第6話 兄弟の手



 かなり吹雪がひどくなってきた。

 ライトが照らしているのは、どこまでも白い暗闇。

「おいおい、なんてことだよ」

 頭の後ろから、うんざりしたような声が聞こえた。兄の声である。

「だから言わないこっちゃない。こんな車で、山を越えよう何て考えがいけないんだ」

「いつも電車で田舎に帰っていたんだろ。なんで今年に限って車なんだよ」

 そのとなりから兄に同調して文句を言っているのは弟である。ひとりでは何も言えないくせに兄の尻馬に乗って責めてくる。

「新しい車にみんなを乗せたかっただけなのよ。いいじゃないの、そんなに言わなくたって。お兄さんだって、車に乗る方がずっと楽だって言ってたじゃない」

 となりにいる姉は、さすがに僕の事を少しは理解してくれている。こういう時には決まって僕をかばってくれるのだ。

「そりゃそうだが、こんな山道を……」

「今さら文句言ってもしかたないでしょ」

「他に道がなかったのか」

 三人の兄弟のかしましさ。

「ちょっと黙って」

 いい加減いらいらして、僕は思わず大きな声をだした。

「こんな吹雪になるなんて思ってもいなかったんだよ。天気予報だってそんなこと言ってなかったんだ」

「山の天気なんてな、そんなもんなんだよ。お前は田舎の事をよく知らないから山道をなめている。俺はお前よりもずっと、田舎暮らしが長いからな、よくわかってるんだ。だいたい、なんでもっと早く、午前中に街を出なかったんだ」

「それは、姉さんの支度が手間取ったからだよ」

 弟がまた横から口をはさむ。

 なんで話をかき混ぜようとするんだか。もちろん、姉も黙ってはいない。

「何言ってるのよ。じゃあ、なに、私のせいでこんな吹雪になったとでも?」

 さすがの僕も嫌になってきた。

 車内のヒーターが暑すぎる。

 いつの間に故障したのか。温度の調整ができなくなっている。汗がだらだらと流れて、バンドルのうえにぽたぽたと落ちた。不安と焦燥に加えて、狭い車内でのこの兄弟の喧燥である。

 なによりも、冗談抜きで大変な事になってきているのだ。わいわい騒いでいるどころの話ではない。

 僕は腹が立ってきた。

「こんなとき皆でがたがたいわないでくれよ。とにかく黙って。運転に集中できないじゃないか」

 その声は、ひょっとしたら哀願するように聞こえたかもしれない。兄弟たちの声が、ぴたりと止まった。

 しばらくして、再び兄の声が小さく聞こえてきた。

「お前、ちゃんと病院へ行っているのか」

「病院って何の話?」と、弟。

「解離性同一障害とか言ってたな」

「しっ!」

 姉が諌めるように話を遮った。

 数ヶ月前から、僕が精神を患って病院に通っている事を上の兄弟は知っていた。ただのノイローゼだったが、彼らは必要以上に僕の事を心配しているようだ。

 突然田舎へ帰ろうと思い立ったのも実はそのことと無縁ではない。田舎の風景の中で数日間のんびりとすることがどんなに気休めになる事だろう。そんな主治医の提案に兄弟たちもそろって賛成してくれた。

 ところが、そんな僕たちを歓迎してくれているのは、のっけから思いもよらない悪天候だった。しかも風と雪つぶてはますます激しくなってきた。

 目の前には、とうに道らしい道など見えはしない。

 そのうちにワイパーが軋んで動かなくなってしまった。フロントガラスに雪がどんどん積もっていく。もう立ち往生するしかない。

 しばらくして、ハンドルが別の力に引っ張られて、車がずるずると滑り出した。

 肝を冷やす暇も無かった。

 制御できなくなった車はそのまま坂道を後ろ向きに下って行き、何かを踏み抜いたような音がして、斜めに傾いて止まった。

「見てくる」

 僕は上着を掴むと、あわてて吹雪の車外へ飛び出した。

 雪がつぶてのように頬を打ち、目を開けていられないぐらいにすさまじかった。

 止まっていると、降雪がどんどん上に積み重なっていって、何もかもあっという間に埋もれてしまう。

 車の下をかき分けてみると、後方の片輪が路側の溝に落ちているのである。これでは、車は前にも後ろにも動かない。じっとしていると、雪の下に埋もって行くばかりである。

「これは大変な事になった。このままでいくと、みんなここで死んでしまう」

 僕は動転した。

 車中に戻った僕に、兄弟たちが思い思いに状況を尋ねた。不安感が狭い空間に溢れた。

「やばいよ」

 僕の声はかなりうわずっていたに違いない。

「やばいってどういうことよ。車、動かないの」

「ここでじっとしていると、朝までに四人ともお釈迦だぞ」

「どうすんだ」

 僕はできるだけ気持を落ち着かせてから説明した。

「後輪が片方、溝に落ちている。このままじゃどうしようもない。三人で車の前に乗って体重をかけて後輪を浮かせるから、お前はここでエンジンを吹かすんだ」

 弟はうなずいた。

「よし、エンジンをかけろ」

 僕を含めた残りの三人が、外で車の前部にしがみついて叫んだが、音沙汰が無い。 

「どうした?」

「だめだ。エンジンがかからない」

 弟がドアを中から泣きそうな声を出した。

「馬鹿な替わってみろ」

 今度は僕が車内に入ってエンジンをかけてみる。

 エンジンはかかった。

 ところが、車輪は空回りするばかりである。

「どうなってるんだ。ちゃんと車を押さえてくれ」 

 ところが、何度やっても駄目だった。エンジンの悲鳴だけが暗闇の中に吸い込まれて行くだけだ。 

 じわじわと、死ぬことの恐怖が心の中に迫ってきた。

 とにかく…と僕は思った。

 このままではどうしようもない。もはや残った手段は兄弟四人が力を合わせて車を持ち上げる他ない。火事場の馬鹿力ともいうではないか。やればできるはずである。

 僕は再び吹雪の外へ飛び出した。

 車はすでに半分以上雪の中に没している。ぐずぐずはできなかった。

「兄貴」

「おう」

「それからみんな、四人で力を合わせるんだ。こっちへきて、パンパーを掴んでくれ。きっと車は持ちあがるはずだ」

 ところが、バンパーを掴む手が二本しかない。

「何をしているんだ。早く手を貸してくれ!せーの、でいこう」

 僕は叫び声を上げて、振り返った。

 どうして、みんなで力を合わそうとしないんだ。兄弟みんなで……。

 

 誰もいない?

 なんてことだ。

 いざという時には内側に隠れてしまう。まったく役たたずの奴ら。

 四人集まっても、結局、二本の手……。



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