第二話 身の上話

――死なない者と死にたい者

              少年少女の願い――


  *


 『どうか僕を、食べてくれませんか?』という言葉に驚いたアネットだったが、アネットは人間を食べたくなかったし、少年には生きていて欲しかった。

 どうにか説得できないものかと、アネットはひとまず、少年から話しを聞く方法を考えた。

「君が死にたいってことは分かったよ。でも、今食べたゾンビでお腹いっぱいになっちゃったんだ。もし君を食べるとして、君の身体を持ち歩くことが大変だろうから、私が住処にしている図書館について来てくれないかな? それに、もし君の命を本当にもらうのなら、君が死のうとしている理由を私に教えて欲しい」

 噓を交えながら、アネットは少年から話しを聞けるように取り計らった。

 少年は逡巡のあと何か納得をしたようで、アネットに返答した。

「……分かりました、あなたについて行きます」

 こうして、アネットは少年を引き連れて図書館へと帰ることになった。


 図書館への帰り道。

 貸し出しバッグから本取り出してポケットに入れ、空いたバッグにゾンビ肉を詰めた。入りきらなかった分はアネットの両手に乗せられている。

 当初の予定では、バッグに入る量になるまでゾンビを食べるつもりだったのだが、食べられる量に限界があると嘘をついた手前、残りの肉は持ち帰ることにしたのだった。

 そのため、バラバラ死体を大事に抱える女とそれに付き従う少年という、大変奇妙でスプラッタな絵面ができあがっていた。

 人間に会わないことを祈りながら、アネットは歩みを進める。

(ううむ、やっぱり早めに大きなバッグを手に入れた方がいいな。それに、肉を持ち運ぶためには、防水加工がされているものがいい。血が出なくても、肉が傷めば液体が染み出てくるみたいだし……)

 ゾンビの肉で汚れたバッグを見ながらアネットは考えていた。

 そんなことを考えながら歩いていたのだが、アネットはうしろをついて来る少年の名前すら知らないことに気がついた。アネットは振り向き、少年に話しかける。

「そういえば、まだ自己紹介もしてなかったね。……ええと、私は何故か正気を保って、何故かゾンビを食べられるゾンビの、アネット・イキルシカ。十七歳の高校一年生。気軽にアネットって呼んで? よろしくね」

 めちゃくちゃな自己紹介だと思いながらも、すべて事実なのだから仕方がない。

「……僕の名前はリョウ・キシネンです。中学三年生で十五歳。リョウでもキシネンでも大丈夫です。よろしくお願いします、アネットさん」

 前を歩くアネットの顔を見上げ、リョウが答える。

(すらっとして大人びた雰囲気もあるけれど、アジア系の血が入っているようで幼さも感じていた。だから年齢が分からなかったけど、中学三年生だったのか)

 アネットは、自分より少し年下のリョウを見て考える。

(リョウは、日本人とのハーフなのだろうか? 気になるが、死を望む理由が人種にあるのかもしれない。デリケートな話題はひとまず避けるべきか……。なんにしても、図書館に着いてからゆっくりと聞けばいいか)

「じゃあ、よろしくねリョウ」

「はい」

(さて、図書館まではこれから三十分くらい歩くけれど、何を話したものか……)

「……なんであの森で祈っていたのかが気になるけれど、図書館に着いてから聞いた方がいいかな?」

 この質問もデリケートな問題ではないかと考えたが、誰もが抱く素朴な疑問だろうと考え、直球で聞く。

「えっと。……少し長い話になるので、到着してからがいいかもしれません」

 そう話すリョウの顔は、なにやら思い悩んでいるようだった。

「そっか……。じゃあ、着いてからにしよっか」

「はい」

 ――それから約三分間、無言の時間が流れた。

(……話が止まっちゃった、どうしよう)

 何か話題はないかとアネットが頭を捻っていると、リョウが話を振ってきた。

「……アネットさんは、何故あの森に?」

「ああ。……あれはね、滝を目指していたんだ」

 ふいに話しかけられ、アネットは少し言葉が詰まったが、すぐにその続きを話す。

「滝の音にゾンビが集まるだろうと思って、食料調達に行ったんだ。森に入って少ししたところで、リョウの人影が見えた。私はそれがゾンビかもしれないと思って追いかけたんだよ。そうしたら、君が花畑で祈っていたんだ」

 リョウを見つけたときのことを思い出しながら、アネットは話し続ける。

「……綺麗だなぁと思っていたらね、そこにゾンビが現れた。そこからは、リョウも知っているよね? 私の目的は、達成できてたんだよ」

「なるほど」

「うん、そうなんだ」

「……」

「……」

(うーん、やっぱり気まずい……)

 アネットにリョウを食べるつもりはなかったが、リョウはアネットに食べられるつもりである。仮にも捕食者と被捕食者という関係である二人の間には、奇妙な雰囲気が漂っていた。

 アネットが再び話題を探していると、少し間をおいてリョウが話しかけた。

「……アネットさんは、本当にゾンビなんですか?」

「……分からないけれど、多分そうだと思うよ」

 世界がゾンビで溢れた理由すら、細菌によるものなのか、寄生生物によるものなのか、はたまた宇宙からの侵略者なのか、一切分かっていなかった。

 (それに、私は突然変異したゾンビなのだろうと思っていたけれど、それが自分に起こった理由だって、やっぱり分からない)

「ゾンビって、美味しいんですか?」

(うん。すごく美味しい)

「……まぁ、美味しいかな? でも、ゾンビ以外の味は感じられなくなっちゃったし、人間の食べ物は栄養にならないみたいなんだ。私の身体はゾンビを食べて栄養を補給していて、そうしないと身体が動かなくなるんだ」

「ゾンビも大変なんですね。……やっぱり、ゾンビよりも生きた人間の方が美味しいんですか?」

 リョウが聞いて来るが、アネットはその答えを知らないし、知りたくもないと思っていた。

「……実は、生きた人間は食べたことがないんだ。ゾンビじゃない死体も食べたことはないよ? だから分からないや。人間を殺したことだってないしね」

「……じゃあ、僕を食べたら味が分かりますね」

 笑顔でそう返すリョウ。  

 アネットには人間を食べたい欲求自体はあるのだが、どれだけ身体が求めても、心は人間を食べようと思わなかった。もちろん、リョウのことも食べたくはない。

 どう返答すべきか迷ったが、否定をせずに話しを終わらせるべきだとアネットは考えた。死を望む理由を聞いてから、アネットなりの意見を言えばいいのである。

「……そうかもしれないね」

 それから暫く、二人は何を話すでもなく図書館へ向かって歩いた。

(リョウは決して悪い子ではない。でも、どうやったら説得できるだろう?)


  *


「じゃあ、話を聞かせてもらおうかな」

 図書館へ着いた二人は、椅子に座って話しを始める。

「分かりました」

 リョウは小さく頷くと、ゆっくりと口を開いた。

「……僕があの森に行ったのは、僕の家族が信じる宗教に関係があるんです」

「宗教ね……」

 世界がこんな有様では、神に縋るのも理解できないことではなかった。

 アネットも一応キリスト教徒ではあったのだが、決して敬虔な教徒ではなかった。それに、ゾンビになった今となっては、そこに救いが生まれるのかは疑問だった。

(神は人間だけでなく、ゾンビにも加護を与えてくれるのだろうか……?)

「僕らの宗教では、信じる者は皆救われるという考えの元、救いの言葉を唱えると死後に願いが果たされるんです。だから、開祖が悟りを開いたとされる樹が植わっていたあの森で、僕は祈っていたんです」

 あの大きな樹は神木だったのかと、アネットは納得する。

「ってことは、リョウはただ死にたいわけじゃなくて、何か叶えたい願いがあるんだね?」

 だとすれば、説得する手掛かりはそこにあるだろう。

(それにしても、言葉を唱えるだけで願いが叶うだなんて、そんな手軽な宗教があるのなら、縋りたくなる気持ちも分かるな。まぁ、死後に叶うっていうところがネックなんだろうけれど……)

 アネットが考えていると、リョウが質問に答えた。

「……僕が祈っていたことは、家族の仇が死ぬことです」

「……仇?」

「はい。今の僕にはとても太刀打ちできる相手じゃないんです。それに、これ以上この世界で生きていても、そいつを殺せる機会はこないだろうと思いました。一人で生きていくのにも限界を感じた僕は、自然へ還ることで願いが天に届き、仇に天罰が下るようにと祈ったんです。あの花畑を選んだのは、開祖が悟りを開いたとされる樹が植わっていたからです」

 神に祈ることは他力本願(他神本願?)ではあるが、追い詰められたリョウにとっての精一杯の選択だったのだろう。

 しかし、ゾンビに食べられることが”自然に還ること”になるのかは疑問だった。それに、自分がゾンビになる可能性までは考えられていないようである。

(でも、リョウは運がいいかもしれない。私がリョウを食べるなら、残すところなくリョウを食べてあげられるだろうから。……まぁ、どれだけ頼まれたところで、食べる気なんてないのだけれど)

「あそこにいた理由は分かった。……仇についての話も、聞いていいかな?」

 リョウは既に一度、死ぬという選択を下してしまった。アネットはリョウの心の内にあるものを、すべて吐き出させる方がいいだろうと考える。死にたい気持ちを少しでも軽減できれば幸いだ。

「……分かりました。……僕の両親が命を落としたのは、僕たち家族が属していたグループ『生存協会』の人間と揉めたことがきっかけでした」

 リョウはそれだけしか話さなかったが、その内容と表情から、悲惨な事件だったのだろうとアネットには伝わった。

(詳細を話したくないのかもしれないけれど、少しでも話して死にたい気持ちを紛らわさせないと。もし生きる糧になるのなら、復讐が目的になってしまっても構わないだろう。とにかく、徹底的に話しを聞こうとアネットは決めた。

「ご両親と生存協会が揉めることになった理由も、聞いていいかな?」

 アネットが顔色を伺いながら聞くと、リョウは表情を変えずに口を開いた。

「……僕にはハナという双子の妹がいるんですが、ある日ハナが行方不明になってしまったんです。そんなハナを探しに行こうとする両親と、それを許さなかった生存協会との言い争いがその発端でした。ハナはその日、僕と両親の三人が調達に行っている間、生存協会で一人留守番をしていたんです。でも、その間に生存協会はゾンビに襲われ、ハナはどこかへ消えました。僕たち家族がハナの不在に気づいたのは、僕たちが生存協会に戻って、騒ぎがすべて収まってからのことでした」

「……妹さんのためか。でも、留守番中に行方不明に?」

「そうなんです。家には争った痕跡もなく、本当に忽然と消えたんです。……でも、僕には一つ心当たりがありました。ハナと僕は少し前に、町の外へと通じる抜け穴を見つけていたんです。きっとハナはゾンビに驚いて、その穴から外へと逃げたんだと思いました。何かあったらここから逃げらようねと、二人で話していましたから。でも、僕たちは知りませんでした。その抜け穴が外へ出ることはできても、中に戻ってはこられない、一方通行の道だということを」

「それで、そのまま行方不明に……」

 リョウの家族がハナを留守番させたのは、ハナの身を案じてのことだった。だが、結果的にはその判断によって、ハナは行方不明になってしまった。

 とはいえ、リョウ一家に対する生存協会の対応も理に適ったものではあった。組織全体をまとめるために勝手な行動は制限されるべきであり、人的資源は復興のためにも大切であった。

 しかし、親が抱いた一人娘を失う恐怖を、担当者は理解できていなかった。

「僕は、日が落ちる少し前に抜け穴のことを父に話しました。でも、相談をしたことが間違いでした。その夜、父は町を出てハナを探しに行こうとしました。それを生存協会副リーダーのフレーキという男に射殺されたんです。ゾンビがまた襲いにきたのだと思い、よく確認せずに射ってしまったとのことでしたが、僕には信じられませんでした。父はよく、調達の際にリーダーから出さた依頼の出来高を、フレーキと競っていると言っていました。それに、邪魔をされることも多かったとも」

「そんなことが……。それで、そのあとは? ハナちゃんはどうなったの?」

「ハナは、結局見つかっていません」

 リョウの表情は先程から少しも変わっていなかった。両親のことやハナのことは、放浪している間に何度も考えたことだった。

「……でも、まだどこかで生きている可能性もあるんじゃないかな? きっと、ハナちゃんはリョウと会いたいって思っているはずだよ」

 辛い思いをしてきたリョウに対して、第三者が楽観的な考えを押し付けるのは不謹慎だろうと思ったが、可能性がゼロではないことは紛れもない事実なのだと、アネットは自分の言葉を正当化する。無責任かもしれないが、今は前を向くべきだ。

「……ありがとうございます」

 どんな意図でリョウの口からその言葉が発せられたのか、アネットには分からなかったが、リョウ自身にも分かっていなかった。それでも、自分に向けられた慰めの言葉に対して、リョウは感謝を示す以外にできることなどなかった。

「実をいうと、ハナの無事を祈ろうかとも考えました。でも、ハナはもう生きていないだろうと思うんです。ハナが居なくなって、既に半年以上が経っていますから」

 話しながら顔が曇っていくリョウに対し、アネットは申し訳なく思った。だが、まだリョウの母親の話しが残っていた。

「……」

「……」

 沈黙が流れた。アネットは意を決し、母親のことを聞く。

「……それで、そのあとリョウのお母さんは?」

 引き続きデリカシーなどかけらもない質問だったが、アネットはすべてを聞かなければならないと考えていた。

「……母は、父が死んでから様子が変わりました。会う人全員にハナを探してくれるように頼み、雑用を多くこなすようになりました。そんな母でしたが、事件から一カ月ほどが経った頃、体調を崩して寝込みました。母は元々身体が強くなく、母の体調が悪化した際は、父が栄養価の高い食料や薬を手に入れてくれていました。でも、僕にはそんな力はなく、母の体調は日ごとに悪化し、それから一カ月ほどで息を引き取りました。……そして僕は、フレーキの元で世話になることになったんです。引き取られた当初は食事すら拒み、部屋に籠っていました」

「仇の家に、天罰を願った相手の家に、住んでいたんだね」

 心の底から憎む相手との生活など、アネットには想像もできなかった。

「……うわさで聞いた話ですが、僕を住まわせることで食料の配給量が増えていたそうです。でも、僕の食事は質素なものでした。ただこれに関しては、相対的に少なかったのだと思います。母はいつも、自分が食べるよりも僕たちに少しでも多く食べ物をくれていたんです」

「……そっか」

 そう語ったリョウの身体はやせ細っていた。食べたい年頃だろうに、食べる量が減っていたところに放浪生活が加わっては、栄養が足りていないのだろう。

(リョウが生きることを選んでくれたなら、まず食べものを探さないと)

「フレーキの家に引き取られても、僕は部屋から出ようとしませんでした。しかし、フレーキはサバイバル技術を教えると言って、特訓という名目で僕を連れ出してはいたぶっていました。拒んでいた食事も無理やり食べさせられました。……でもその結果、この何カ月間かを一人で生き抜いてこられました。皮肉な話ですけれど」

 特訓も放浪生活も困難なものであったことが、リョウの話し声から察せられた。アネットはどう相槌を打つべきか考えていたが、リョウはアネットの反応など気にせず話を続けた。

「ある日、僕はフレーキの調達に同行することになりました。すべてを知ったのは、その前夜のことです。夜中に空腹で目が覚め、少しだけ水を飲もうと思いキッチンへと向かったんです。扉を開けようとしたとき、フレーキとその妻の話し声が聞こえてきました。そして僕は聞いたんです、僕が来てから配給量が変わったこと。母と二人で暮らしているとき、フレーキが配給量をこっそり変えていたこと。……アイツはいつも目障りだった、これは仕返しだ。これで一石二鳥だ」

「それで、疑いが確信に……」

 憎しみ以外の感情を抱けというのは、到底無理な話であった。

「……ええ。そのあと、物音を立てないように部屋へと戻りました。喉の渇きはさらに酷くなっていましたが、そんなことはどうでもよかったです。そして僕は調達当日に、ゾンビに襲われたどさくさに紛れて隊を離れました。それからは、持っていた保存食を食べたり、空き家を漁ったり、野草や昆虫を食べながら一人で生きてきました。でも、そんな生活にも限界を感じて、あの神木のことを思い出したんです。僕はそれを運命だと思いました。なんとかこの町へ辿り着き、森へ入ったんです」

「大変だったんだね」

「僕にはもう、生きる方法も理由も分かりません。だから、あなたにこの命を捧げます。あの花畑でアネットさんに出会ったことも、アネットさんが不思議な力を持っていることも、何か特別な意味がある気がしているんです。アネットさんにの手によって救い差し伸べられるんだと、僕にはそう思えたんです。だからこうしてついてきて、懺悔をする気持ちですべてを話したんです」

 アネットは、いつの間にかリョウに救世主だと思われていた。とはいえ、それは都合のいい存在という意味でしかないのかもしれないが。

(でも、どうせ一度は死んだ命だし、ヒーロー気取りも悪くないかもしれない)

「……じゃあさ、リョウ」

「なんでしょう?」

「私と一緒に生きてみない? さっきも言ったけど、ハナちゃんが生きている可能性もゼロじゃないし、フレーキにも復讐ができるかもしれないよ?」

(私は人を食べることが嫌なんじゃなく、人が死ぬことが嫌なのかもしれない)

 自分の口から出てくる言葉に対して、アネットはそんなことを思った。

「……僕は、もう死にたいんです。もう生きるのには疲れたんです!」

 しかし、リョウは生きることなど諦めていた。

「でも私は、君に死んで欲しくない」

「そんな無責任なこと言わないでください! 僕のことなんてなんにも知らないくせに!」

「なにも知らなくなんてない。私は君のことを、君の言葉で知ったよ? それに、一緒にいたらもっと君のことをたくさん知れる」

「……でも」

 どうしても死から逃れられないリョウに、アネットはなんとか思いついた詭弁を使うことにした。

「君はさ、自殺じゃなくてゾンビに殺されようとしたよね? そして、今は私に食べられようとしている。……もしかしたら、君の宗教では自殺が否定されているんじゃないかな?」

 アネットがリョウの目を見てそう告げると、リョウはその目を泳がせた。

「……」

 アネットは、自分の考えが当たっていたことに胸を撫でおろす。

 実際のところは、リョウの信仰する宗教では自殺に対する考えに様々な意見があったのだが、リョウの両親は自殺を否定する考えをリョウに教えていたのだった。

「でもね、リョウ。自分の手で命を絶たなくても、死ぬためにする行動は自殺なんだと私は思うよ。仮にそれが罪に問われた結果の死であったとしても、死ぬことを目的としてしまったら、それは自殺と同じなんだよ」

 死とは、目的ではなく結果であるはずだ。

「……」

「あと、さっきも言ったけれど、私はゾンビになってからも人間を殺していないし、食べてもいない。そして、そのスタンスを変えるつもりはないよ? だから私は絶対に君を殺さない。むしろ、どんなことがあっても君を守ってみせる」

「なんでそんな、……酷い」

「そうだね。私はある意味、残酷なことをしているのかもしれない。でも、私は君に恨まれたって構わないから、自分勝手に君を守ると決めた。どうせ死ぬつもりなら、少しだけ私に付き合ってくれない? ねぇリョウ、私と生きよう?」

 流石に芝居がかったセリフだろうかと考えるが、アネットがリョウにとっての救世主だとするならば、多少のキザなセリフも許されるだろう。

「アネットさんと、生きる……」

「その中で、どうしても死にたいって君が願うのなら、そのときにはまた私に相談してよ? それがリョウの本心だと分かったら、私はその願いを絶対に叶える。そう約束する。ねぇ、私は君の救いなんでしょ?」

(これくらいのことを言って、リョウを引っ張ってあげなくちゃ)

「本当に死にたくなったら、相談。……僕の、救世主」

「どうかな……?」

 リョウはアネットの顔を見て迷っていた。アネットは優しくリョウへ微笑みかける。リョウはその微笑みから視線を逸らし、頬を少しだけ赤らめて口を開いた。

「じゃあ、……これから、よろしくお願いします」

 こうして、ゾンビは少年の救世主となった。


  *


「あの、アネットさんは何か目的ってあるんですか?」

(私の目的か……)

「……とりあえず、両親の安否を確認したいとは思ってるんだけど、ゾンビになった娘が突然現れても迷惑かと思って、会いに行く決心がついていないんだ。だから、この図書館で本を読んでいたんだよね」

「すぐにでも、会いに行くべきだと思います!」

 リョウに話せば会いに行くべきだと言われることは、アネットにも分かっていた。

「……やっぱり、そうだよね?」

「僕も一緒に行きますし、大丈夫ですよ。じゃあ、アネットさんの目的はご両親に会いに行くことでいいですね?」

「うん、ありがとう。……ねぇ、一つ質問してもいいかな?」

「ええ」

「私の見た目ってどう? おかしくない?」

 ゾンビの身体がどう映るのか、第三者視点で評価してもらうべきだろう。

「アネットさんは、綺麗だと思いますよ」

 顔を逸らしてリョウが告げる。

「ありがとう。そう言ってくれるってことは、人間に見えてるってことだよね? 私、ゾンビっぽくない?」

 その言葉に、リョウは初めて会ったときのアネットを思い出した。

「そういえば、森にいたときよりも顔色が良くなっているかもしれません」

「本当? 実はね、私の身体には血が流れているみたいなんだよ。そしておそらく、ゾンビを食べることでその血が作られているみたいなんだ」

「……アネットさんって、本当はゾンビではないのでは? ゾンビに対する抗体を手に入れた、特別な人間なのではないでしょうか?」

「うーん、どうだろう? 今の私って人間っぽくもないんだよね。どんなケガをしても、ゾンビを食べれば治るんだ。潰れた足の指だって、いつの間にか生えていたんだから」

「……なんだか、トカゲの尻尾みたいですね」

 リョウは潰れた足の指が生えるということを上手くイメージできず、適当に相槌を返した。

「確かに似ているかもね。それに、人間を食べたい衝動もあるにはあるんだ。でもそれ以上に、食べたくないと思っている。あと、ゾンビに認識されないんだ。だから総合的に考えて、自分のことをゾンビだと思っている」

(でも、もし私に抗体のようなものがあって、ワクチンが作れたりするのならば、本当にこの世界の救世主になれるかもしれない)

「なるほど。科学者にでも診てもらいたいですが、下手にゾンビだと打ち明ければ、実験材料にされたり、問答無用で殺される可能性もありますね……」

「でも、賭けてみる価値はあるかもしれないね。……それで、話しは変わるけれど、リョウの目的はハナちゃん探しと、フレーキへの復讐でいいのかな?」

(今後の行動予定を立てるために、もう一度確認しておくべきだろう)

「ハナがどこかで生きているとしても、死んでしまっているのだとしても、簡単には見つからないと思います。それに、フレーキへの復讐も、そう簡単にできるとは思っていません。今はまだ、そこまでの危険を冒す必要はないと思います」

 リョウがフレーキへの復讐を神に祈ったのは、自分の道連れになることを願ったからであった。復讐は死ぬ理由にはなったのだが、生きる目的にまでは至らなかったようである。少なくとも、今のところは。

「じゃあ、優先すべきはハナちゃん探しだね。行きそうな場所とかって、少しでも心当たりはある?」

「……特にありません。……いや、可能性があるとしたら、僕たちが住んでいたフローのあたりでしょうか? ……どうして今まで思いつかなかったんだろう」

 その言葉にアネットは驚いた。

「あれ、リョウってフローに住んでたの? 私の実家もフローだよ? 親友と一緒の高校に通うため、こっちの学生寮に住んでたんだ。……でも、家がフローなら、リョウはどうしてこんな遠くに?」

「僕たちは、世界がこんなことになる前に、家族で旅行にきていたんです。その帰りに世界がこうなって、車は事故に巻き込まれて、それからずっと生存協会で暮らしていたんです。……そういえば、アネットさんはいつ頃その身体になったんですか?」

「私は、世界がこうなってから、実家に帰れなくて学校で暮らしていたんだ。学校は金網に囲まれていて、ゾンビは入ってこられなかった。非常食も大量にあったし、校庭を耕して作物も作っていたんだ。それが八カ月くらいは続いたのかな? ……そういえば、ずっと一年生だと思っていたけど、私はもう二年生なのかな? まぁ、ゾンビの年齢は変わらないのかもしれないけれどね。ちなみに、授業はずっと続いていた。高校を卒業なんてできないだろうし、大学に通うことだってないし、就職もしないと分かっていたけれど、私たちは学びを止めなかったんだ。多分、すべてが変わってしまったことを実感するのが怖かったんだと思う。先生たちも、そんな日常を維持するのが生徒のためだと思ったんだろうし、先生自身も救われていたんじゃないかな」

「アネットさんも、色々と大変だったんですね」

「まあね。しかも、目が覚めたときにはクラス全員がゾンビになっていたからね。でも、ゾンビになったときの記憶は曖昧で、噛まれた覚えもないんだ。他のクラスのゾンビたちは学校を離れて散り散りになっていたみたいだけれど、私のクラスは瓦礫に埋められて外に出られなかったんだ。私が目覚めて瓦礫をどかしたことで、私たちは学校から抜け出した」

 あのまま瓦礫に埋もれていれば、クラスメイトたちが食べた人間が死ぬことはなかったのかもしれないと、アネットは今更ながらに思った。

(そういえば、人間を食べたクラスメイトを食べたんだから、間接的にではあるけれど、私も人間を食べたことになるのだろうか? でも、ゾンビが食べたものは体内には残らないみたいだし……)

 そう思いながらも、アネットはどこか気持ち悪さを感じていた。しかし、胃の中には何も存在せず、生体機能を失った身体はえづくこともなかった。

「大丈夫ですか?」

それでも、アネットの異変を感じてリョウが心配する。

「うん、ちょっと嫌なことを思い出しただけ、ありがとう。じゃあ、明日はフローに向けて出発でいいかな?」

「はい!」

 リョウが元気よく答えると同時に、お腹が大きく鳴った。

「リョウ、やっぱりお腹空いてる?」

「……はい。しばらく何も食べていなくて」

 リョウは頬を赤らてアネットに告げる。

(死を覚悟していたから空腹も紛れていたのかもしれないけれど、明日の話しなんてしたら、お腹だって空くよね)

「じゃあ、明日はまず食料を探そうか! ……ゾンビ肉ならあるけれど、リョウは食べないよね?」

 アネットは冗談で言ったのだが、そのジョークはリョウにとって笑えるものではなかった。空腹の辛さに、リョウはゾンビの肉も焼けば食べられるのではないかと少しだけ考えた。

「……はい、食べません」

 (そういえば、人間はゾンビの肉を食べたらゾンビになるのかな? 創作物では、平気でゾンビの返り血を浴びていたりするけれど、感染しないのか疑問だったっけ。でも、ゾンビがどうやって移るのかが分からないんだから、むやみに誰かに触ることは避けるべきなんだろうな)

 アネットは考えながら、図書館内を探索して食べ物を見つけていたことを思い出した。

「……あ! この前この図書館で保存食を見つけたんだっけ! ええと、どこだったかな……、ちょっと探してみようか」

「本当ですか⁉ 探しに行きましょう!」

 それから二人は図書館内を探索した。

 事務室や貸会議室等を探し回り、ブロック状のバランス栄養食品とチョコレートを発見したのだった。


「……アネットさんも、食べます?」

 リョウはアネットに気を使ってくれているようだ。

「大丈夫。さっきも言ったけど、味が分からないし栄養にもならないからね」

「……」

 リョウは栄養食品を見つめて何かを考えている。

「どうしたの?」

「でも、食べることはできるんですよね?」

「……うん」

「一緒に食べたいなって。ずっと一人だったから。……じゃあ、アネットさんはゾンビのお肉でもいいので、一緒に食事をしませんか?」

 リョウにそう言われ、アネットは考える。

(目の前でゾンビ肉を食べられるのは、きっといい気分じゃないだろう。それに、肉片が飛んだりしたら、衛生上よろしくない)

「……そっか。じゃあ、私もちょっとだけ食べようかな。リョウのを、ほんの少しだけ分けてもらうね。少しでも食べて、明日はたくさん食料を探そうね」

「はい!」

 栄養食を少しだけもらって口へと運んだ。やはり、味も食感も分からない。

(そういえば、私も誰かと食事をするのは生きていた頃以来だな)

 友人と食べた昼食や家族での食事を思い出しながら、アネットは栄養食を飲み込んだ。

「こっちも、どうぞ」

 チョコレートも一粒だけもらう。

 リョウからもらったチョコレートは、アネットの口の中では溶けることもなかったが、ほんの少しだけ、アネットはその甘さを感じられた気がしたのだった。

  

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