第6話 優しさと偽善と通りすがりのおじさん



 巴君から渡されたメモに走り書きされていたのは、八重瀬さんたちの通常の巡回コースからは若干外れた場所にある、小さな公園だった。

 最寄り駅からもちょっと離れているので面倒な場所だったが、やはり気になったので――

 私は業務終了後、思い切ってそこに向かった。

 住宅街の奥にある、ひっそりと静まった夕方の公園。

 18時をとっくに回っているせいか、砂場にもブランコのあたりにも、子供の姿はもう見えない。

 しかし、こんもり茂った樹木の陰に隠れるようにして、ベンチに座っている二つの人影が見えた。

 カラスの鳴く声が響く中、そっと近づいてみる。一人は八重瀬さんだったが――

 もう一人は知らないおじさんだった。

 どこかくたびれたスーツを着て、重そうなカバンを胸に抱えている。

 薄い髪の毛は脂ぎっていて、ぺっとりと頭に張りついている。うだつの上がらない中年親父を絵に描いたような人物だった。

 そんな彼の話を、八重瀬さんはすぐ隣に座りながら、ずっと親身に聞いている。

 話の途中で、時折うっうっと嗚咽しかけるおじさんの背中を、一生懸命にさすりながら。



 やがて数分後。

 おじさんは、八重瀬さんに励まされてすっきりしたのか――


「ありがとうございます。

 勇気はいりますが……思い切って、妻に話してみます。

 八重瀬さんのおかげで、前に進める気がしました」


 涙ながらにそう話すおじさんは、笑顔を取り戻して八重瀬さんに深々と頭を下げながら、その場を去っていく。

 肩の荷を下ろしたように、心からほっとしたようにその背中を見送る八重瀬さん。

 ――すると。


「豊名さん?

 いるんですよね? 分かりますよ」


 ギクリ。

 私は思わず、木陰で身を竦めた。

 まぁ――そりゃ、気づくよね。いつも魔獣を相手してる八重瀬さんだもの。

 それ以上身を隠すのを諦め、私は潔く木陰から出た。



 *****



「あの人――中島さん、っていうんですけど。

 かなり前に、ザクスを退職させられたんです」


 夕闇の迫る公園で、八重瀬さんは意外と素直に、ことのあらましを説明してくれた。

 彼が買ってきてくれた冷たい缶コーヒーに口をつけながら、私は尋ねる。


「ザクスって……この近くの大企業じゃないですか。

 そこを、クビに?」

「ええ。

 奥さんが出産直後で精神的に不安定で、他に育ちざかりの子供もいるのに、転勤を命じられて。

 それを拒否したら……というわけです」

「酷い……」

「というかそれ以前から、中島さんは出来ない社員として、社内で煙たがられていて。

 それでも家族の為に、どれほどのパワハラを受けても必死で耐え抜いていました。

 しかし、転勤拒否を幸いとばかりに、会社は事実上のクビを言い渡したそうです。

 転勤拒否は自己都合退職となる為、退職金もわずかだったそうで」


 即、魔獣化してもおかしくない案件では。

 それでも八重瀬さんは冷静に語る。


「子育てで不安定になっている奥さんに、中島さんはどうしてもそのことを言えずに……

 ずっと会社に行くふりをしていたんです。

 それは、再就職先が決まるまでの少しだけ――のはずだったんですが」

「……そりゃ、簡単には決まらないですよね。このご時世」

「えぇ。もうそろそろ、半年になるそうです。

 彼が、家族に嘘をつき始めて」


 コーヒーにも手をつけず、八重瀬さんは大きく息をつきながら、竦めた肩の間に頭を埋めるように、じっと俯いた。

 その姿は、いつも以上に酷く疲れたようにも見える。


「たまたま、巡回先で中島さんを見つけて。

 これは遅かれ早かれ魔獣化する、と僕は思った。

 だから、少しでも彼の負担を軽減したいと思って……

 時間を見つけて、中島さんと会うようにしていたんです。

 勿論、課長には注意されましたけど……

 それでも、放置なんて出来なかった。僕には」


 話をするだけで、魔獣化がどうにかなるものだろうか。

 ふとそんな疑問が浮かんだが、八重瀬さんは顔を上げ、心から安心した子供のように笑った。


「でもやっと今日、彼は決心してくれた。

 僕はずっと彼を説得し続けました。このまま家族に嘘をつき続けても、どうにもならないって。

 不安定な奥さんに話をするのは大変でしょうけど、それでも家族なら、きっと分かってくれるはずだって。

 困ったことがあったら、僕も協力するからって……

 何日もそう話して、さっきやっと納得してくれたんですよ」


 ふと空を見上げる八重瀬さん。

 夕闇が濃くなった空にはもう、星が瞬き始めている。


「じゃあ、事前に魔獣化を止められたってことですね。

 お手柄じゃないですか、八重瀬さん」

「お手柄だなんて……

 僕は、当たり前のことをしたまでですよ」


 八重瀬さんは照れて頭をかく。

 そんな彼の、困ったような笑顔を見ながら、思った――


 中島さんのような通りすがりのおじさんにでさえ、八重瀬さんはこれだけ心を砕く。

 多分、彼は見過ごせないんだ。この前課長も言ったとおり、目の前にいる者は全て、自分の手でひたすら救おうとする。

 しょっちゅう彼が悩んでいると巴君が言っていたのは、中島さんのような人をこれまでもたびたび世話していたからなのだろう。

 だけど――



 これだけ魔獣と、その兆しが現れた人間で溢れている街で、そんなことを続けていたら

 ――八重瀬さん、壊れてしまうんじゃない?



 ふとそう思った時。

 不意に、ずっと静かだった木陰で、何かが動いた。



「……!

 あ、あれ? 宣さん?」



 思わずびくりと身を竦める私。

 そこに現れたのは、長身の宣さんだった。


「八重瀬――

 お前はいつまで、こんなことを続けるつもりだ」


 彼は私を無視してずかずかと八重瀬さんの方へ大股で近づくと、思いきり彼を睨みつけた。

 宣さんの身長と肩幅で見降ろされると、単純に怖い……

 それでも八重瀬さんは、決して怯まなかった。

 あくまで丁寧な態度は崩さず、眼鏡の奥から強い眼差しで宣さんを見据える。


「魔獣化の兆しを止めるのが、僕たちの仕事です。

 目の前で苦しんでいる人がいるのに、それを無視するなんてことは――

 僕には出来ません」


 はっきり言い放つ八重瀬さん。

 そんな彼の胸倉を、宣さんは容赦なく掴んだ。

 凄い力で引っ張り上げられ、八重瀬さんは思わず呻く。

 まずい。殴り合いになる?


「あのような人間が今、この街にどれだけいると思ってる。

 課長がいつも言っているだろう――

 指を広げれば広げるほど、指の間から零れ落ちるものは増えると!」


 公園に響きわたる、宣さんの怒声。

 それに答えられず、八重瀬さんは視線を伏せて口ごもってしまう。

 さらに宣さんは畳みかけてきた。


「お前――

 薬を渡しているだろう」


 クスリ?

 一体、何の話だろう。

 そんな私の疑問を察したのか、八重瀬さんは説明してくれた。宣さんに引きずり上げられながら。


「僕たちの血液から抽出される成分で作った、魔獣化抑止の薬です……

 それを使えば、かなり魔獣化が進んだ人でも、元に戻せる可能性が高い。

 僕の剣や巴君の火器と同じように、自分たちで作り出すことも出来る」


 そんなものがあったのか。

 だがそれでも、宣さんは八重瀬さんを掴んだまま離さない。

 襟ぐりを掴んだのとは反対側の手で八重瀬さんの肩をがっしり捕らえ、さらに叫ぶ。


「しかしあれは本来、魔獣化が差し迫った人間にしか使えない。

 あの人間のレベルではまだ早いんだ!」

「それは……上が決めているだけの話ですよね。

 中島さんの症状で、薬の使用が早すぎるということはないはずです。

 なら、僕は……ぐっ!」


 そんな八重瀬さんの肩を思いきり掴み、宣さんは強引にその言葉を遮る。


「薬の生成が、お前の身体にどれだけの負担になると思ってる。

 ヘタをすれば、自分が戦えなくなる可能性まであるんだぞ。

 それほどまでに自分を追い込んだから、お前は……っ!!」


 自分を追い込んだから……何だろう?

 しかし宣さんがその先を口にする前に、八重瀬さんはきっぱりと言い放った。


「でも僕は、やめるつもりはありません。

 自分の目の前で苦しんでいる人を、見捨てることなんて出来ない。

 それが偽善だというなら、僕は偽善者のままで構いません!」


 明らかに、宣さんの頭に血が昇った。

 八重瀬さんの肩を掴んでいた腕が離れ、拳となって振り上げられる。

 まずい。八重瀬さん、殴られる――



 しかし、思わず顔を覆いかけてしまったその瞬間。

 八重瀬さんと宣さんの胸元で、同時にスマホが鳴り出した。

 課長からの緊急メールらしい。


「……また、魔獣が出たそうだ。

 先に行ってる。お前も早くしろ」


 スマホの画面を確認するや否や、宣さんはやや乱暴に八重瀬さんを突き放した。

 その勢いで、地面にしりもちをついてしまう八重瀬さん。

 宣さんはそんな彼を振り返りもせず、さっさと公園を後にしてしまった。


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