第9話 増えゆく生贄


「……!?」


 私も八重瀬さんも、思わず顔を上げた。

 見ると、中島さん(だった魔獣)は突然襲いかかってきた光弾の雨に晒され、激しい唸りを上げている。

 雷にも似た火線の間をぬい、雲を切り裂くようにして

 天から一直線に突っ込んできた鋼鉄の翼。

 それは間違いなく、巴君だった。

 さすがだ。もう、救援に来てくれたなんて。



「神器解放――

 星火燎原せいかりょうげん!!」



 魔獣の口腔、つまり熱線の発射口を狙い、ドリルの如く突っ込みながら次々と翼からミサイルを撃ち込む巴君。

 蜂蜜色の髪が、炎の中でも鮮やかに揺れた。

 着弾を確認しては、強烈な爆風に呑まれる前に即時離脱。

 たった数秒の間にそれを幾度も繰り返しながら、巴君の翼は縦横無尽に嵐の中を駆け抜ける。

 魔獣の顔の周りで巻き起こる、幾つもの爆発。

 大きく開かれた口腔の端から、紫の血飛沫がまるで間欠泉のように噴きあがった。

 魔獣の咆哮にも爆発音にも負けじと響いたものは、巴君の声。


「あかね! 八重瀬ぇ!!

 まずはこいつの口から潰してやる、下がってろ!!」


 ん? 今、巴君、私を下の名前で呼んだ?

 いつもは名前すら呼ばずに、ぶっきらぼうに「おい、コーヒーくれよ」とか言ってくるばかりなのに。

 この状況下でそんな小さいことにふと気づいたが、それより早く八重瀬さんは立ち上がり、再び剣を手にして駆け出していた。


「駄目だ、巴君!

 それ以上、近づいちゃいけない!!」

「あ……

 ま、待って八重瀬さん!」


 あの出血で、まだ戦うつもりか。

 私もその背中を追って、慌てて走り出す。

 しかし八重瀬さんの疾走は、あれだけの傷を負っていてもなお、私よりずっと速かった。

 再び剣を閃かせて湖へ駆け出しながら、八重瀬さんは上空の巴君に向かって叫ぶ。


「巴君、離れろ!

 彼は、

 ……その魔獣は、明らかにディスペア級だ!!」


 中島さんのことを『魔獣』と言い直すまでに、ほんの少し躊躇があった。

 それぐらいは、私にも分かったけど――

 ていうか、八重瀬さん。今、何て?


 ――ディスペア級。

 つまり、4段階に分かれた魔獣のレベル、その最高ランク。

 出現例が滅多になかったはずの、大災厄とでも形容すべき魔獣。


 何故。

 どうして、よりによって中島さんが、そんな凶悪な魔獣に?



 私たちの眼前で炎を噴き上げ、激しい咆哮を轟かせる魔獣――中島さん。

 その頭部らしき部分から、何かが放たれた――


 何あれ。

 角? 毛髪? それとも牙?

 雨を受けて鈍い黒に光る、苦無にも似た何か。

 それが、中島さんの頭から幾つも幾つも発射され――

 その真上に占位していた巴君を、狙った。



 空に無数に放たれた、鋭く黒い牙。多分50本以上はあるだろう。

 それらが一瞬で、巴君の周囲を上からも下からも取り囲み、その逃げ場を塞いでいく。



「こいつ……

 まさか、遠隔操作の多重砲撃!?」



 あっという間に囲まれてしまった巴君。まるで、黒い針で形成された球状の膜に覆われたかのように。

 咄嗟に回避しようとしたのか、巴君の翼が急速に閉じられ、比較的膜の薄い下方へ逃れようとする。

 だが――

 その瞬間、無数の牙の先端から、巴君めがけて

 一斉に白い火線が放たれた。



「巴君!!」



 この距離でも、何となく分かった。いつも得意げだった彼の青い瞳が、はっきり歪むのが。

 私も八重瀬さんも、同時に絶叫する。

 しかしそれも虚しく――

 中島さん(だった魔獣)の頭上で、天を揺るがすほどの大爆発が起こった。


「ぐ……っ!」

「いやぁああっ!!」


 強烈な爆風。

 湖さえもが大きく波立ち、閃光が木々を、土くれを、いとも簡単に吹き飛ばしていく。

 熱と光に呑まれかけた私を、八重瀬さんが咄嗟に身を挺して庇う。

 耳がきぃんと遠くなり、熱せられた空気がびりびりと鳴った。


 そして、八重瀬さんの肩越しに見えたものは――

 揺らめく蒸気の中、よろよろと湖へと落ちていく、巴君の姿。


 さっきまで大きく広げられていた鋼鉄の翼は、まるで嵐をまともに食らったビニール傘の如くボロボロにひきちぎれ。

 ある程度距離が離れているこの岸辺からですら、全身ズタズタの穴だらけにされているのが分かる。

 身体ごと灰燼と化していないのがおかしいくらいの爆発だったが、それでも重傷には違いな――



 そんな私の思考を嘲笑うように、ごうごうと沸騰する空気の中、魔獣の真っ赤な眼球が6つ、一斉にぎょろりと光った。

 まるで、勝利を確信した悪魔の微笑み。

 そのすぐ手前を、ほぼ無防備になった巴君が落下していく。

 いけない。今度こそ彼は――



 そう思った瞬間、

 何かが魔獣の眼前から、疾風の如く巴君を奪い去った。

 斧を背負った長身――

 間違いない。宣さんだ。



 大きな見かけに反して、宣さんは恐ろしく素早かった。

 私が彼の到着を確信した時にはもう、宣さんは私たちのところまで瞬時に移動していた。

 その両腕にぐったりと抱えられているのは当然、血みどろの巴君。

 完全に力尽きたのか、背中の翼は消滅してしまっていた。



 宣さんは慎重に魔獣の様子を確認しながら、そっと草むらに巴君を降ろす。

 そして、悔しげに呟いた。



「あの集中攻撃と爆光……

 巴のスピードでなければ即死だった。

 ギリギリで避け切れたから、この程度で済んでる」

「こ、この程度って……」



 巴君は――

 酷いありさまだった。

 スカイブルーだったはずのワイシャツは熱線で焼かれ、ほぼ真っ黒。

 ネクタイは元からゆるゆるだったけど、完全に引きちぎれて首筋に力なくへばりついているだけ。

 身体の至る所が鉤爪で引き裂かれたように傷つけられ、特に左腹部からの出血が酷く、左半身の殆どを真っ赤に染めていた。

 裂けた服のあちこちからぷすぷすと黒い煙が立ちのぼり、微かに肉の焼ける臭いがする。

 叩きつける雨は全く止む様子がなく、その傷を洗い続ける。


 ――こんな状態でもまだ意識があるのか、とても悔しげに顔を歪める巴君。

 力の限り左の腹部を押さえる手。その指の間からごぼごぼと血が噴き出す。

 食いしばった歯の間から、ふぅ、ふぅと苦しげな息が漏れていた。


「ちく、しょう……

 もうちょっとで……全弾、かわしきれ……た、のに……」

「喋るな。

 今、手当てをする」


 すぐに宣さんが巴君の頭上で、背中の斧を振りかざす。

 まるで彼の頭をかち割ろうとしているようにしか見えない体勢だったが、その瞬間、斧は癒しの青い光を放ち――

 巴君のお腹の傷が、少しずつ塞がっていく。ほんの少しずつ、ではあるが。



 そんな二人の様子を、八重瀬さんも私も、じっと見守ることしか出来なかった。

 宣さんは――

 何も言わない。言ってくれない。

 八重瀬さんに対して、お前の偽善がこの事態を生み出したの一言があってもおかしくないのに。

 というか八重瀬さんは、宣さんのそんな罵倒を待っているようにすら思える。


 多分、宣さんは分かっている。

 今八重瀬さんをどれほど罵倒しようが、どうにもならないことを。

 逆に、お前は悪くないとその場限りの慰めをしたところで、八重瀬さんはさらに傷つくだけだとも。

 だから、宣さんは黙ったまま、何も言わない――


 でも、その沈黙が逆に、どんどん八重瀬さんを追い込んでいる。

 もしかしたら数日前の公園の時のように、思いきり責めてくれた方が、八重瀬さんにとっては気が楽だったのかも知れない。


 そんな空気に耐えきれなくなったのか。

 八重瀬さんは思わず、巴君の真上に身を乗り出した。


「巴君……

 巴君! ……本当に、ごめん!

 僕が、中島さんに無責任なことを言わなければ。

 奥さんのことまでちゃんと見ていれば、こんなことには!!」


 血に汚れた指で、巴君の傷だらけの手をとる八重瀬さん。

 ここに及んでも彼は、中島さんを見捨てていれば、などとは絶対に言わない。

 そんな八重瀬さんの言葉に、私は一瞬感動しかけたが――

 よく考えたら確かに、その通りだ。

 偽善を貫き通すつもりなら、ちゃんと最後まで中島さんの様子を見守るべきだった。

 勿論、八重瀬さんが助けるべき存在は中島さんだけでなく、他にも無数にいる。

 一人に対してそこまで時間をかけていられない。そういう事情はあるにせよ――

 要は、詰めが甘かった。そういうことだろう。



 だけど巴君は――

 そんな彼の手を、ほんの少しだけ握り返した。



「……バーカ。

 こんなことで、謝るんじゃねぇっての」



 途切れ途切れながらもはっきりした、巴君の言葉。

 八重瀬さんは虚をつかれたように顔を上げる。


 治ったばかりの頬は焼けただれ、額からの出血も止まっていなかったが――

 それでも巴君は、笑っていた。

 澄み切った青の瞳は、いつもと変わらない光を湛えている。


「謝るの、俺の方なんだってば……」



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