1-6
この世には合わせ鏡のように二つの世界が存在し、アマトの住む世界から見た鏡の世界は、アマトの住む世界から46億年後という『1周』した世界らしい。そんな合わせ鏡の対面側の世界に君臨する一つの国家、通称「時間の国」はこの世界の日本という国家の真正面に位置し、人名規則や言語、食文化は日本と共有をしている。
(……――とは時永さん言ってたけど、本当にそんな世界が実在するのか?)
一人廊下を歩みながら、摩訶不思議な世界の存在に頭を捻るアマト。
「って、文学部と同じ部室なのか……」
放課後、琴夜からアマト宛に届いた一通のメール、文面は『元文学部の部室に来てください《*゜▽゜》ノ』。ご丁寧にも顔文字とセットで。
そうして指示に従いやって来た、放課後通い慣れた場所の前。まさかまたここに来ることになるとは、と神妙な気分で突っ立っていると、ガラリと扉が開き、
「いらっしゃい。よかった、ちゃんと来てくれたみたいだね」
教室の半分ほどの部屋から現れたのは、以前まで一緒に活動していた轟遊奈らではなく、鎖骨に掛かる程度のオレンジセミショート、パッチリと温和な瞳が特徴的な美少女、時永琴夜。
「そんで時永さん、今から何すんの?」
そのまま廊下に出た琴夜は、アマトを先導するように前へ進み、
「今からキミに、この学校の現状を教えてあげるよ。時永琴夜企画、題して『私立
「ツアー、ね。ま、いい運動くらいにはなるか」
琴夜は空気が冷えないタイミングで、率先してアマトに、
「篠宮くんに一つ質問。時間の国って本当に存在すると思う?」
「……質問の意図がよくわかんないんですけど?」
「たとえば昨日教えた時間の国や七人のお嬢様、全部あの絵本のとおりだよね?」
「うん、絵本どおりだったけど。……まさか、子どもの願いが奇跡を起こして絵本の世界から飛び出てきた、とでも? 時間の国が合わせ鏡の向こう側なんてのも、適当なことを言っただけってことかよ?」
琴夜は返答こそしないものの、ふふっとだけ笑う。
「想いとか、夢とか、ステキな響きだよね。幼いころにお願いした夢が今、こうして叶うなんて」
「幼いころに……お願いした夢……?」
アマトは偲ぶ、見知らぬ年上のお姉さんに絵本を読み聞かせてもらったあの時を。時間の国という景観豊かな街並み、特別な存在へと駆け上がった二人の少女と打ち解ける平民の少年。たしかに幼いころ、その少年に自分を重ね、いつか自分にも女の子がと願って――……。
「ハッ、あるワケないだろ。誰が病死したヤツに憧れるかッつーの」
バカにしたようなアホ面でアマトは笑った。
琴夜はピクッと肩を揺らし、
「まあ、全部嘘だけど。あの絵本もお嬢様の一人が一儲けのために描いたものだし」
彼女は若干の早口ですべてをバラした。表情こそ普段の些細な笑みを浮かべてはいるが。
アマトはひょっこりと琴夜を覗き、
「……意外と気が短い?」
「別に? せっかくロマンチックな思いをさせてあげようと思ったのに、それを台無しにしちゃう篠宮くんすごーいって思っただけだよ? 怒ってるわけじゃないから安心して」
「そっ、そう……」
いや、内心滅茶苦茶キレてるだろ……、とは流石にツッコめなかったが。
その後はピタリと口を閉じた琴夜に黙って付いていくアマト。やがて、三階から上に繋がる階段へと歩を進めてゆき、
「……屋上? 鍵、開いてるの?」
「普通は閉まってるらしいけど、開けられる人はいっぱいいるみたい」
頬の隅にどこか皮肉めいた笑みを見せて告げた琴夜は、ドアノブに手を伸ばし、
「ちょっぴり刺激が強いかもしれないから注意してね」
琴夜に続き外気を浴びたアマト、――琴夜の意味深なセリフの意図はすぐにわかった。
「……ってオイ、これ見ちゃいけない類のヤツじゃ……」
空気を伝うのはくぐもった声、耳を澄ませばそれは女子の甘い声。瞳に映るのは、対面で抱き合い熱く唇を重ねる男女のペア。
「ふふ、言ったでしょ? ……って、全然取り乱さないけど? そういうの、興味ある年ごろだよね?」
本来ならば思春期の男子中学生にとっては、ちょっぴりどころか刺激の強すぎる光景であろう。だけどアマトに関して言えば、
「なに天然の振りしてんだ? 誰がそうさせたんだよ……」
彼の露骨な苦い顔を目にした琴夜は、ペロッと可愛く舌を出す。
柔らかな茶髪を右手で軽く掻き上げたアマト、もう片方の手はポケットに突っ込み、
「見事な不純異性交遊、これはビックリ。まさかこの中学で見るとは。マンガやドラマの世界だけの話かと思ってたぜ」
「私から言わせてもらえば、これもある意味個性の暴走と言える現象かも。ま、あとで詳しく話すけど」
それにしても……、とアマトはしみじみ思う。奪われたものを本当に奪われたとは全くもって実感なかったのだが、こうして事態を目の当たりにしても無関心でいられるとは、と。
「って、俺はともかく、時永さんは赤面くらいしろよ。一応は女子中学生だろ?」
琴夜は表面的な笑みを浮かべはしつつも、アマトへちょこんと首を傾げ、
「赤面する? そんなのあるわけないじゃん。だって、あんなの石ころと一緒だし」
「……はい?」
抱き合う男女の挙動を目で追う琴夜。ただし、その瞳の色は酷く冷淡。人を見る目とはとてもじゃないが言い難い、見る者の背筋に冷ややかなものを感じさせるほどに。
(よく見るとこの人の笑顔……、――――冷たい)
おそらく、普段どおり接していればその違和には気づかないかもしれない。一歩踏み込んだ関係の人間にしか気づかない違和。
(とてつもなく上手い作り笑い……とでも言っていいのか?)
言い換えれば、冷然たる機械のような笑みとでも呼べるもの。
琴夜は関心のない、――否、存在の認識すら億劫だと言わんばかりの目の色で、
「私、知り合い以外の人間なんてみーんなその辺の石ころ程度にしか見えないんだよね。お嬢様になってから、いつの間にかこんな感じになっちゃった」
「……あっ、ああ…………」
ふと、アマトは思い起こす。絵本、『時間の国のお嬢様』のある一文。それは『神様』になるための条件を簡潔に示した、たった一行の文章。
『そう、――――心をこわしちゃうこと』
(……まさか)
とてもじゃないが、彼女の素振りは演技に見えない。発言だって、偽りには到底聞こえない。
「なあ、ひょっとして俺のことも――……」
しかし、琴夜が彼を一目見ると同時に、
「いや、なんでもない。それより次に行こうぜ」
「もう、質問を途中で切るのはやめてよねっ。すっごく気になるんだけど?」
微々たる短気な面を含ませつつ、橙髪の彼女は背を向き、校舎内部へと引き返した。
「…………」
アマトはしばらく琴夜の隣に並ぶことはせず、細めのシルエットを眺むように彼女の背後を付いていく。
そして心の中のみで、琴夜へ一言告げる。
もう、アンタに訊く必要はない、と。
自分を目にするあの瞳の色を見て、すでに質問することの意味は消えたのだから。
◇
「それにしても、この学校って案外治安よくないんだな。榊原センセイが最近死にそうになってる理由、わかった気がした」
男女の
部室へと戻ってきた琴夜とアマトの二人は、会議用の長机前にそれぞれ腰掛け、
「この中学は三つのコースから成り立ってるよね。一つは勉強に特化した私たちの『特進コース』、一つはスポーツに特化した『アスリートコース』、そしてそれ以外の『普通コース』」
「勉強とスポーツって分野で個性を発揮するヤツもいれば、そうじゃないヤツもいるってこと?」
「それが原因でコンプレックスを覚える人もいるらしいよ。生徒会調べだと、学校が荒れる一つの要素にもなってるとか」
ただしコース分けはあくまで一つの要素、と琴夜は前置きをし、
「自慢じゃないけど、ユートピア法を制定した時間の国では、子どもたちの非行が激減したんだよね。どうしてと言われたら、みんな同じ扱いだから目立とうとすることも争うこともなくなっちゃったからなんだと」
「ユートピア法サイコーって意見か、それ?」
「昨日も言ったけど、あの法律を論破するためにこの部を始めたの。つまり個性が引き起こす問題を解消して、個性のよさを前面に押し出すことがポイント」
「個性があれば争いは生まれるか……。個性の負の要素だな」
「さっき確認したような学校の秩序に反する行動を、私は『個性の暴走』って呼んでるの」
アマトは肘をつき、中性的な顔立ちには不安の影をよぎらせ、
「非行に走る連中に直接注意だなんて俺はできないぜ? そんなことしてたら、俺たちがあっという間に潰されるだろうし」
「安心して、さすがにそこまではしないつもり。あくまで個性の暴走を抑えることが目標なだけで、活動自体は簡単なことから始めるよ」
「ということは、お悩み相談的な部を?」
「そうだね。なんでも屋とまではいかないけど、人間関係やちょっとしたトラブルを解決していく、それが時嬢部のスタンスかも」
相談募集のための時嬢部用メールアドレスもすでに取得し、これからは部活動掲示板で宣伝をしていくらしい。
「それに言ってなかったけど、実はこの中学、協力のためにお嬢様全員が集まってるんだ。だからお嬢様の力も積極的に借りていこうね」
「マジか、お嬢様ってどんな人たちなんかな? 心強いといいけど」
最後に琴夜は、品定めするような目つきでアマトをしげしげと見て、
「さっきも言ったけど、私には人間なんてみーんな同じにしか見えないの。だから個性の把握のために篠宮くんの力、頼りにしていますっ」
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