第15話 魔王と眼鏡君と私の秘密
目を覚ました時、そこは病院だった。
見慣れない白い天井と、着慣れない桜色の病院着に、一瞬戸惑っていると――
すぐ左隣から響いてきたのは、
「おう。やっと起きたか?」
いつの間にやら、ベッドに寝かされている私。
視線を動かしてみると、スカイブルーのワイシャツとゆるゆるのネクタイ、ちょっと跳ねた蜂蜜色の髪が見えた。
ベッド脇の丸椅子に腰かけ、巴君はじっと私を見守っている。
見たところ、目立った裂傷はない。絆創膏の一つも貼られてない。
おかしいな……巴君、あれだけ大怪我を――
――というか。ちょっと待って。
私、胸を刺されたんだよね? 中島さんに?
あの後、どうなったの?
私も巴君もこうしているってことは、みんな助かったの?
八重瀬さんは――そう、八重瀬さんは!?
「あ、あの、巴君……」
私が思わず声を上げると、巴君はそっと手をあげながらそれを制した。
「色々あって混乱してるだろうけど、とりあえず……
俺たち、全員無事だから。
それだけは確かだから、安心しなよ」
ぶっきらぼうに呟く巴君。
皆が無事なのは分かった。ということは、宣さんも……
八重瀬さんも無事、だったのかな? ちょっとほっとした。
でも――
「あの。中島さんは……
彼は、どうなったの?」
「あいつも、何とか人に戻ったよ。
でもまだ目を覚まさなくて、ずっと治療中だ。
課長がじきじきにあいつの家を訪ねて、奥さんや子供の面倒見られるよう人員を手配中だけど……
色々難航してるらしい」
そうか。中島さん、何とか元に戻ったんだ。
そしてようやく、課長も動いてくれた。
未だに中島さんやその家庭の状況があまりよろしくないことは、巴君の口調から分かるけど。
「でも――一体どうやって?
私が刺された時は、八重瀬さんもみんなも……」
「覚えてない?
あんたの血を浴びて、八重瀬の姿が変わったの」
そう言われて、思い出す。
激痛で気を失う直前、八重瀬さんの瞳の色が、紅に変わった。
そしてその髪も、一気に銀色になって――
意識は朦朧としていたけど、それでも分かったんだ。
八重瀬さんが、人ならざる何かに変わってしまったことを。
いかにも面倒そうにスマホを弄りだす巴君。
でも、何となく分かる。面倒そうなふりをして、心配してくれているのが。
そんな彼がおもむろに話し出したのは――
とんでもない事実だった。
「あいつは、『
3年前に八重瀬の身体を乗っ取った、魔獣だ」
何を言われたのか理解出来ず、私はまじまじと巴君を見つめてしまう。
「魔獣?
八重瀬さん、魔獣だったってこと?」
「違う。
人間でもなく魔獣でもない、いわば半人半魔ってとこだな。
中島をやっつけたのも、俺たちやあんたの傷を治したのも、その魔獣の仕業だ」
思わず自分の手足を見つめてしまう。
胸元を見ても、傷一つ残っていない。
まるであの戦いは夢だったかのように。
そんな私の戸惑いをよそに、巴君は話し続けた。
「3年前――
俺はひよっこの新人だったけど、八重瀬もまだ2年目で、神器の扱いにも慣れてなかった。
やる気はあるけど、戦闘じゃ全然弱っちくて。
訓練じゃあ、宣兄は勿論、俺にすら毎度ボロ負けしてた。
だからあの頃の俺は、いつも馬鹿にしてた。八重瀬のこと。
でもさ……
あいつが、目の前で苦しむ奴を無条件に助けたいと思う気持ち。
それだけは、あの頃からずっと変わらなかったんだよ」
苦笑しながらそう話す巴君の横顔は、どこか諦めに満ちているようにも思えた。
「ある時――
ここからだいぶ南の海域にある島で、ディスペア級の魔獣が出現したっていう連絡があった」
「島? 八丈島とか三宅島とか、あのあたり?」
「近いけど、もっと小さい島だよ。
小さかったが――かなり曰くつきの島だった」
巴君は目を細めながら、ふと窓の外を眺める。
カーテンは閉め切られていたが、そろそろ夕方にさしかかっているのが光の加減で分かった。
「そこに現れたのは――
多くの都市から必死こいて討伐隊の人員が招集される、かなりヤバイ魔獣だった。
それが『晶龍』。
500年も前に魔獣化した、歴史ある魔獣様だよ」
「ご……500年……?!」
途方もない数字に、思わず息をのんでしまった。
魔獣が現れたのは、つい最近と聞いていたのに。
何故、そんなにも前に?
「まぁ、不思議じゃねぇよ。
この国には昔から、妖怪やら鬼やらの異形伝説は山ほどある。
それらが今は魔獣として扱われていると考えれば、そこまでおかしなことじゃねぇ」
巴君はふうっと息を吐くと、話を続ける。
「大規模な討伐隊が組織され、その中には俺や八重瀬みたいな若手も大勢いた。
だけど――
討伐途中、八重瀬は晶龍に捕らわれて。
そこであいつは、知っちまったんだ――
晶龍の力によって、その島の人間たちは生かされていることを」
魔獣の力で、人間が生かされる?
そんなことも起こりうるのか。
「つまり晶龍が討伐されれば、島の人間たちも生きていけなくなっちまう。
だけど晶龍はその現実を憂い、人間たちを自分の力から解放したいと願っていた。だから敢えて暴れて、討伐隊を呼び寄せたのさ。
いくら魔獣でも、500年も経てば昔の怨讐も薄れ、周囲の人間どもに情がわいちまうってことかもな。
それを知った八重瀬は――どうしたと思う?」
八重瀬さんの性格を思えば……答えは自ずと見えた。
「島の住民も、晶龍も、勿論討伐隊も……
全員が助かる道を選んだ?」
恐る恐る私が呟くと、巴君は白い歯を見せて笑った。
「ハハ……正解。
勿論そう簡単にコトが運ぶはずもなくて、その前後でちょっとしたスペクタクル・ショーが色々あったんだけどさ。
そいつはまた、暇があれば話すよ」
うん……なんか、聞きたいような、怖いような。
でも、その状況で全員が助かる道なんて、あるんだろうか。
一体どうやって……?
「結論から言うと。
八重瀬は自分の身体に晶龍を取り込むことで、全員を救おうとしたんだ。
晶龍を殺さずに自分の身に取り込み、その上で島を離れれば。
島を支えるエネルギーはすぐに消えることなく、長い時間をかけて少しずつ失われていく。その間に、住民たちの自立を待つ余裕もある。
討伐隊にも、余計な犠牲を出さずにすむ。
何より、これは晶龍の……魔王様の、命を賭けた願いでもあった。
そいつを直接聞いてしまった以上――
八重瀬に、その願いを拒否するなんて選択肢はなかったのさ」
あまりに途方もない話すぎて、私は呆然と巴君の言葉を聞いているしかなかった。
「で……でも、八重瀬さん本人は?
彼の身体は、それで何ともなかったの?」
「何ともないわけねぇけど……
それでも、あいつも一応神器が使える人間だ。ただの人間ならそれだけで塵になってもおかしくねぇが、多分あいつの身体も晶龍を取り込むのに適してたんだろうな。
だから晶龍も、初めっから八重瀬を狙ってたのかも知れねぇと俺は思ってる。
最初のうちは色々あったが、でもここ最近はずっと、どうにか抑え込みには成功してたんだ
――あんたの血を、浴びるまでは」
一瞬、空色の瞳がじっと私を捉えた。
思わぬ一言に、頭を殴られたような気分になる。
だがすぐに巴君はふっと視線を逸らし、もう私の方を見ようともしない。
ポケットに両手を突っ込んで立ち上がると、彼は酷くぶっきらぼうに告げた。
「何であんたの血でそうなったのか、俺にも分かんねぇ。
多分あんたの身体に秘密があるんだと思うし、課長も絶対何か隠してると思うけど……
それについて、あいつ、あんたと話がしたいって言ってた」
「え?
あいつって……」
「八重瀬。っていうか、晶龍が、だな」
八重瀬さん……
じゃなくて、その、晶龍が?
ごごごご500年も生きてるっていう、その、魔獣様がですか?
わ、私に!?
しかし完全に青ざめてしまった私を見て、巴君は朗らかに笑った。
「大丈夫だって。
多分あんたは、あいつにとって超重要人物にゃ違いねぇ。
殺されるようなことはないと思うぜ?
うん、多分」
「た、たたた多分って……あの、本当にだいじょぶじゃなきゃ困るんですが!?
私、ただのしがない派遣OLですよ!? せめて巴君がついてきてくれても……」
「諦めろって。あいつ、あんたと二人だけで話がしたいって言ってたんだぜ?」
「そ、そんなぁー!!?」
「心配すんな。もし何かあったら、俺がロケランプッパしてやっから!」
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