涼乃を見れば、


「あたしはお嬢様七階級の第七位、『魔女』こと紅林凪沙よ。こう見えてもお嬢様歴二十年のベテランなんだから。ふふーん、その頭下げて尊敬しなさいこの平民っ」

 そして授けられたお嬢様に許される一時マジカルタイムは思考を加速させる『無限世界の可測者アクセルゲート』だとも、凪沙は言い足す。


「私はお嬢様七階級第五位、『騎士』の氷上涼乃。紅林さんほどではないけど、お嬢様歴十七年のベテランと言ったところかしら。ちなみに与えられた魔法は、少し先の未来を本に書き写すことのできる『幸伏の指南書ハッピーメイカー』よ」


 ついでと言わんばかりに、琴夜が二人に割り込み、


「ちなみに私はお嬢様七階級第一位、『神様』の時永琴夜です。お嬢様歴は七人の中でも一番浅い七年だよ」


 三人が平気で七年、十七年、二十年と口にするので、


「時間の概念どうなってんだ? そちらの一年はこっちの一か月とか?」

「お嬢様になると魔法を授けられることは教えたよね? 実はその魔法のせいで、肉体の成長が止まっちゃうんだ。ちなみに私の肉体年齢は十五歳だから、キミより一つ年上だね」


 また、凪沙と涼乃の肉体年齢は十六歳相当であることも琴夜は明かす。つまり彼女らは実質高校生であり、今は中学二年生に成りすまして中学校に通っているということ。


「三人ともババアじゃねぇか……。特に紅林さんなんて、三十代でその雰囲気は……」


 凪沙、涼乃は仲良く同時にムッと目を吊り上げ、


「琴夜が言ったでしょ、肉体カラダはまだ若いって。それに精神年齢だって、見てのとおり若いままだし」

「さすがにババアは心外なんだけど。お嬢様になって一度も言われたことなかったわ」


 琴夜は琴夜で「七年足しても二十代だからセーフ」と主張をしていたが。


「ま、本題に戻ろう。時永さん、この二人よくいがみ合ってるけど、お嬢様時代もこんな感じだったの?」

「お嬢様にも派閥があってね。『神様わたし』率いる神様派と、『死神』率いる死神派。凪沙ちゃんは私側で、涼乃ちゃんが死神側。派閥同士、交流がなかったわけじゃないけど、この二人に関しては……」


「だって氷上、あたしの格好バカにするんだもん。お嬢様は身なりを整えて、すべての少年少女の模範で~とかウッザイウッザイ。別にいいじゃん、こーゆう格好も個性があってさ。個性のない世界がツマンナイのなんてあの法律で証明されたの、見なかったの?」

「って、お嬢様時代もこんな格好だったのかよ……」

「なに、文句あんの?」


 お嬢様のことはそれほど存じない彼ではあるが、憧れのお嬢様がこんな雰囲気では……と、思わずそう考えたアマト。


「たしかにお嬢様時代、凪沙ちゃんにケチを付ける人はいたけど、私は凪沙ちゃんの言うとおり、個性があって素敵だと思うよ?」


 凪沙は喜びを頬に浮かべ、琴夜の腕に抱き着き、


「琴夜ってやっぱ神様! 一生付いていきます!」


 嬉しげに凪沙を見る琴夜へ、アマトはチラリとその瞳を一瞥、


「…………」


 やはりその色は、自身に対するそれとは隔たりを含んでいた。


 琴夜いわく死神派、蚊帳の外気味な涼乃は携帯している一冊の小説を開き、


「そもそも、どうしてそんな格好をするようになったの? 反感を買うような姿にしなくても、他に個性をアピールできる格好はない?」

「お、それを訊かれると答えないわけにはいかないよね。よーし、あたし憧れのギャルの神様を話してあげましょう」

「……、結構だわ」


 いかにも面倒そうに、迷いなく涼乃は断る。

 けれど凪沙は涼乃など全く無視し、ウキウキで口を開き、


「十年くらい前に高校生ファッション選手権って大会があったワケ。そんで当たり前なんだけど、予選をギリギリで通過した女子、本選までは全く話題にされなかったの。だけど彼女、本選では一番目立ってたんだ。なんでって? それは大胆にも、古典的すぎるギャルの格好をしてたから。で、あたしは思った」


 たとえ序列最下位でも、コンプレックス感じる前に目立っていけ、と。


「それからあたしは、あの彼女をお手本に個性じぶんを出していこう! と決意に至る隠れたエピソードがあったのです。はい、おしまいおしまい」

「じゃあその女子が水着姿だったら、今は水着で学校に来てたのか?」

「んなわけないでしょ! それ、個性以前にただのバカだから!」


 水着姿、その言葉から連想でもしたのか、アマトは凪沙の胸元を指して、


「それ、時間の国に忘れてきて……? ちょっとそこ、薄いけど?」

「ちょ、信じられないんですけど! お嬢様の胸をイジるヤツなんて初めて見たし!」


 バッと両腕で胸部を覆う彼女を擁護するように、琴夜は左右の人差し指でバッテンを作り、


「もう、人のカラダをイジるのはダメッ。それも女の子のむっ、胸を……」


 それでもアマトは、琴夜の胸元へチラッと視線を移し、


「時永さんも時間の国に忘れ物を……」


 琴夜も身を捻り、即座に胸を腕で覆い、


「コッ、コラ、気にしてるこ……イジるのはダメだって言ってるでしょ!」


 デリカシーのないアマトを睨む凪沙と琴夜であるが、残りのお嬢様、涼乃は勝ちを誇るように軽く唇を伸ばした。


「ったく、人様に比べて豊かなお胸の持ち主はいいよね」


 凪沙は小さく舌打ちを放ったのち、涼乃が開いている小説を取り上げ、


「そもそも氷上っていつもどんな小説読んでんの? 陰気好みの、いわゆる文学的で堅苦しい系? はーん、あんた意識高そうだし」


 中身をロクに見る様子もなく、パラパラとページを捲る凪沙。だが、


「……ちょっ、あ、ああ、あう……こここここれっ………………」


 なぜか、みるみるうちに紅潮する凪沙の顔。

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