第2話 バレンタインの敵意

藤塚光莉はLa Maisonのスーシェフになってからすでに2年が経った。


元々料理を作るのが好きで、それと自分自身の事情もあり、東京での仕事は5年前に辞めてから、この町で第2の人生を始めようとした。しかし、まさか篠原颯斗とここで再会したとは…


颯斗は目の前にいる光莉の姿を見て、驚きと喜びで彼女に微笑んでいた。しかし、光莉は彼と同じ気持ちじゃなかった。彼女は最初のショックから、すぐにお客様向けの笑顔に切り替えた。それでも、その表情は明らかに内心の不機嫌さを隠しきれなかった。しばらく沈黙した二人は、気まずい空気に包まれていた。


光莉はデザートをテーブルの上に置いた。


「お客様、こちらはデザートのタルトタタンです。先ほど、スタッフから聞きましたが、弊店の料理長に会いたいとおっしゃっていましたけど、あいにく料理長は今不在です。何かございましたら、私に言ってください」


こういう業務的なトーンで話をしている光莉を見て、颯斗は一瞬どう反応すべきか分からなかった。ようやく答えようとしたが、彼はどもりながらこう言った。


「ああ…あの…今日の料理はとても美味しかったので…それでシェフさんにお伝えしたくて…」

「ありがとうございます。必ず料理長にそう伝えますので、ごゆっくりどうぞ。ではこれで失礼いたします」


その場から離れようとした光莉を阻止しようと思って、颯斗はとっさに彼女の手首を掴まった。光莉はすぐ物凄い勢いで彼の手を振った。


「ああ、ごめん…」

「何をするんですか?!」

「いや、引き留めたかったから、ごめん。ちょっと話をしてくれる?」

「今は勤務中なので、プライベートの話はしたくありません」

「もうすぐランチ時間が終わるだろう?じゃ、後で話せるか?」

「話すことはないと思います」

「仕事が終わるまで待ってるから、いろいろ話したくてさあ」


そんな颯斗を見て、光莉は諦めたようにこう答えた。


「30分後、大通りにあるカフェで会おう」

「分かった。そこで待ってる」


そう言った光莉は足早に厨房へ戻って、誰も見えない角にしゃがんだ。彼女の手は震えていて、冷や汗まで出ていた。


心の準備はなくて、いきなり一番会いたくなかった颯斗と再会していたことは、光莉を激しく動揺させた。自分の勤務先がバレた以上、もう颯斗から逃げられないと分かった。どうせ避けられないなら、今は彼と向き合うことしかできない。



La Maisonから出た後、颯斗は待ち合わせのカフェで光莉を待っていた。実際のところ、今すぐ東京のオフィスに帰らなければいけないけど、それどころじゃなくなった。


正直、颯斗もこの予期せぬ再会でとても動揺していた。5年間ずっと悩まされていた疑問の答えをどうしても聞きたくて、光莉と直接会話するチャンスを逃したくなかった。しかし、光莉の態度はとても冷たく、この再会を望んでいないことは明白だった。


約束通り、光莉はカフェに現れた。


先ほどのシェフの制服姿ではなく、彼女は黒のシャツとブルージーンズに着替えて、その上にグレーのコートを着ていた。5年前までの光莉は腰までの長い黒髪をしていたが、今は肩までの長さになって、さっきレストランで会った時のポニーテールではなく、髪をそのまま下した。


外見の変化はそこだけじゃなかった。昔の光莉はぽっちゃり女子で、170センチの身長は一般女子より高く、体重は80キロ超えていた。今の彼女はあの時と比べて少なくとも10キロ以上痩せたみたいで、記憶にあったイメージとはかなり変わっていた。


一方の颯斗も5年前とはかなり違っていた。昔の彼はいつも地味なスーツを着て、黒か紺色のスーツと白シャツのコンビネーションばかりをしていた。今の彼は、オシャレに目覚めたように、いろんな色の服を着るようになって、すごくスタイリッシュな髪型をして、昔の分厚い黒縁の眼鏡からコンタクトに変えた。


光莉は颯斗の目の前にある席に座り、店員さんが彼女の紅茶を運んでくるまで、二人は何も喋らなかった。


「光莉、久しぶり。元気?」

「おかげさまで、まだ生きてます」

「結構痩せたね、何かあった?体でも悪いか?」

「ダイエットした。どう、昔よりキレイになったでしょう?」


この質問は皮肉なトーンで言われたから、颯斗はどう答えすべきか躊躇した。


「まあ、健康であればそれでいいよ」

「素直になれば?だって、男はみんなスタイルのいい女が好きでしょう?痩せれば痩せるほどいいじゃない?デブに興味ないでしょう?」


なぜ光莉はこの話題にこういう攻撃的な姿勢になったのか、颯斗は見当がつかなかった。気まずい空気にならないように、彼は違う話題に変えた方がいいと思った。


「それより、どうしてここで働いているの?いつからここに?」

「数年前からオーナーに雇てもらった」

「東京から離れてからずっとここに?」


しかし、光莉はこの問題に答えようとしなかった。彼女は溜息をついて、颯斗を睨んだ。


「そろそろ本題に入ろうかな?何かを聞きたいなら、今すぐ言えばいい。お世辞はもういらないでしょう?」


さすがに今になって、颯斗は光莉の自分へ向ける敵意を見て見ぬふりすることができなかった。


「久しぶりの再会だから、どうしてそんな態度なの?俺はあなたに何かした?」

「見覚えがないならそれでいい」

「だから、不満があればそのまま言えば?」

「言っても意味がないから」

「じゃ、俺から質問する。何で5年前急にいなくなったの?」

「あんたに関係ない」

「関係あるよ!だって…お前と待ち合わせしたのに、連絡なしですっぽかされて、俺はそこでずっとあなたのことを待っていたんだ!」

「どうでもいいでしょう、あんな昔のこと。理由なんか忘れた」

「あれほど言っただろう、大事な話があるって、絶対来て欲しいって」

「私に何か大事な話があるわけないでしょう?」

「俺はすごく心配していた!あなたは事故に遭ったかな、体調が悪いのかなとか。翌日になっても、お前からの連絡は一切なかった」

「その件でまだ根に持っているなら、ここで謝る。ごめんなさい。それでいいでしょう?」

「あなたの謝罪を求めているんじゃない。どうしてあの夜来なかった?」

「その理由はどうでもいい」

「俺にとって大事だから!」


大声を出した颯斗は周りの客とスタッフの視線を一斉に彼に向けた。光莉は自分と関係ないみたいに、目の前の紅茶を啜った。


「光莉、俺はいったい何をした?だからあなたはこういう態度で…」


光莉は自分のティーカップをテーブルに置いて、顔をあげて颯斗の目をまっすぐ見つめていた。


「どうしても知りたいなら、教えてあげる。でも、あなたはきっと後悔するから、聞かなきゃ良かったと思うはず。それでも知りたい?」

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