第7話 危険遊戯

会長と別れたあと、その言葉に従い、まっすぐ家へ帰ることにした。

冬は日が落ちるのが早く、辺りはすっかり暗くなっている。

殺人事件があったということで少しばかり薄気味悪さを覚える。

気がつけば、霧がかかっているのか前方が見えにくくなっている。

なんだか目がズキズキと痛み始めている。

今朝と同じだ。

銀色の女と出会った時と同様に、目が何かに反応している感覚。

早く家に帰って休もう。

足取りを速める。

だが、すぐに異変に気がついた。

どれだけ歩いても家に着かない。

「どうなってるんだ…?」

疑問が頭をよぎる。

おかしい。

もう家についていなければおかしい。

寄り道はしていない。

後は真っ直ぐ進めばいいだけだった。

なのに…。

混乱する俺の背後から、不愉快な音が響く。

咀嚼音。

口を閉じずに物を噛む音。

振り向けばそこには一人の男が立っていた。

口を動かし、不愉快な音を出している。

分かっている。

これは異常事態だ。

こんなあからさまにヤバい状況はありえない。

「あんた、なんだ?何者だ?なんでこんなとこにいる?」

浮かぶ限りの疑問を男にぶつけるが、答えはない。

自然と拳に力が入る。

間違いない。

この男は危険だ。

近づいてくる男に対して距離を取る。

目が痛むものの、決して目線を反らさない。

そして、男は止まったかと思うとこちらに向けて走り出してくる。

振り上げられた拳は明らかに俺を狙っている。

目を凝らし、男の拳を躱した。

「なんだってんだ!」

蹴りを放って再び距離を取る。

強めに蹴ったため男の体もぐらつく。

一瞬だけ目があった。

視点も定まらない異常な目だ。

俺は感じていた疑問を口にする。

「あんた、例の殺人事件の犯人か!?」

相変わらず答えは返ってこない。

変わりに男の動きが速くなる。

なんとか紙一重で攻撃を躱すものの、段々とその速度が上がり目で追うことが不可能になってくる。

そして、遂に男の拳が俺の腹部にめり込む。

「がっ!」

俺の体は声も出ずに崩れ落ちた。

強烈な痛みが広がり、うずくまってしまう。

俺に一撃を与え満足したのか、男の動きは緩慢なものになり俺を見下している。

駄目だ、体が動かない。

目の痛みも加速し、今は開けていることすらつらい。

男の両手が俺の首に回される。

体が引き起こされ、足が浮く。

そして男の手に力が入った。

「かっ…はっ…」

意識が遠くなる。

体に力は入らず、手足はだらりとぶら下がっている。

死ぬのか、俺。

嫌だ。

嫌だ。

死にたくない。

嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない嫌だ死にたくない!

頭の中で何かが弾けた。

腕に力を入れ男の腕を握る。

そして持てる力を振り絞って男の顔面に頭突きを叩き込んだ。

首に回された手は放され体は自由になる。

視界が変わる。

世界が変わる。

目の痛みは無くなり、その代わりに先程まで見えていた世界は消え失せた。

見える。

世界を塗り変えている異常事態が目で見える。

そしてこの目で男を見る。

目の前の男はやはり普通じゃない。

俺の体とは明らかに映り方が違う。

歪で歪んだ人間の形をしたなにかだ。

男は再び俺に襲いかかる。

遅い。

あれだけ早かった動きを全て目で追える。

いや、この感覚はそんなものじゃない。

俺はもうこの異常者を理解した。

考える必要がない。

動きに合わせて全力のカウンターを叩き込む。

男の体は宙を舞いながら吹っ飛んだ。

そして、そのまま動かなくなった。

「はぁはぁ……あ?」

視界が元に戻っていく。

男に見えていた歪みがもう見えない。

それと同時に頭が冷静になっていく。

「…死んだ?」

男は倒れたままピクりともしない。

恐る恐る呼吸を確かめる。

息をしていない。

その瞬間、自分が恐ろしいことをしてしまったと気づいた。

襲われたのは事実だ。 

だから、反撃をした。

結果、男は死んだ。

俺の中の何かが崩れていく音がした。

「う、ぁ……」

足が後退する。

もうこれ以上ここにいたくない。

すぐにこの場から逃げ出したい。

「うあああぁぁぁ!!」

気づけば俺は、叫びながら駆け出していた。

あれだけ深かった霧はすでに消えていた。

全力で走ればすぐに家につく。

肩で息をしながら玄関の鍵を開けようとする。

「は、はぁ…あれ?」

鍵が、空いている。

おかしい。

家を出るとききちんと鍵はかけたはずだ。

「なんだよ。何が起きてるんだよ…」

さっきまでの異常事態はまだ終わっていないようだった。

居間から電気が漏れている。

誰かが家に入った証拠だ。

傘立てに差してある傘を護身具代わりにしながら廊下を進む。

そして、居間の前にまで来た。

間違いない。

先客がいる。

この家に住んでいるのは俺しかいない。

頭をよぎるのは、さっき自分が殺してしまった殺人犯と思われる男。

もし、次あんなことになったら。

動かなくなった男がフラッシュバックする。

頭を振って目の前で起きていることに集中した。

居間にいる誰かが襲ってきたら傘で応戦して取り押さえる。

大丈夫、次は。

意を決して一気に居間のふすまを開けた。

すると、

「あ、おかえり〜!お邪魔してるね〜」

間延びした声が聞こえた。

そして居間には、今朝、森で話した、忘れらない銀色の女が座っていた。

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