第11話 想いの尽きる時
どうして。
八重瀬さん。どうしてそこまで、貴方は心を砕けるの?
中島さんは貴方の家族でも、恋人でも、仲間でもない。
命を捨てても救出せよと、上から命じられたわけでもない。
――なのに、何故?
降りそそぐ雨に反射する、刃の青い炎。
それはまるで、無数の水晶の煌めきにも似ていた。
同時に思い出されたのは、八重瀬さんの言葉。
――目の前で苦しんでいる人がいるのに、それを無視するなんてことは、
僕には出来ません。
そうか。
あそこまで八重瀬さんが、自らを投げ出して中島さんを救おうとしたのは
――それが、八重瀬さんの行動原理だから。
八重瀬さんにとっては、当たり前のことなんだ。
私たちが息をするのと同じくらい。他の生物を殺して調理して食べるのと同じくらい。
中島さんのような人を見捨てるのは、八重瀬さんにとっては息を止めるも同然。
ここまで必死な八重瀬さんを見て――私は、初めて分かった。
しかし、現実は非情だ。
ぎょろりと再び八重瀬さんに向けられる、中島さんの紅い眼球。
刃が水晶に到達するより速く、中島さんの一番上の右腕が動き――
「!」
真横から八重瀬さんを、その剛腕で力まかせに殴りつけた。
宣さんの防護も消えた状態で真っすぐ突っ込んできた八重瀬さんは、まともにその打撃を喰らってしまう。
それでも、彼の執念の賜物か。僅かに逸れた刃は、中島さんの左肩を一刀両断。
そのまま左腕を3本全て、胴体から切り離すことに成功した。
天へ噴きあがる紫の血飛沫。悲鳴のような魔獣の叫びが、湖に轟く。
勿論八重瀬さんの身体は、空中へ軽々と弾き飛ばされ、湖面に叩きつけられていく。
人間が巨大ロボットに殴られたようなものだ。多分、骨の2、3本は折れたんじゃないか。
――それでも彼は、まだ諦めない。気絶もしていない。
どうにか受け身を取りながら湖底を蹴り、体勢を立て直す。
――だが、そこへ飛来したのは
まだ空中を漂っていた、無数の黒牙。
それが一気に、八重瀬さんの頭上に集まっていく。
まるで、光を求める蛾のように。
まずい。
巴君のスピードでも避け切れず、宣さんの防御壁さえ破壊したあの黒牙が――
今、ほぼ無防備の八重瀬さんを狙っている。
しかし、腰まで水に浸かった状態で振り向きざま、
八重瀬さんは横薙ぎに光刃を一閃――
した瞬間、襲いかかった牙の殆どが、バラバラと砕け散った。
水柱の如く舞い上がる飛沫に反射する、青い光。
舞い散る光の中、水を剣で薙ぎ払うが如く、牙を叩き落した彼の瞳は――
これほど酷い戦闘のさなかでも、清冽なエメラルドに輝いていた。
それでも。
――それでもなお、中島さんは止まらない。止まってくれない。
牙をほぼ叩き落したと思った、その瞬間。
魔獣はどぉんと湖底を蹴り上げるようにして、自ら飛び上がった。
とんでもない地響きで、私も土くれから巴君を庇うのが精一杯。
震動に耐えながら、ふと上空を見上げると。
魔獣が――中島さんが、あの巨体で、大空高く飛び上がっていた。
左肩からの膨大な出血もそのままに、今度は中島さんの方から、八重瀬さんの懐に飛び込もうとしている。
その紅の眼球は――ただ、怨念と憎悪に満ちていた。
助けてくれなかった。
救いの手を差し伸べるふりをして、自分を追いつめ、家族を破壊した。
優しいふりをしたお前が。
偽善の仮面を被ったお前が――!
言葉にはならずとも、そんな叫びが聞こえてくる。
その声は多分、八重瀬さんにもより一層、強く響いているだろう。
それでも彼は再び剣を脇に構える。今度こそ、額の水晶を破壊するべく――
だが、その刹那
ドンッと撃発音が響き
八重瀬さんの胸の中心から
真っ赤な血飛沫が盛大に噴出した。
「――!?」
一体何が起こったのか。
魔獣はまだ宙に大きく飛び上がったまま、着地すらしていない。
八重瀬さん自身ですら原因が掴めなかったようで、一瞬その表情から緊張感が抜け。
意味が分からずきょとんとする子供のように、舞い散る自分の血を呆然と眺めていた。
そんな一瞬の隙を、この魔獣が見逃すなどありえなかった。
大きく振り翳された中島さんの右腕は、無防備になった八重瀬さんの身体を――
左肩から斜めに、ズバリと切り裂いた。
難なく肉を喰いちぎり骨を破壊していく、鋭い鉤爪。
剣の反射で煌めいていた水飛沫が、おびただしい紅であっという間に埋め尽くされていく。
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