第10話 大人になれない奴が、一人くらいいたって

 

 巴君に何を言われたのか分からないのか、八重瀬さんはちょっと首を傾げる。

 宣さんも黙ったまま、じっと状況を見据えていた。

 唇の端から零れ落ちる血もそのままに、巴君は笑う。

 ――その言葉には、どこか諦念とも悔悟とも取れる声色が混じっていた。



「ホントなら、さ。

 一番年下の俺が、お前みたいな青いこと言い張って、頑張らなきゃ、いけねーのに。

 俺、嫌だと思ってても、お前みたいに、逆らえなかった。

 それが、大人になることなんだって、自分に言い聞かせてさ。

 そんでこんな無様な目になってちゃ

 ……マジ、カッコ悪ィよな、俺」



 ――そうか。

 普段あれだけ反抗的でも、心の中でどれだけ嫌がっても、結局は上の意向に逆らえなかった巴君。

 そんな彼にとって――

 普段真面目に業務に邁進しているように見えても、実は自分の主張を絶対に曲げず、上に逆らってでも中島さんを助けようとした八重瀬さんは

 ――とても、眩しく見えたのかも知れない。



「だから……めげんなよ。

 大人になれない奴が、一人ぐらい、いたって、いいじゃねぇかって。

 俺……そう、思ってる、から」



 呼吸だけでも苦しいはずなのに、精一杯言葉を継ぐ巴君。

 そんな彼の手を、もう一度ぎゅっと握り返しながら――

 やがて八重瀬さんは、頭を上げた。



「豊名さん。

 すみませんが……巴君を、お願いします。

 中島さんは、僕が、何とかしますから!!」



 全てを背負い込むような言葉と同時に、八重瀬さんの視線はじっと湖の方角へと向けられる。

 まるでそんな彼の決意に呼応するように――

 中島さん(だった魔獣)は、再び空気を震わすような咆哮をあげた。

 満杯のスタジアムに反響する人々の怒号を思わせるような、中島さんの激昂。

 それを合図に、八重瀬さんも宣さんも、一気に駆け出した。


 巴君の攻撃で口を潰せたおかげか、もうあの恐怖の熱線がこちらまで飛んでくることはない。

 だけどそのかわり、遠隔で縦横無尽に動く黒牙が、無数に襲ってくる――

 水面を蹴って飛翔する、八重瀬さんに向かって。


 それでも八重瀬さんは構わず、中島さんの懐めがけて飛び込んでいく。



「神器変化・フレイムモード参式――

 クォーツバーストッ!!」



 そんな絶叫と同時に、八重瀬さんが下段に構えた大剣が――

 にわかに炎を帯びた。

 ただの炎じゃない。超高熱、真っ青に輝く炎だ。

 最早それは、ロボットアニメでよく見るビームサーベルと化していた。長さもロボットが持つそれと同様、軽く10メートルはあるだろうか。

 しかもそれを構えるは、身長170センチそこそこの八重瀬さんだ。

 よくもまぁ、あれだけ軽々と振り回せる――

 そう感心しているうちに、八重瀬さんは横薙ぎに剣を一閃。

 彼を狙って集まってきた黒い牙。その半数以上を、一瞬のうちに叩き落とした。


「!!」


 魔獣もこの攻撃には驚愕したのか、紅の眼球が怒りに歪んだ気がしたが――

 それでも即座に、新たな牙のミサイルを嵐の如く撃ち出してくる。

 勿論その先端からは、巴君を傷つけたあの閃光が、今度は八重瀬さんを狙って一斉に発射されていた。


 ――やられる!


 しかし、私が思わず目を背けかけたその時。

 不意に八重瀬さんの周囲を、翡翠色の透明な球体が包んだ。

 綺麗なビー玉のようにも見えるその球体は、閃光を次々に弾き返し、見事に八重瀬さんを守り切っている。


 ふとその下を見ると――

 岸辺に佇みながら、上空をじっと睨みつけている宣さんがいた。

 その斧は大きく頭上に振り翳され、先端からは綺麗な翠の光が放射されている。

 間違いない。八重瀬さんを守ったのは、宣さんの斧だ。


 ――よく考えたら宣さんも、ずっと八重瀬さんのこと、心配してたな。


 癒しの斧に力を注ぎ込む宣さんの背中を見ながら、思い出す。


 ――そう。彼は、決して八重瀬さんを責めてはいなかった。

 宣さんが八重瀬さんと喧嘩したのは、上の意向に従わない八重瀬さんが鬱陶しかったからなんかじゃない。

 ずっと心配だったから。

 誰に対しても心を砕いてしまう彼が、宣さんは心配で仕方なかったから――

 その証拠に、薬の話が出た時も、宣さんの口から真っ先に飛び出したのは八重瀬さんの身体のことだったじゃないか。

 不器用で口下手で身体も大きいから、誤解されやすいかも知れないけど。

 というか、私自身、誤解してたけど。



 だが、そんな援護に気づいたのか。

 中島さん(だった魔獣)は、6つの眼球を一斉にぐりっと動かし――

 そのうちの一つが、はっきりと宣さんを捉えた。



「――!」



 空中の八重瀬さんを取り囲んでいた牙の一部が、明らかに意思を持って剥がれ。

 それらは急激に方向転換し、岸辺の宣さんへと突っ込んでいく。

 当然宣さんは八重瀬さんと同時に、自分をも光の球体で包んだが――


 それとほぼ同時に、無数の閃光が翠の球体に激突した。


 巴君を襲った爆炎と同様の、いやそれ以上の閃光が、湖全体を覆い尽くす。

 結界自体が壊れるんじゃないかというほど強烈な嵐が、私たちまでをも襲う。

 私では、倒れたままの巴君を暴風から庇うのが精一杯。

 気づけばブラウスは両袖とも肩からちぎれ飛んで、スカートにも幾つもスリットが入ってしまっている。

 それでも何とか、巴君ぐらいは守らなくては、完全に足手まといになってしまう。

 胸が彼の頬に当たってしまっていたが、この際気にしていられない。幸か不幸か、巴君はほぼ気絶してるし。


 全てを薙ぎ払うような暴風にひたすら耐えながら、ふと岸辺を確認すると――




 宣さんの斧が、光を完全に失い、夜空を舞っていた。

 引きちぎられた、彼の手首と一緒に。




「……嘘でしょ」

 眼前の光景が一瞬信じられず、私は思わず呟いていた。

 激しい水煙の中、必死で目を凝らす。

 岸辺にはまだ宣さんがいたはずだ。確かまだ。



 しかし、私の一縷の望みを完全に打ち砕くように、水煙の向こうに見えた光景は――

 血だまりの中に倒れ伏す、宣さんの姿。

 巴君と同じ、いやそれ以上の数の穴が、身体中に開いている。

 防御壁を破壊された結果、回避も出来ずにまともに熱線を喰らってしまったのだろう。

 そして――右肘から先が、見えない。



 これ以上見たくない。

 そんな私を嘲笑うように、岸辺にどさりと落下してくる、宣さんの斧と腕。

 八重瀬さんも多分、私よりずっと早く気づいているだろう。宣さんの状態に

 ――彼を防護していたエメラルドの球体は、当たり前のように消失しているから。

 ただ茫然と、動くことも出来ない私の眼前で――

 それでも八重瀬さんは絶叫しながら、中島さんへと飛び込んでいく。



「中島さん!

 もうやめてくれ、中島さん!!」



 どれだけ中島さんに呼びかけたところで、無駄だ。

 それは魔獣を目にして日が浅い私でさえ、もう分かっている。

 でも八重瀬さんは、決して諦めない。

 声を限りに、完全に正気を失った中島さんに呼びかけていた。



「僕が憎ければ、いくらでも殴ってくれていい!

 だから、何とか、戻ってください!

 これ以上、誰かを傷つける前に!!」



 八重瀬さんの振るった光の刃は、中島さんの額、その水晶を真っすぐ狙う。

 青の炎が、虚空に三日月の如き美しい曲線を描く。

 それはまさしく、渾身の一撃だった。

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