第24話 チュッ♥

『名前が無いだと?』


 この世に生まれたものには、必ずその存在を示すための名前が授けられる。


 だが、目の前の会長ちゃんにはそれがない。


『では、君はこの世界の住人ではないとでも言うのか?』

「いいえ」


 彼女は首を横に振った。


わたくしは、この世界の『イレギュラー』です」

『イレギュラー?』

「えぇ」


 コクリと頷く彼女の表情を見る限り、嘘を言っているようには見えない。


「存在を許されていない。けれど、住人として存在している」

『今まで聞いたことがないぞ? 創造された世界にイレギュラーが発生するなんて……」


 神の中には、自らの世界を間違った方向へと向かわせる者もいる。


 だが、それは全て『あれ』に書かれたことによって起きるのであって……。通常、『イレギュラー』のような、神を無視した存在が現れるわけがないのだ。


『それなのに……』


 信じられないが、現に今起きているのだから信じるしかない。


「あらあらっ、額に汗を浮かべていますよ。神様でも汗は掻くのですね」

『…………っ』

「ふふっ、慌てているご様子ですね。表情が変わらなくてもわかります」

『…………っ』


 どうやら、こちらのことはお見通しのようだ。


『君の目的はなんだ? 言っておくが、この世界で私の邪魔をすることは不可能だ』

「わかっています。この世界に存在する限り、創造主にはかなわないことくらい」

『なら、君は一体なにを……』


 そのとき、下の方から一人の学生が上がってきた。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 二人は挨拶を交わし、その生徒は行ってしまった。


 イレギュラーとは言え、この世界に順応しているのは確かなようだ。


『さて、仕切り直しと…――』


 ――ふふっ。


 通り過ぎて行った生徒から視線を前に戻すと、


『!!? いない……!?』


 慌てて周りを見渡したが、彼女の姿はどこにもなかった。


 下の階に降りたわけでもない。


『どこだっ、どこにいる……っ』

「ふふふっ、ここですわ」


 バァッと振り返ると、彼女は階段を上がったところに立っていた。


『どうやって……』


 得体の知れないものに対する恐怖。それは、神の自分にとって初めての体験だった。


 怯えているのか? 私が?


「いけませんね。大事なものは、ちゃんと持っていないと」


 と言って彼女が見せてきたのは、一冊の分厚い本。


『そ、それは……』


 ――創世の書。


 あれには、この世界の『全て』のことが書かれている。


 過去も、現在も、そして未来も――。


『どうして君がそれを!?』

「ふふっ。さぁ、どうしてでしょう?」

『返して貰おうか……創世のこのせかいを……っ!!』

「駄目ですよ」


 すると、また一瞬にして消えてしまった。


『くっ……!!』

「これがあれば、この世界を自由自在に操ることができる」

『……あぁ、その通りだ』


 彼女が言う通り、あれがあればこの世界は自分の思うままだ。


 しかし、神のみが扱える代物をどうして彼女が?


「そういえば、私の目的を知りたがっているようですから、特別に教えて差し上げましょう」

『!!』

わたくしの目的、それは…――この世界を、滅茶苦茶にすることですわ♥」

『ッ!!? そんなことはさせ――』

「止めようとしても、もう遅いですわ」

『……なに?』

「だって『彼』は…――」




 ――神……様…………。




『一真……っ!?  ……あっ』


 一瞬気を取られていた隙に、彼女は再びその姿を消した。


『!! 一体どこへ……あっ、まさか……っ』




 それから、約数分前。


 ピンポンパンポーン。


『天道ハナさん。至急、生徒会室まで来て下さい』


 うん? 俺?


「ハナっち〜、もしかしてなにかやっちゃった〜?」

「なにもやってませんっ!」


 でも、なんだろう?


 俺は、ぱぱっと最後の一口を口の中に放り込み、水で流し込んだ。


「ごちそうさまでした。じゃちょっと、行ってくる」

「あいよ~っ」

「あっ、デザートは今度ということで」

「よっしゃ~っ♪ 行ってこーいっ!」


 凪羅に手を振られながら、小走りでカフェを出たのだった。


 ……。


 …………。


 ………………。


 まさか、昼飯を食べてる途中で呼び出されるとは。


 さっき凪羅にも言われたけど、俺なにかやっちゃったか?


 待てよ……。もしかして、ここの明太子クリームパスタがあまりに美味し過ぎて、おかわりしまくったのがマズかったのかな?


 うーん……。


 頭をひねりながら廊下を進んでいたけど、これ以外に思い当たる節はなかった。


「神様~っ、俺なんかしたか?」


 ………………。


「うん? お~い」


 ………………。


「? もしかして、いないのか?」


 いびきの一つも聞こえてこないということは、寝ているわけではないようだけど。


 俺からの反応を無視するとは珍しい。


 ……まぁ、いいや。どうせ裏でなにか企んでいるだろうし。


 そんなことを考えている間に、生徒会室の前までやってきた。


「ふぅー……」


 コンコン。


「失礼します。……あれ?」


 ゆっくりと扉を開けて中に入ったのだが、そこには誰もいなかった。


 でも電気は点いているし、待っていればすぐに来るだろう。


 そうお思い、近くにあったイスに腰を下ろそうとしたとき、ガチャリと扉が開いた。


「お待たせしました」


 一冊の本を脇に抱えて、生徒会長が中へと入ってきた。


 どこかミステリアスな雰囲気はいつも通りだな。


「待ちましたか?」

「いえ、さっき来たばかりです」

「そうですか」

「はい。……?」


 それにしても、あの本、なんだろう? なにかよくわからない文字が書かれているけど。


 さすが生徒会長、外国の本も読むのか。


 ――カチャ。


 うん?


 どうやら、生徒会長が後ろ手で扉の鍵を閉めたようだ。


「あの――」

「――天道さん」

「はっ、はい」


 俺の名前を呼んで、生徒会長は「ふっ」と笑みを浮かべた。


 な、なんだ……? 急に雰囲気が変わったぞ?


「ふふっ。緊張しなくてもいいんですよ?」

「あ、あははは……。あの、その本はなんですか?」

「これですか? そうですね……」


 生徒会長はチラッと本を見てから、顎に指を当てた。


「これは……魔法の本です」

「魔法?」

「なんでも叶えてくれる、奇跡のような代物――」


 ………………。


 全ての光を吸い込むような漆黒の瞳。


 見つめられたら最後、俺は目を逸らすことができなくなった。


 それに抵抗するように後退るが、ドンっとテーブルにぶつかってしまった。


 に、逃げられない……。


「……ふふっ。慌てた顔も可愛いですね」


「…………っ」


 生徒会長の手が俺の頬にそっと触れた。


 ひんやりとしている手のひらの奥に、温かさを感じる。


「あ、あの……っ」

「ふふふっ」


 生徒会長は、お互いの吐息が触れる距離まで顔を近づけてきた。


 天霧さんとは違う、フローラルで上品な香り。


 ドキッ……ドキッ……。


「天道さんは、ほんとに可愛いお顔をしていますね」

「かっ、可愛い……? 俺が……?」


 あ、油断してまた『俺』って…――


「緊張しているのが伝わってきます。ここに」


 と言って、空いている手を自分の左胸に当てた。


「…………っ」


 風呂上がりでのぼせたときのように頭がぼーっとしてきた。


「…――これから、わたくしがゆっくり教えてあげますからね♥」

「な、なにを……?」

「……女の子のことを♥」


 そう言った、次の瞬間、




 ――――――――――――チュッ♥




 唇に当たった、柔らかい感触。


 こっ、これって……


「…………んんっ!!?」


 ぼんやりとしていた意識が一瞬にして覚醒した。


 生徒会室の真ん中で、生徒会長と……唇を重ねていたからだ――。


「――頂きますわ。貴方の、全てを……」




 !? !? !? !? !?


(なにが……起きてるんだ……!?)


 初めての感触に、脳の情報処理が追いつかない。


 でも、これだけはわかる……自分の身体が、それを受け入れようしているのだ。


「っ……んっ……んん……」


 きっと、不思議と安心感に包まれているからなのかもしれない。


(あっ、この人……)


 生徒会長が無理矢理、口の中に舌を入れてきた。


 入れまいと抵抗しようとしても、受け入れてしまっているのだからどうしようもない。


「ちゅ……んぅ……あっ……んんっ」


 お互いの舌を絡ませるキス。所謂、ディープキス。


 離れようにも、身体が言うことを聞いてくれない。


「…………っ」


 魅了されているのだ、この人とのキスに――。


(キスって、こんなにいいものなんだな…………やみつきになりそうだ――)


 この人になら、メチャクチャにされてもいいと、ハナの中にある本能が発しているのかもしれない。


「んっ…………ぷはっ」


 お互いの唇が離れたとき、混ざった唾液が糸を引いた。


「ふふっ」

「はぁ……っ、はぁ……っ」


 今まで息を止めていたからか、息が荒い。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 すると、生徒会長は舌で唇をペロッと湿らせた。


 俺はその扇情的な光景に見惚れて、また…――


『一真っ!!』


 今の声は……


「神……様…………?」

「あら、遅かったですわね」


 生徒会長は誰もいない扉の方に向かって声を発した。


『一真に……一真になにをしたんだ……ッ!!』


 初めて聞く怒気を増した声。


「ふふっ、そう怒らなくてもいいではないですか。眉間にシワが寄ってしまいますわよ?」

『なんだとっ!?』

「ふふっ。神様がなにを言っても、この子はもう……私の『モノ』♥」


 そう言って生徒会長は、思考がとろけ、身体が熱くなっている俺の頬を優しく撫でた。


 そのひんやりとした手が気持ちよくて、無意識に自分から頬を擦りつけていた。


『!!? 一真……?』

「こうなったのも、神様。あなたのせいだということを、お忘れなく」

『なんだと……?』


 生徒会長は徐に、手に持っている本のなにも書かれていない空白のページを開いた。


『!! なにを――』

「言ったはずですわ。この世界を滅茶苦茶にする……っと」


 光り出したページにズラリと文字が並んだ。


『なにを……まさかっ……!?』

「ふふふっ」


 彼女の不敵な笑みとともに、浮かび出した文字が蛇のように扉の方へと向かうと、一瞬のうちになにかを巻きつけた。


『ぐっ……これは……っ。私を、この世界から……排除しようと言うのかっ……!?』

「ご名答」


 そして、なにかを包み込み、その姿を覆いつくした。


『ぁ……がっ……あ……かず…………――――――』


 神様の声は、眩い光にかき消され――俺の耳に届かない。


「……呆気ないですね。神というのも」


 なにもない扉を見つめながら、生徒会長はポツリと呟いてそっと本を閉じた。


「………………」


 彼女は、自分に力なくもたれかかるハナを見下ろした。


 我が子を見つめる、母のような優しい瞳で――。


「一人だけで楽しむから、こうなるのですわ……♥」




 …――――――神様♡

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