第4話 小指の値段
安アパートの階段を一気に駆け上って部屋の前まで帰って来ると、中から灯りが漏れていた。一瞬いやな予感がした。
案の定、部屋の中でひとりの男が俺を待っている。小さいくせにやたら顔面の大きな中年男で、確か権田原といった。一度しか会ったことがなかったが、その奇妙な雰囲気は忘れられない。
男は畳の真ん中であぐらを組んでいたが、俺の顔を見るなり慌てて正座した。
「ど、どうしてここがわかったんだ」
それが俺の口から出た第一声だった。
「近くのパチンコ屋を回って聞き込みすれば、すぐにわかりますよ。いくら姿を隠していても毎日が退屈でしょうから……」
ちっ、と俺は舌打ちした。権田原はあくまで冷静である。俺はいらいらした。
「ちゃんと契約は守ってもらわなければ困ります。私はあなたの依頼に完全に応えているのですよ。請求書はその時お渡ししているはずですが……」
「ああ、だが、三十万円は高いだろう、三十万は……」
「いまさらそんなことをいってはいけません。あなたの大切な小指がなくなることを考えたら、三十万円などわずかの金額じゃないですか」
やくざという職業にあって、義理とメンツを汚すような失態をしでかしてしまったら、その「落とし前」の過酷さは、仁侠映画で世間にもよく知られているところだ。
しかし、極道世界の不始末を代行して詫びてくれるという男がいた。それが「詫び入れ人」と呼ばれるこの男、権田原だった。
もっともこの世界の詫び入れとは、多くは「小指を詰めること」である。権田原は、その程度の詫び入れなら、百パーセントの確率で完全な仕事をするといわれていた。
俺の依頼は、組からの足抜けだった。権田原が執拗に取り立ててくるのは、組に対する足抜け料とは別個の、いわゆる「小指料」とでもいうべきものである。
「いいですか、一本とはいえ小指をなくす痛みは大変なものです」
そういいながら、俺の目の前に突き出した権田原の右手の小指は根元からなくなっていた。白い包帯が痛々しい。
「まさか……」
「そのまさかですよ。あなたのかわりに私が指を切ったのです」
俺は絶句した。今度の組抜けはよほど大変な仕事だったのだろう。仕事のたびに「指を詰め」を代行していたのでは割に合わないに違いない。
「――わ、わかった。金は払う」
俺は、懐の中からなけなしの数万円を抜き出し、権田原の小指のない手に握らせた。
「今日のところはこれで帰ってくれ。一週間以内に残りは準備しておくから……」
権田原はうれしそうに笑った。
「わかりました。よろしくお願いしますよ」
いいながら立ち上がって、カバンを掴もうと前屈みになった権田原の姿は、不用意で隙だらけだった。
一瞬、俺の頭の中は錯乱した。
気づくと、部屋の隅に立てかけてあったゴルフクラブを掴んで、思いっきり権田原の後頭部にスイングしていたのである。
権田原は無言で膝から崩れるように倒れた。俺は、さらにその頭を何度も打ちすえた。頭蓋骨が半分ぐらいにひしゃげた頃、やっと我に帰った。
手から紙幣を取り戻そうとしたが、なんという執念だろうか、権田原の指は固く、どうやっても開かない。
俺は、台所から包丁を持ってくると、仕方なく指をぶつぶつと二・三本切り落とした。金を自分の懐に戻し、部屋の中を掃除して、夜を待った。
後は、死体と切り落とした指を山中に運んで、谷底へ投げ捨ててしまうだけである。
それから一週間がたったある日、いつものようにアパートの階段を駆け上って部屋の前まで帰って来ると、中から灯りが漏れているのが見える。
なんか、いやな予感がした。
しかし自分の部屋である。ともあれ中に飛び込んだ。
すると、権田原が慌てて正座をするところだった。
「お前死んだはずじゃあ……」
俺は絶叫した。背筋に言いようもなく冷たいものが流れた。
「今回の請求は、小指の他に、お姉さん指、中指、人差し指と、合計三本分追加という事になりますから、締めて百二十万円です。今日こそは耳を揃えて払ってもらいますよ」
権田原の差し出す請求書を受け取りながら、俺は不思議な事に気がついた。権田原の指が全部揃っているのである。
「ああ、実は私、生まれながらの特異体質でして、指を切っても何度でも生えてくるのです。小指など、これまで何度切り落とした事でしょうか、ぜんぜん覚えてもいません」
権田原はいたずらがばれた子供のようにバツが悪そうな笑顔になった。
「恥ずかしながら、私のような者にできる商売といえば、小指を売るぐらいのことしかありませんもので……」
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