第9話

 この私は船橋ふなはしさとるという男について、情報を集めて警戒するに足る存在であると考えた。

 幸いネット環境は整っている。

 たかだかインターネットでどれほどの情報が集まるか不安ではあるものの、まずは行動に移ること、その一歩が重要であることを、この私は知っている。


 この私は検索エンジン《G》にて、船橋理という名前を打ち込んで検索を実行した。

 奴の名前は漢字まで分かる。奴はこの私に名刺を渡しているのだ。それは敵に塩を送る行為に等しく、その軽率な行動は奴自身に凡夫ぼんぷとして相応の結末をもたらすだろう。


 この私はディスプレイに表示された検索結果を視線でなぞった。欲しいのは奴の個人情報や性質についての記述だ。

 そしてそれを最も効率よく提供してくれる存在がフェイスブックである。

 フェイスブックとはソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の一つであるが、このフェイスブックこそ世界に数億人のユーザーを抱える世界最大の個人情報拡散装置である。詳しい個人情報を得たいならば、ツイッターやインスタグラムよりもフェイスブックであろう。

 しかし、船橋理という登録名は存在していなかった。試しに平仮名やカタカナでも検索したが一致はしなかった。

 奴は完全な偽名やニックネームで登録しているか、もしくはそもそもフェイスブック自体を利用していないのかもしれない。


 この私は気を取り直して、《船橋理》と漢字で名前を入力して検索エンジン《G》の再検索にかけた。フェイスブックはあきらめるとして、他の情報ソースを探すのだ。

 まず出てきたのは船橋探偵事務所のホームページだった。事務所に奴の名前がかんしてあるとは、いいご身分だ。


 ホームページの中身を見てみるが、当然ながら、船橋個人の情報はほとんど載っていない。気持ちばかりの略歴と挨拶が掲載されているが、記憶するに値しないゴミ情報であった。


 この私は探偵事務所のホームページを脱して検索結果一覧のページへ戻った。

 どこぞの掲示板に船橋理の評判でも落ちていないかと考え、マウスのホイールを人差し指で弾くようにでる。

 そこで、この私はあるものを発見した。

 それは驚愕に値する発見であった。

 なんと、船橋理の名前がウィキペディアに載っていたのだ。

 ウィキペディアとは誰もが無料で編集に参加できる、インターネット百科事典である。インターネットで調べごとをする際には非常に世話になる便利なサイトであり、一般に周知の事物であれば、ここに載っていないことのほうが珍しいといえる。


 船橋理の名がウィキペディアに載っていたというのは、この私にとってかなり幸運なことである。

 しかし、一方で大きな不安も生まれる。

 船橋理という男は有名な人物なのだろうか。探偵が個人名でウィキペディアに掲載されているなど普通ではない。

 現に、探偵で検索してウィキペディアに載っている個人の人物は、小説や漫画の登場人物たちばかりだ。


 この私は《船橋理‐Wikipedia》という青文字をクリックし、百科事典の中に飛び込んだ。

 そこには船橋理について有益な情報が多数掲載されていた。

 面識のある人物の情報を細かに知れる感覚は不思議なもので、覗き穴から人の記憶を盗み見ている気分である。

 二十代前半だと思っていたが、実際には25歳であることや、福岡県で生を受けて高校も大学も福岡県内で通っていたことまで記述されている。

 年齢を考えると探偵暦は浅いのかと思いきや、探偵活動は高校のころからやっていたらしい。いわゆる高校生探偵というやつをやっていたわけだ。


 探偵がここまで個人情報をさらけ出して――あるいは曝け出されて――しまうのはいかがなものかと思いつつ、この私は船橋理を読み進める。

 奴の探偵手法の傾向についてまで書かれていた。




《身分を名乗る際に、いきなり「探偵です」と暴露ばくろするお調子者。気取った台詞せりふが多く、てらいたがる。鋭い洞察力どうさつりょくを見せる一方で、基本的な部分を見落とすお茶目ちゃめな一面を見せることもある》




 おやおや、公平なネット辞書でさえ揶揄やゆされているではないか。杞憂きゆうであった。船橋理という男、どうやら取るに足りない探偵のようだ。


 しかし――。



「なん……だ……と……」



 ある記述に目が留まり、この私は驚愕し、そしてそのまま凍りついた。


 一年間ほどではあるが、船橋理が高校生時代にかの名探偵・織田公平氏の助手をやっていたという記述を見つけたのだ。

 名前の部分に青い文字と下線でハイパーリンクが設定してあるが、わざわざそれを辿るまでもない。織田公平といえば、同業者でなくとも知らぬ者などおらぬ伝説的名探偵ではないか。

 現在は失踪中で生死も不明という話であるが、彼は生きながらにして《伝説》の称号を得た格別なる人間である。


 しかし問題は船橋理だ。

 これはのっぴきならぬ状況へと追い込まれたぞ。

 船橋理がいかほどの力量を備えているのかは不明だが、その彼にこの私の狡猾こうかつさを馬鹿正直に披露ひろう――要するに暴露――してしまっている。

 やり手かもしれない彼には爪を隠すべきであったことに疑いの余地はない。あのときのやり取りで化けの皮を剥がされたのは、この私のほうだったのかもしれぬ。


 しかし、いま一度考え直してみると、そう悲観することではないのかもしれぬ。

 助手と弟子とでは決定的に違う。

 助手というのはただの手伝いだ。弟子であるならば織田公平は船橋理の師匠ということになるが、助手であるならば織田公平は船橋理の雇用主にすぎない。天才型探偵の織田公平から探偵技術を盗むのもたやすくはなかろう。

 もちろん、こんな考察一つで警戒を弱めるほどこの私は軽率ではない。こんなときこそ冷静さが必要だ。


 この私は気を取り直して引き続き視線を走査そうささせた。

 だが、さっきまで凍りついていたこの私の魂は、次の記述に目を通して大炎上した。




《船橋理には「私があなたをあばきます」という決め台詞がある。これは基本的に殺人事件の容疑者 (犯人であると船橋理が確信した人物)に向けて発せられるが、腹の底に悪意を秘める人物であれば、それが遺族や被害者であってもその決め台詞の対象となる。その定型句によって戦線布告された人物は例外なく悪事や策謀さくぼうをつまびらかにされる》




 この私は船橋理に面と向かって堂々と戦線布告をされたわけだ。この私が殺人犯であると確信しているということを宣言されたということなのだ。


 こいつ……殺すべきか?


 相手は警察ではない。

 組織ではない。

 個人だ。

 船橋理、こいつさえ消せば……。


 もちろん、この私はそっちのプロではない。いくら経験があるとはいえ、素人が手を出すにはリスクが高すぎる。

 こういうことはプロに頼めばよいのだ。少々高くつくが、この私のかけがえのない崇高すうこうなる人生には替えられない。

 幸いなことに、この私には一件だけアテがある。

 なぜ彼が真っ当なこの私に接触してきたのか、彼がこの私の何を見込んだのか、それについては皆目かいもく見当もつかないが、この私は数年前にその悪魔に魅入みいられたのだ。


 船橋理を抹消まっしょうすることはたやすい。


 しかし、この私は納得しない。


 もしこの私が船橋理を殺して真実を闇の中へと押し込めてしまったとして、それが意味するところは、この私が法律という社会の強制力に打ち勝ったことになるのと同時に、船橋理という非凡ながら忌々いまいましい一個人に負けたということになるのではないか。

 船橋理はこの私の貴重なる人生を賭けてまで勝負するに足る相手なのか。


 くそう。いったい何者なのだ、船橋理。

 貴様、凡夫ではないのか?


 いいや、貴様は凡夫だろうが、船橋理! 

 貴様はあのとき「3・8」と回答したではないか。

 そんな奴にこの私が追い詰められるだと⁉

 なんたる屈辱くつじょく。絶対に認めぬ。


 船橋理、貴様は凡夫だ!


 この……凡夫がぁあああああああああああ!

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