第5話 「大人」と包帯と彼の悩み
私がメンタルケア課に派遣され、二週間が過ぎた。
勤務二日目にして2体もの魔獣に遭遇した私だが、その後も――
この二週間、片手の指では足りないほど魔獣に遭遇した。
今まで奴らと出くわしたことなんて皆無だったのに。自宅にいる時は全くそんな気配はないのに、メンタルケア課にいる時だけ、何故か付近に魔獣が出現する。
どうして――?
そう思いながらも、八重瀬さんたちメンタルケア課の前では、あまり不平も言えなかった。
何故って、私は定時で帰れるけど、八重瀬さんたちは昼夜問わず魔獣対応に追われていたから。
そして私は、八重瀬さん自身について、ちょっと気になることがあった。
頭の包帯である。
最初に見た時は、たまたま怪我をしているだけだと思っていた。
しかし二週間経過しても、包帯が取れない。
よくよく見ると、額の中心が瘤のように不自然に盛り上がっている。しかもそれが全く小さくなる様子がない。
巴君の頬のガーゼは、3日もしたら取れていたのに。
ある日、私は八重瀬さんのレクチャーを受けながら、その額をまじまじと見つめてしまっていた。
「魔獣の強さについては、4段階あります。
イージー、ノーマル、ハード、そして最終段階のディスペア。
幸いこれまで、ディスペア級の魔獣の出現例はごく僅かですが、それでも
……あの、豊名さん?」
まずい。じろじろ包帯を見ているの、気づかれた。
八重瀬さんは大きな瞳でじっと、困ったように首を傾げて私を見ている。
透き通ったエメラルドの眼光は、何故か紅を帯びているようにも思えた。窓からの夕陽が、眼鏡のレンズで複雑に反射しているのか。
相手をどこまでも包み込むような、暖かな眼差し。
巴君ほどではないけど、八重瀬さんもスーツがちょっとダブついて見えるほど、肩幅が細め。
でも、袖から覗く手首はがっしりしていて、きちんと筋肉がついているのが分かる。至る処にかすり傷が見えるのが痛々しいが。
この手が――魔獣を大剣で容赦なくぶった斬るのか。
「あ……ごめんなさい。
ちょっと、別のことが気になって」
「大丈夫ですか? 少し休みましょうか?」
「いえ、違うんです。
その……八重瀬さんの怪我、まだ治らないのかなと思って」
「怪我?」
こてんと首を傾げる八重瀬さん。なんだか可愛い。
しかし私の視線ですぐに気づいたのか、頭の包帯に手をやった。
「あぁ、これですか。
大丈夫ですよ。怪我とは違いますから」
「え、怪我じゃないんですか」
「というか、古傷がありまして。
ちょっと恥ずかしいんで、隠してるんです。
帽子やバンダナとか、他にも色々考えたんですが、結局包帯が一番いいということになりまして。
まさかリボンをつけるわけにもいきませんしね」
うーん。確かにスーツ姿にバンダナはおかしい気もするけど、だからって包帯は。
「巴君にも、これが一番マシって言われちゃって」
あいつのせいか。
巴君、そういうの好きそうだしなぁ。
思わずため息をついた時、ふと思い出した――
あの、課長の言葉を。
――だからこそ彼は……
『魔』に、魅入られてしまったのですがね。
あれは一体、どういう意味だったんだろう。
八重瀬さん、悪魔にでも憑かれてるんだろうか。
しかし彼の柔らかな笑顔からは、そんな様子は微塵も感じられない。
私は気を取り直して、手元の資料に目をやった。
「ていうか、ディスペアはともかく、イージーノーマルハードって。
ゲームの難易度じゃないんですから」
「あ、やっぱりそう思います?
でも、これぐらい簡単な方が分かりやすくていいですよ。
マーク102アルファインディゴタイプとか言われたら、分かりますか?」
「全然分かりません」
「ですよねぇ。はは」
包帯にかかった長めの前髪がふわりと揺れ、ふっくらした頬がほんのり赤くなる。
私が突っ込み、彼が苦笑する、他愛もない会話を交わしているうちに。
八重瀬さん、なんか可愛い――
私は、そう思えるようになってきた。
*****
さらに何日かが過ぎ。
私は大分メンタルケア課にも、そして魔獣の出現にも慣れてきた。
しかし、私がメンタルケア課にいると何故か周辺に魔獣が出現しがちな理由は、未だに分からない。
八重瀬さんも不思議がっていた。これまで、守備局周辺に魔獣が出現したことは滅多にないのにって――
円城寺課長にも尋ねてみたが、のらりくらりと逃げられるばかり。
絶対何か隠してると思ったが、ヘタに追及して契約終了、つまりクビになるのも嫌だ。派遣社員は立場が弱い。
そうして淡々と電話対応やデータ入力をこなしているうちに。
私は八重瀬さんのことが、さらに気になるようになってきた。
容姿が可愛いから? うん、まぁ、それも正直あるが。
――八重瀬さん、何か悩んでる?
私は昔から、こういう嗅覚はそこそこ鋭い。
誰かが何か悩みを抱えていると、何となく分かってしまう。
だからといってその悩みを解決できるかというと、それは別問題なんだけど。
その件に関して、巴君にも聞いてみたが――
「うん。
あいつ、しょっちゅう悩んでるからなぁ。俺にも分っかんね」
相変わらずデスクに両脚を乗せて、ロケランを弄っている巴君。
当たり前のように答える彼に、私はさらに尋ねてみた。
「しょっちゅう、って?」
「ここに数日もいりゃ分かるだろ。
悩み事なんか、どれだけ抱えてたってキリがねぇって。
俺なんかもう開き直ってるけど、八重瀬はいつまでも拘ってる」
けだるげに窓の外の曇り空を見上げながら、巴君は呟いた。
「俺らがいくら頑張ったところで、魔獣化しちまう奴はしちまう。
しかも魔獣化するのは、ブラック企業の社員だけじゃねぇ」
「え? そうなの?」
「社員だけじゃなく、クビになった奴、退職に追い込まれた奴まで魔獣化してるなんて報告、随分前からあるんだぜ。
一度ブラックに心を食われたら最後、例えその会社から離れたところで、そう簡単に傷は治らないってこった」
それは知らなかった。
確かに、社員だから魔獣化するというのなら、その社員をクビにすれば済む話だ。メンタルケア課が日夜走り回る必要もない。
そんな単純な話ではないということか。
「だがよ。そこまで気を配ってたら、俺たちの仕事は回んねぇ。
だから上からは、今会社に在籍している社員を優先的に見るようにってお達しがされてる」
「それは……あんまりじゃないの?
だって、魔獣化の兆しがあるのは、在籍者も退職者も一緒なんでしょう?」
ロケランを磨く手をふと止めながら、巴君はふうっと息を吐きだした。
「俺も最初はそう思ったけど、もう割り切ってる。
この地域の企業だけで、俺たちは一杯一杯だ。とても退職者までカバーしきれねぇ。
クビになって社会から放り出された役立たずより、今歯車として社会を支えてる社畜を先に元に戻せってこった。
だから、クビになった奴が魔獣化するケースも、後を絶たない」
静かに吐き捨てる巴君。
私はそっと、彼の右頬の傷跡を見る。
ガーゼこそ外れてはいたが、白い頬にまだ赤黒く腫れた傷跡が、色濃く残っていた。
聞くところによると、魔獣との戦闘で巴君は右頬が陥没するレベルの大怪我を負い、神器による回復術をもってしても完治せず、ずっとガーゼを貼り付けていたらしい。
最初、どこかで喧嘩でもしたのかと勘違いしていたのが、正直恥ずかしい。
「だけど、八重瀬は諦めてない。
いつまでたっても、自分の目の届く範囲は全部守ろうって、青いことしか考えてねぇ」
青いことって。
巴君の口からそう言われると、奇妙におかしくて、つい吹き出してしまった。
「……ふふ」
「な、何だよ」
「巴君って、意外と大人なんだなぁって」
「意外とってナニ。
俺は少なくとも、八重瀬よりは大人なつもりだぜ?」
彼はそう言ってひょいとデスクから立ち上がると、引き出しの中からメモを取り出し、私に突き付けてきた。
「帰りにちょっと、ここ寄ってみれば?
あいつが何で悩んでるか、分かるかもしんねぇから」
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