ミッシング・バレンタイン

CHIAKI

第1話 バレンタインイブの再会

篠原しのはら颯斗はやとは周りの甘い雰囲気に吞まれそうな気がした。


ハート型のチョコレート。

真っ赤なバラの束。

レストランが提供するカップル向けのディナーセット。

ホテルなどの宿泊施設のカップル向けの宿泊プラン。

雑誌やテレビが延々と続くバレンタイン特集。

どこに行けばいい。何をすればいいのか。何を食べればいい。何を相手にあげればいいのか。


言うまでもないが、今はバレンタインシーズンだ。独身である颯斗にとっては、バレンタインはいつもの日と変わらないはずだが、仕事上ではそうは行かなかった。


なぜなら、彼はある飲食店グループの企画部課長だから。


颯斗が勤めている会社は、いろんな形態の飲食店を展開しているので、バレンタインみたいな大きなイベントがある度に、どんな店でもそれに合わせたプロモーションや期間限定の商品を企画しなければなりません。会社には3つの企画チームがいて、一年中の各イベントの担当チームは新年度が始まる前に決定しています。


そして、颯斗が率いる第2チームは今年のバレンタイン企画を担当することになった。


「よりによって、バレンタインかよ」


企画分担が決められた日、これは颯斗の内心の叫びだった。


彼は元々バレンタイン・デーというイベントが嫌いじゃないけど、5年前のある出来事で、この日が来る度にその嫌な思い出がよみがえってくる。そして、いつも仕事のためにバレンタインのことを考えていたから、どうしてもロマンティックな視点でこの日を見ることができなかった。


でも、颯斗にとって一番肝心なのは、


自分にチョコレートをあげる人がいない。

自分からバラを送る相手がいない。

バレンタインディナーを一緒に食べる人がいない。

ホテルのカップル宿泊プランを一緒に利用する人がいない。


つまり、恋人バレンタインがいないから、バレンタイン・デーは颯斗にとって無意味だった。


こんな憂鬱な気持ちを抱えながら、バレンタインの前日を迎えた。


この一週間、颯斗のチームは順次に首都圏の店を回り、バレンタインのプロモーションの最終チェックをすることでバタバタしていた。そして、バレンタイン・イブという今日、颯斗は神奈川県茅ケ崎市の店舗にやって来た。このエリアの担当は自分の部下だったけど、彼の妻は昨夜緊急入院で出産したから、これから数日間仕事を休むことになった。それで、颯斗は彼の代わりに残りの店のチェックをした。


最後の店のチェックを済ませたからすでに午後2時が過ぎた。こんな時間になったら、さすがにお腹が空いた。颯斗はこの住宅エリアにあまり詳しくないので、ぶらぶらしながらランチを済ませるところを探しに行った。


颯斗はある裏通りの入り口に着いた時、何かいい匂いが漂っているのに気付いた。その匂いに誘われているように、彼は裏通りへ入り、ある店を見つけた。


Laラー Maisonメゾン


こんなところにフランス料理を提供するレストランがあるなんて、なんか面白そうだ。颯斗は店前にディスプレイされたメニューを見ていると、一人の女性店員がその時店から出てきた。


「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」

「ええ、今から大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、どうぞお入りください」

「ありがとうございます」


案内された席は奥にあり、颯斗はこの位置から店の内部を見渡せることができた。外から見る時はそんなに大きくないと思っていたが、実際はかなり広い。ダイニングスペースは店の右側になっていて、左側にはベーカリーショップが設置されていたので、焼きたてのパンのいい匂いが店内に漂っていた。


颯斗は女性店員の勧めでコック・オー・ヴァンのランチセットをオーダーした。先に出されたオニオンスープは、濃厚な味と自家製のバゲットが絶妙なコンビになっていた。


しかし、彼はこのスープを飲み始めた瞬間、何となくこの味が懐かしいと思った。昔、こんな味のスープを飲んだ記憶があったなあ、颯斗は最初自分の気のせいかなと考えていた。メインであるコック・オー・ヴァンが運ばれた後、颯斗はこれを食べた瞬間、味は記憶に残ったものと同じだと確信した。


自分の勘を確かめたくて、颯斗は女性店員に声をかけた。


「あの…」

「どうなさいましたか?」

「この料理ですけど、作ってくださったシェフと会えますか?」

「お口に合わないでしょうか?」

「そうではなくて、とてもおいしいと思って、シェフさんに会って直接伝えたいと思って」

「そうですか、まだデザートがありますので、それをシェフさんに運んでもらいますから、少々お待ちください」

「ありがとうございます」


チェフさんが来るまでの間、颯斗の内心のドキドキが止まらなかった。この二つの料理はどのフランス料理店にもあるような定番メニューだけど、ここの味はあまりにも記憶にあったものと一致しすぎたので、颯斗は期待と不安が混ざったように複雑な思いをした。

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