1-3

 翌日。


「下校時刻まであと三十分か……。ま、今日中に済ませとくか」


 部室を出たのち、右手でヒラリと摘まむ用紙――部活動解散届に目を通しながら、アマトは職員室を目的に廊下を進んでゆく。


 二年の教室が並ぶ廊下に出たその時、


「……ん、メール?」


 バイブの振動音が、ズボンのポケット内で鈍く鳴る。

 アマトはスマートフォンを取り出し、


(差出人は……アドレス帳にない人から? ただの迷惑メール……って訳じゃあなさそうだ)


 差出人欄は見知らぬメールアドレスが、件名は無記述で、そして文面には『二年五組の教室で待ってます』という記述のみ。


(偶然か、このタイミング? 俺が教室に近いこと、わかってたのかよ)


 指定された場所との距離も近いこのタイミング、メールを無視するわけにもいかず、アマトは自身の属する二年五組の教室へと足を運ぶことにした。


「……あん?」


 放課後をしばらく過ぎた教室、本来ならば人っ子一人いない閑散とした風景。だがしかし少女がただ一人、夕日を背景に窓辺の机へと腰掛けていた。まるで、少年の帰りを待ち構えていたかのように。

 教室に差し込む光にも似た、鎖骨に掛かる程度の、濃いめの色をした橙の髪。女神と呼んでも差し支えないであろう、化粧なしでも十分に整ったその端正な顔立ち。


「こんにちは、篠宮天祷くん」


 クスッと口元を綻ばせ、入室した少年の名を彼女は告げる。

 橙髪の少女は腰を上げ、細身のシルエットを際立たせるように真っすぐ立つ。紺のニーソックスで覆われる、スラリと伸びる綺麗な脚。

 誰に対しても安心をもたらすような美しい穏やかな笑みを、彼女は柔らかな容貌に浮かべ、


「待ってたよ、キミが来るのを」

「ああ、そらサンキュー。もし俺が来なかったら、そろそろメールを打ち直してる頃合いか?」


 前に立つ女子の姿には見覚えがあった。所属クラスこそ違うものの、その美貌、誰とでも分け隔てなく接することのできる人付き合い。おまけに試験の成績は毎回トップレベルとの噂。


「ううん、キミが寄ることはわかってたよ。もちろん、その解散届を持参してくることもね」


 上目使いにパッチリと柔らかな目を向け、少女は人差し指を口元に宛がう。

 才色兼備を体現する彼女の名はたしか――――、


ときながことさん……だよな?」

「存じてくれて光栄です。私は二年の時永琴夜、はじめまして」

「それで時永さん、俺に用でも? わざわざメールで呼び出すくらいだし」


 琴夜はそっと目を瞑り、少々のじれったい間を置いて、


「きっと誰かが傷ついていたはずの、あの文学部を解散してくれたキミに用事があってね」


 表情こそほとんど変化させないものの、アマトはピクリと身じろぎする。


「部を解散してくれたなら、もう大丈夫だよね。校則にもあるけど、一人が所属できる部活は原則一つだし」

「部活……? てことは……、単なる勧誘? マジかよ、期待して損したぜ」


 不意なメール、放課後の教室に佇む一人の美少女というシチュエーション。何かが始まるのではないかと勝手に膨らませていた期待を萎ませ、アマトはガックリと肩を落とした。しかし、


「待って、まだ話してないことがいっぱいあるよ。肩を落とすのはそのあとで。いい?」

「ああ、まだハナシは聞いてないか。ま、どうせ断る気で――……」


 アマトは気の抜けた口調で発したが、琴夜はそれを遮るように、



「私は時間の国からやって来た七人のお嬢様の序列一位、――『神様』です」



「………………、はい?」


 ポカンと半開き状態の、アマトの口。

 時間の国、七人のお嬢様、神様……すべて聞き違いか?

 琴夜はうふふと笑って、


「安心して、順に教えてあげるから。まず時間の国っていうのは、こことは違う世界にある国の別称のことだよ。七人のお嬢様は、時間の国で選ばれた特別な女の子の集まりで――……」

「マテマテ、そういう問題じゃない! 『時間の国』ってあの絵本に出てくる世界の名前だろ? 『神様』は……序列一位に与えられる称号だろ? それは知ってるけど……」


「あっ、知ってた? 絵本を読んだのってずいぶん昔のことじゃない?」

「昨日、たまたま読み返したんだよ。って、そういうことじゃなくて……」


 頬を引きつらせるアマト、変わらず柔らかな笑みを浮かべ続ける琴夜。


「そうだね、信じられるはずがないってことはわかってる。いきなりこんなこと言われても困るだけだろうし」


 ニコニコと、優しい笑みを崩すことのない琴夜は唇を指でなぞり、


「なら、『神様』としての証を見せてあげる」


 そして。

 琴夜はたったの一度のみ、左手の指をパチンと弾いた。

 たったのそれだけで。


「……んな!?」


 少年の目に唐突に収まったのは、何よりも冷たくて単調な世界。

 別段、肌に感じる空気の温もりが変わったわけではない。けれども、彼の脳を根本的な部分から揺るがすには容易い、現実とはかけ離れた視覚的な刺激。


「この世界から色という概念を消してみちゃいました」


 夕焼けという、前方で佇む彼女の髪色にも似た光は色を失せ、周囲に配置された学習机、身に纏うベージュのブレザーには相応の淡い黒みが掛かるのみ。


「……夢、か? 催眠をかけたわけでもあるまいし……」


 琴夜を尻目に、窓ガラスへとおもむろに寄るアマト。だけれども三階から望む景色も室内と同様、単調な色彩モノクロで支配されていた。

 彼の脳裏に心ともなくよぎる、あの絵本のある一文、


「『神様』はなんでも願いを叶える力を持ってる……、まさか」

「七人のお嬢様には象徴の証として、それぞれお嬢様に許される一時マジカルタイムっていう魔法が与えられるんだ。『神様わたし』が受け取ったのは、世界の因果律を自在に操る『神のみぞ知る物語ロマンチックノベリスト』という魔法です」

「じゃあ、今のコレは……」

「そう、世界を構成する色は白と黒の二色だけ、って因果律を変えてみたの」


 琴夜が再び指を弾くと、教室内や窓から伺えるすべての様相が瞬時に色を取り戻した。


「信じてくれた、私の言ったこと?」


 アマトは返事こそしないものの、琴夜の言葉を否定することもしない。その代わり、彼は琴夜の顔を無言のまま見定め、


(さっきから微笑んではいるけど、……なんだ? 正体わかってから感じる……、この人の表情の……)


「どうしたの、私の顔をジロジロ見ちゃって?」

「いや、結構な美少女だから見入っちゃったんだよ。それ以外に大した理由はねーよ」

「ふふっ、褒めてくれてありがとう。でも、咄嗟の嘘は女の子を傷つけるだけだから言わないほうがいいよ?」


 美少女なのは嘘じゃない、とは心の中だけで呟いたが。


「話を戻すとして、俺を何かの部に勧誘したいらしいけど。それは時間の国とも関係があるのか? じゃなきゃ、俺に正体明かす意味はないだろうし」

「もちろん関係あるよ。そもそもの話、どうして私が今、この世界にいるのかとは疑問に思わない?」

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