第8話

「船橋よ、この私は気分がよい。凡夫ぼんぷの雑談というものに積極的に付き合ってやろうではないか。何か質問はあるかね? 銀の弾でなく鉛弾ならば何発撃ってもかまわんのだぞ。そうだ、この私から質問してやろう」


 この私は車を出した。再び国道に乗り、のんびりと車窓に景色を流した。


「へえ、あなたから質問ですか。何でしょう?」


 この私は一度のどを鳴らしてから質問を述べてやった。


「おまえはなぜこの私の知り合いをよそおって近づいたのかね? リスキーというか、無謀むぼうそのものではないか。保険の営業マンなんかに成りすますのが探偵の常套じょうとう手段だと思っていたが」


 船橋はフッと笑った。これはキザ野郎が負け惜しみを口にする前兆のようなものだ。


「それは私の悪いくせというか、病気みたいなものです。私という人間は、何かにつけててらいたがる性分しょうぶんなのです。でも、ただふざけているわけではありませんよ。あの手段を選択したことにだって、ちゃんと理由はあるんです」


「ほう。あれはかなりハイリスクだったと思うが、それに見合うハイリターンを想定していたというのかね?」


「はい。普通、昔の知り合いに声をかけられたのに、自分だけ相手のことを覚えていなければ、それはかなり失礼なことですよね? たいていの人は自分が相手を忘れていることを誤魔化ごまかそうとします。だから、私が知り合いを装って近づけば、相手は私を忘れていないように見せようと親しげに接してくれると思ったんです」


 なるほど。探偵活動の奇抜きばつさに関しては、彼は他者の追随ついずいを許さぬ領域の人間であろう。しかしそれは、成果と結びつかぬ限り探偵界の問題児でしかない。基礎も心得ておらぬ素人がいきなり創作料理を作るようなものであり、薬品の知識を持たぬ学生が理科実験で闇雲やみくもに調合するようなものである。こやつなら、絶対回答の質問をくだらないことに使って、この私を油断させておいてから、意表を突くような質問を繰り出すということもやりかねない。


「ふむ。それで、それは成功したことはあるのかね?」


「いいえ、いつでも逆効果でした。『誰だっけ?』とか『失礼ですが、どちら様でしたっけ?』とか、普通にいてくる人がほとんどでした。まれに成功したと思ったら、旧知についてヒントを探ろうと、私の言葉に対してとても鋭敏えいびんになってしまうんです。もっとも、『おまえなぞ知らぬ! 何をたくらんでいる!』と看破かんぱされ突き返されたのは、あなたが初めてでした」


「ふん。凡夫とは格が違うのだよ。わきまえたまえ」


「ははは。そうします」


 船橋の乾いた笑いを聞いて、彼の体裁ていさいの整え方が雑になってきたことをこの私は感じた。奴のチンケなプライドが傷ついたに相違ない。だがこの私は同情も反省も抱かぬ。ただ一つだけ贈る言葉があるとすれば、それは「ざまあみろ」の一言に尽きる。


日暮ひぐらしさん」


「ん、何だね?」


「居酒屋の店主から、あなたが馬氷まこおり鷹子たかこさんを介抱していたと聞いたのですが、間違いありませんか?」


 それにしても船橋、立ち直りの早い男だ。むちで打ちのめされたかと思いきや、カウボーイさながらに平然と鉛弾を撃ち返してくる。奴の気持ちがボタン一つでリセットされるプログラムであるかのように、一瞬でその表情が切り替わる。表情のバリエーションが豊かなくせに、そのコントロールがたくみだ。


「うむ、いかにも」


 まだあの豚女の殺害にはつながらない範囲の質問だ。この私は答えてやる。意固地いこじになってすべての質問を跳ねけたところで、それは不自然であり、あの女の殺害者だと認めているようなものだ。


「私はあなたたちが店を出たときからの足取りを知りたいのです。彼女はかなり酩酊めいていしていたようなので、一人で別荘に行けたはずがありません。どうやって行ったか知りませんか?」


 なんだ、こやつ、何もつかんでいないではないか。とんだ肩透かしだ。てっきり奴はこの私を殺人犯と疑ってここまで来たのだと思ったが、こやつ、下手をすれば自殺を鵜呑うのみにしているのではないか? だとしたら、こやつはいったい何を調べているのだ。遺族に女が自殺するまでの足取りを詳しく調べてほしいと頼まれたのか? 保険金でもからんでいるのか? だとしたら、遺族としては自殺であってほしくないのだ。自殺であれば保険金が下りてこないから。


「この私は普段の彼女を知らぬゆえ、彼女の様子からはそんなに酔っているのか分からなかった。だが、そんなに酔っていたのなら、自殺というのも怪しいのではないか? 事故という可能性はないのかね?」


「それはありません。遺書がありましたからね。自殺か事故か事件か、その判別は一目瞭然でした」


 ふっはっはっは! こやつは単なる自殺案件の調査に来ているのだ。杞憂きゆう。警戒するに及ばず。これまで気をんできたことは、なんとバカバカしい細事さいじであっただろう。


「船橋、答えは出ているようだな。それなのにいまさら何を調べているのだ? この私がおまえに力を貸してやろう。どんどん質問したまえよ」


「ええ、そうしましょう。私、犯人はあなただと思っているんですよ。あなたが殺したんですよね?」


「この私がか⁉」


 ……しまった!


 いまのはまずかった。あれは自殺だったはずなのだから、犯人という言葉が出てきたことにまず驚くべきだった。驚き方を間違えた。これはこの私が自殺ではなく殺人だと知っていたと白状したに等しい失態だ。現に船橋のやつはモルモットを観察する科学者の目で、この私をじっと見据みすえている。


「いまの質問は銀の弾ではなく単なる鉛弾です。日暮さん、次の質問で銀の弾を使わせていただきます。あなたは、なぜ、馬氷鷹子さんを殺したのですか?」


 くっ、こいつ!


 船橋が必答の質問として選んだのは、この私があの豚女を殺した前提での質問であった。必答の質問に黙秘もくひは許されない。この私が船橋との約束を反故ほごにして強引に黙秘したところで、奴の言葉を肯定していることにしかならない。


 もし必答質問が一つ前の質問であったならば、「この私はその女を殺してはいない」と嘘をつけばよい話だった。しかし奴が銀弾に選んだ質問はイエス・オア・ノーで答える質問ではない。いったいどう答えたものか。


「船橋よ。あれは自殺ではなかったのか? 報道では自殺と断定されていたぞ。現に遺書いしょまであったのだろう? 貴様自身が先ほどそう言っていたではないか」


「日暮さん。いま質問しているのは私のほうです。それも、絶対回答の重要な質問です。あなたは自分が質問する前に、まず私の質問に答えなければなりません」


 くそ、こやつ! まるでこの私が質問をはぐらかそうとして、それを船橋が見破ったとでも言わんばかりの強気な語調でまくしたててくる。この私はただ考えているだけだ。どう答えようか。おまえたちなら何と答える? おまえさんたちならどう答える? くそう、どう答える、この私⁉


 船橋がこの私に視線を注ぎこんでくる。風で飛ばないようピンで紙を突き刺して壁に張りつけるかのような鋭く頑なな視線を、奴がこの私に注ぎこんでくる。強者を気取りおって、船橋め、小癪こしゃくな!


 この私は考えた。考えあぐねたが、人一倍しわくちゃな脳に最速最大量で電気信号を走らせ、そうして得た回答をようやく口から出力できた。


「答えよう。その理由は存在しない。なぜならこの私はあの女を殺していないからだ」


 答えは出せたが、時間がかかりすぎたかもしれない。この私を見る船橋の瞳からは、その奥で何を感じ取っているかまでははかれない。航海士が波を読んでいるようにも見えるし、ただボーっとしているようにも見える。


 とにかくこの私は船橋のたった一発の銀弾をさばいた。さて、船橋よ、どうする?


「では日暮さん、もしもの話ですが、もしあなたが馬氷鷹子さんを殺したのだとしたら、その動機は何だと思います?」


 なんと図々ずうずうしい。往生際おうじょうぎわが悪い。銀弾は使ってしまったというのに、それと同列の質問を鉛弾で乱発してくる気か。ポーカーで自分だけ気の済むまでカードを交換するような、そんな卑怯で卑劣な行為がまかり通るわけがない。


「知るか! 船橋よ、その質問に絶対回答の権利を行使すべきだったな」


「ほうほう、日暮さん、まるであなたが犯人であるかのような返答ですね」


 こやつ、開き直ったような舐めた口を利きやがる。これだから凡夫は愚劣ぐれつだというのだ。


「黙れ、小僧! 船橋よ、この私はおまえに対する要求を決めたぞ。二度とこの私の前に現れるな。そして二度とこの私について詮索せんさくをするな」


「要求は一つです。それでは二つになってしまいます。どちらにしますか?」


 この私が声を荒げると、船橋はこの私に温度差を感じさる意図があるかのように、冷静な口調でそう答えた。これではまるでこの私のほうが凡夫のようではないか。この私は心を静謐せいひつな世界に押し沈め、強い意志で自らの怒りを鎮静化ちんせいかした。この私は船橋を冷酷に排除してやらねばならぬ。


「では後者だ」


「本当にそれでいいんですか?」


 強者の台詞を吐きおって。船橋め、こやつは立場と状況がまったく分かっておらん。


「かまわぬ。これはおまえが言いだした賭けで取り決めたことなのだから、ちゃんと守りたまえよ」


「では、あなたの要求は、私が二度とあなたの詮索をしないこと、に決定しました。ですが、残念ながら――」


「他の者をよこす気なのかね?」


 それならば、取り決めの範囲から外れはしない。抜け道としては上々だ。船橋が気に食わんこの私は、それくらいなら譲歩じょうほしてやる。


「いいえ。私はこう言いました。『あなたが私に要求を出し、その要求が人道にそむくものでない限り私はその要求をむ』とね。つまり、あなたから要求が出された後に、私がその要求が人道に背くものかどうかを判断し、非人道的でなければ要求を呑む、ということです。で、あなたは『私が二度とあなたの詮索をしないこと』という要求を出しましたので、その要求はもう変更できません。そして、その要求の人道性についての判断ですが、私はその要求が非人道的であると判断しました。なので残念ながら――」


 こやつ!


「おい、待て待て待て! なんだ、それ! ひどい屁理屈へりくつだ。この私はおまえに死ねと言っているわけではないのだぞ。この私の詮索をするなという要求のどこが非人道的だというのだ」


「あなたは殺人犯です。少なくともその容疑者です。あなたを詮索しないということは、殺人の罪を看過かんかすることと同義であり、それは被害者の立場からすれば、極めて非人道的なことです」


「証拠の提示もないのに殺人者扱いされることこそ非人道的だと思うが」


「あなたの立場からの非人道性は関係のない話です。だってこれは、あなたの要求が人道性を欠いているなら私があなたの要求を呑まなくてもよい、という話なのですから。それにあなた、本当に証拠の一つもないと思っていらっしゃるんですか?」


「おまえはまだ根拠の提示もしていないではないか。ならば証拠なんぞなおさら出てくるはずがないのだ」


「証拠は持ってきてはいません。でも、私は掴んでいますよ」


 奴は人差し指でコメカミをかいた。それをこの私はしかと見た。見逃すものか。


「ハッタリだな。本当にそうなら、わざわざこの私から聴取ちょうしゅする必要もないだろう。帰りたまえ。悪いがここで降りてもらう。ん、間違えた。悪いとは微塵みじんも思っていない。いずれにしろここで降りろ」


 この私は路肩に停車して、改めてあごで「降りろ」のサインを出した。


「では、今日のところはこれで失礼します」


「さっさと降りろ!」


 のっそり降りる船橋の背中を、この私は左足で蹴り飛ばした。高貴なるこの私の、高価なローファーで蹴ってやった。船橋はつんのめったが、こけはしなかった。この私は身を乗り出して助手席のドアを閉め、すぐに発進した。バックミラー越しに確認した船橋の様子は、背中に足跡がついていないかを気にしている様子だった。


 背中にはバッチリ蹴られた跡が残っている。ざまあみろ、凡夫が!

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