第16話 私と魔王様と悪魔の契約

 

 巴君に半ば強引に言われ――

 私は八重瀬さん、つまり晶龍ジェンロンが待っているという、病院の屋上までやってきた。

 普段は締め切られ、患者は立入禁止になっているはずの、病院の屋上。

 しかし、そこへ通じるドアを恐る恐る開いてみると、何故かあっけなくドアは開いてしまった。

 ついでに言うと、屋上に来るまでも、看護師さんなどの病院スタッフからは一切咎められなかった。というか、誰にも会わなかった。

 まさかこれも、魔王様の魔王様たる力なのか。

 少々背筋に寒気を感じながら、思いきって屋上へ足を踏み入れると。



 夕闇迫る屋上には、誰の姿もなかった。

 だだっ広いその空間の隅には物干し竿が何本も据え付けられ、干したばかりの白いタオルが数枚、風に吹かれている。

 しかしその洗濯物のすぐ上――

 貯水槽のあたりにただならぬ気配を感じて、私は思わずそちらを見上げてしまっていた。



 普通ならそんな場所に誰も登らないはずの、貯水槽のてっぺんに――

 何故か人影が見えた。

 パステルブルーの病院着に身を包んだその細身は、長い影を屋上のコンクリートに落としている。

 背中をこちらに向けたまま、貯水槽の端に腰を降ろし、両脚を子供みたいにぶらぶらさせていた。

 細めの肩だけどしっかり筋肉のついた身体つきは、間違いなく八重瀬さんのものだ。

 風に靡くその髪は、ちゃんと黒に戻っている。



 しかし――纏っている雰囲気が、まるで違う。

 私の勘が、安易に近づいてはならないと激しく警告してくる。

 綺麗な曲線を描く首筋のシルエットからさえ漂ってくる、こちらを押しつぶしてくるかのような風格。

 これこそ王者の威厳というものだろうか。



 やがて――

 彼は夕陽を背に、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その瞳は、ほぼ全てが血に染まったかのように真っ赤。

 だけど瞳孔の周囲に何故かほんのりと、緑色の炎が煌めいているようにも思える。

 八重瀬さんのトレードマークと言える眼鏡も包帯も今はなく、黒い前髪からはキラキラ光る魔獣の核が見え隠れしていた。

 口元から白い歯を見せつつ、彼は言い放った。

 牙にも見える尖った犬歯。



「ようやく来たな。

 円城寺にいいようにあしらわれ、魔獣殲滅の為にまんまと引きずり出された娘――

 豊名あかね」



 いきなり何を言い出すのだろう、この人は。

 私は思わずぎゅっと右拳を胸元で握りしめながら、尋ねる。


「貴方は八重瀬さんじゃない……晶龍ね。

 私と話したいことって、一体何?」


 そんな私の前に、いきなり彼は音もなくふわりと舞い降りて来た。

 貯水槽の高さ、3メートルはあるはずなのに、いとも簡単に。

 そしてずいっと私ににじり寄ると、にやにや笑いながら興味深げに顔を覗き込んでくる。

 何よ、失礼な。


「まずは礼を言うぞ。

 お主の血のおかげで、わしは眠りから解放された。

 おかげで真言まことの身体もこの通り、無事じゃ」


 無事なわけあるかとツッコミたくなったが、確かに彼の身体には傷の一つも見えない。

 身体を切断されてもおかしくない裂傷だったはずなのに、今は完全に治った綺麗な素肌と形の良い鎖骨が、病院着の胸元からちょっとはだけている。

 私をからかうように、下から悪戯っぽく見上げてくる晶龍。

 仕草はちょっと子供っぽいが、口調が完全にジジイのそれだ。

 八重瀬さんの声帯を使って発声しているものの、声自体は八重瀬さんよりかなり低い。


「貴方は八重瀬さんの、何なの? 

 彼をどうするつもりなのよ?」

「あの小僧から聞かなかったか?

 儂は3年前より、真言と肉体を共にする者じゃ。

 真言は死んではおらぬ。激戦で疲れ、この身体で眠っておるだけだから、安心せい」


 彼は死んだわけじゃない――

 それを確認して、思わずほっとした。

 やっぱり目覚めてから一番の心配は、八重瀬さんがどうなったかだったから。


 そんな私をじっと見つめる、ルビーの瞳。

 彼の目は決して、笑ってはいなかった。

 夕陽を反射して、瞳孔の周囲の緑が紅の中で、さらに不思議な色彩を形成している。



「それよりも――

 お主、自分が何者か、考えたことはないのか?

 何故、自分の血で儂が目覚めたのか。

 そもそも何故、地域守備局に入ってから、自分の周囲に魔獣が出現し始めたのか」



 唐突に突き出された、その疑問。

 それはずっと、私の中で燻っていた問いでもあった。

 それまで魔獣とは出くわしたこともなかったのに、初日にいきなり魔獣に襲われたのも。

 何故か私が入ってから、守備局周辺で魔獣が出るようになったのも――

 あれは全部、偶然だと思うようにしていたけれど。



 考え込んでしまった私に、晶龍はいかにも人を小馬鹿にするかのような嘲笑を見せた。

 やめろ、八重瀬さんの顔を使ってその表情をするな。八重瀬さんは絶対そんな顔しないのに。


「ま……

 お主のようなアホ面では、考えろという方が無理というものじゃろうなぁ」

「なっ……!?

 い、言うに事欠いて、あ、アホ面!?

 貴方、魔王様か何か知らないけど、言っていいことと悪いことがあるでしょう?

 どうせ私は無能だし、だから正社員経験もなくて派遣OLやってますけど、それでも!」


 思わずくってかかった私。

 しかしそんな私を、晶龍はおもむろに片手で制した。静かにしろと言わんばかりに。

 その表情はもう真顔に戻っている。



「豊名あかね。

 お主の血には、魔獣を引き寄せる特性がある。

 儂が目覚めたのも、周囲に魔獣が出始めたのも、血の影響だ」



 一言一句はっきりと、そう告げる晶龍。

 夕陽が血のように赤く、私の頬を照らし出す。

 私の身体が特殊? 何言ってるの?

 そんなわけない。だって私は――



「待って。ちょっと待ってよ。

 地域守備局に来るまで、私、魔獣とは一度も……」

「真言らのような神器を操る者たちが、特殊な血を持つのは知っておろう。

 お主の血は真言らの血と接することで、初めてその特性が顕著になる。

 神器を操る者たちも貴重な人材だが、お主はそれ以上に稀な存在よ」


 思わず膝から崩れ落ちそうになる。

 ということは――


「つまり……その……

 私が八重瀬さんたちの近くにいるだけで、魔獣を呼び寄せていたってこと?」


 声が震える。

 お前は普通の人間じゃなかった。そう言われることが、これほどまでにショックだったなんて。

 そしてまさか、そのことを課長は……?


「円城寺は最初からそれを知っていた。

 知った上で、魔獣殲滅の為に、お主と奴隷契約を結んだのじゃ」

「え? 奴隷契約?」

「違うのか?

 お主は奴隷商人の手で、地域守備局に売り飛ばされた身と聞いたが」

「派遣と奴隷は違います!!」


 真顔で言ってのける晶龍に、思わず反論する私。

 いや、派遣の形態を考えればあながち間違っているとも言い切れないんだけど。

 というかあの課長……ノホホンとしたチョビ髭の下で、そんなこと考えてやがったとは!!


「お主を利用して魔獣を呼び寄せれば、わざわざこちらから魔獣退治に出向く手間はなくなる。

 地の利を生かして戦うことも可能になるゆえ、なかなか効率的な考えよ。

 その他にも色々、利用価値はあろうな」


 皮肉っぽく言ってのける晶龍。


「あ、あの、このことは巴君たちは……?」

「恐らくあの円城寺タヌキとその上しか知らぬことよ。

 真言も、儂が気づくまでは何も知らず、それでもお主を守って戦っていた」


 なんたるこっちゃ。

 もう、居てもたってもいられない。

 今すぐにでも辞めてやろうか。でも――


 そんな私の心中を見透かしたかのように、晶龍は笑う。


「恐らく守備局は決して、お主を手放しはせんだろうな。

 お主がいくら辞めたいと言っても、決して契約を切りはすまい。

 どれほどの無能であろうと、そこにいるだけで役立つ人材など、そうそういるものではない。

 よくよく考えれば、お互いにとって悪い話ではあるまい?」


 んなわけあるか。

 バケモノ召喚の為の人柱みたいなものじゃないか。

 そう言いたかったが、ふと晶龍は皮肉っぽい表情を消し――

 今度はほんの少しだけ、寂しそうに微笑んだ。


「それに……

 真言も、お主に辞めてもらいたくはない。

 そう思っておる」



 え。

 や、八重瀬さんが?

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