第12話 袴デビュー

 航輝の部活は、順調だった。


 運動は、初めてだという航輝に、瑠璃は、腕立て伏せと腹筋をするように進めた。本当は、ランニングもやってほしかった。だって、部活動中に走る航輝は、とても遅い。


 でも、ちゃんと最後まで走っているようだからいいか。


 筋トレは、うまくいっているようだ。2週間ほどで、「座右弓」という弓道の練習用具の一つである、ゴム弓も上手に弾けるようになっていた。


「『筋肉は裏切らない』てあるテレビ番組で言っていたけど、その通りでしょ?」

 瑠璃は、ゴム弓の練習が終わった時、航輝に話しかけた。

「そのようだ」

 航輝が感情なく答えた。


「このあと、1年生は、射法八節の練習です。今日は、渡辺先生、直々の指導です。しっかり学んでください」

 大谷部長が、伝えた。

「はい!」

 元気な1年生の声が響く。瑠璃も航輝も、しっかり返事をした。


 射法八節の練習では、足袋をはく。最初は「こはぜ」がうまく止められなくて、四苦八苦していた航輝も今はすんなり履ける。昼休みの特訓が功を制している。


 ただ、ジャージに足袋の姿は、どんなにかっこいい航輝でも、いけてない感じを漂わせてしまう。瑠璃は、その姿を見て、一人で眉間に眉を寄せていた。


 渡辺先生の指導は丁寧で、わかりやすい。そして、一人ひとりに、声をかけてくれる。質問もしやすい雰囲気を作ってくれるので、怖じけずづくことがない。


 先生の指導を受けたり、同級生同士で、姿勢をチェックしたりしていると、普通の高校生となんら変わりない航輝。瑠璃は目の端で、そんな彼の姿を捉えて、嬉しく思った。


 日が経つにつれ、新入部員は、一人、また一人と減っていく。新入部員の練習は、筋トレとランニング。そして、ゴム弓引き。そして、型を覚えること。


 初めから、袴を履いて、かっこよく矢を射るわけではない。


 というか、弦を引けないというのが正確だろう。その基礎トレーニングが嫌でやめていく人が多いのだ。また、袴姿に憧れて入ってきた学生もいるので、その袴がなかなか履けないのだから、嫌気が指すのだろう。


 だが、瑠璃と航輝には、弓道は新鮮だった。


 瑠璃は、「立ち方」一つにも、意味があることが楽しかった。航輝は、「残心」と言う言葉に惹かれた。それぞれの受け取り方を、大事にしてくれる渡辺先生の指導も頼もしく、二人は部活の時間に没頭していった。


 そして、先輩たちが言っていたように、6月の終わりに二人とも無事、袴デビューを果たしたのだ。


 先輩たちに、着付けをしてもらい弓道場に出た1年生たちは、たった8人だった。最初は30人以上いたはずなのに。


 渡辺先生から激励をもらい、今後の練習方法を大谷部長から説明を受けた。ピカピカの胴着をきた1年生全員の目が輝いていた。


 瑠璃の大好きな春日も、笑顔で私たちをたたえている。ただ、やはり顔色が悪い。瑠璃の着付けは、春日がやってくれた。瑠璃は、その時、彼女の腕に、鈍い群青色のアザを見た。かなり大きなアザになっているようだった。


 瑠璃は、聞いていいものかどうかわからず、そのままにした。何もなければいいのだけどと、思わずにはいられない。


 それから、少し経ったある日、瑠璃と春日は、更衣室で二人きりになった。

「加瀬さん、道着を着るのはもう慣れた?」

「まだなんです。でも、春日先輩と一緒だから、なんとかなりそうだと思っていたところなんです。こっそり教えてください」

「こっそりだなんて、ちゃんと教えます。安心して!」

「ありがとうございます!」

 瑠璃は、笑顔で春日にそう言った。


 道着の下には、Tシャツなどを着る。春日は、体を隠すように、Tシャツを着た。その時、ちょっとだけ、背中が見えた。前に見たような青あざが背中にある。それも、複数だ。


 瑠璃は、目を見開いた。

「――え!なに?」自分の目を疑った。


 明らかに、転んだとかではない。春日が振り向いた。

「ほら、早くシャツを着て。帯の締め方が問題なんでしょ?」

 笑顔の春日が目の前にいる。瑠璃は、その笑顔につられて、引きつった笑顔を作るのが精一杯だった。着付けを教えてもらっている時も、青あざが気になってならない。


「はい、おしまい。一人で着れるようになるのはすぐよ」

 そう微笑む春日。


 「青あざは、なぜ……?」


 瑠璃は、その言葉を飲み込み礼を言って、二人で道場に向かった。


 道場に入り一礼。すでに、着替えの終わった部員たちが、柔軟体操している。その中で、大きな声が聞こえる。3年の伊達先輩が、後輩と話している。


 多分、後輩を相手に、指導中だろう。


 後輩部員はこの伊達を「教えたがり」と影で呼んでいる。とにかく、彼は、話が長い。そして、一度つかまったら、最後。自分が飽きるまで指導を続ける。


 先生や部長がいない時に、彼の指導を受けるだけで、1行射(ぎょうしゃ)もなく、部活動の時間が終わったと言う伝説さえある。行射(ぎょうしゃ)とは、矢を射ることを表す弓道用語だ。


 もちろん、先生や部長は、彼の行動があまりにも行き過ぎると止めてくれる。しかし、隙を見て、また同じように指導を始めるのだ。


 同学年からも、煙たがられている。しかし、同学年は態度に出せるが、後輩は、そうはいかない。煙たがっていても態度には出せない。それをいいことに、やりたい放題だ。


 そして、今、彼にとって、自分の教えたい本能を十分満たしてくれる時期となった。そう、教えてもらわなければ、何もできない1年生。いい餌食となる。


 大きな声で、弓道用語を連発して後輩に話をしている。そして、集中力とは云々などと、語っている。

「それって、昨日、渡辺先生が言っていたことだろう」

 瑠璃は、ツッコミを入れたくなった。聞き流そうとしても耳に入ってくるからも、困る。


 早く先生来ないかな。


 練習が始まると、道場に気持ちの良い緊張感が生まれる。


 道場では、3年生から順に行射が始まる。学年別に、渡辺先生の指導を受けるのだ。その間、1年生と2年生は、道場脇で、巻藁と板で簡単に作られた的を利用して、練習する。もちろん、ゴム弓も使う。2年の先輩たちが交代で、1年生の面倒を見てくれる。


 3年生の行射が終わると、次は、2年生が道場で行射に入る。


 そして、伊達先輩が道場脇にきた。瑠璃からすると、舌なめずりをしているようにも見えるから不思議た。道着にも慣れていない1年生は、教えたがりの彼の気持ちを満足させる旬の食材だ。伊達も悪気はないのだろうが、自分だけいい気分になっているところが困る。


 例えば、瑠璃は、比較的春日に教えてもらうことが多い。しかし、時々、伊達がちょっかいを出してきたりする。春日を押しのけて、瑠璃に説明しまくるのだ。そして、自分だけが弓を引くので、瑠璃は見ているしかない。練習量が、ぐっと減ってしまうのだ。


 その調子で、他の部員にも接する。だから、1年生全員が、伊達に捕まるまいと、他の先輩確保に余念がない。


 それができないのが航輝だ。いつも、最初は伊達先輩に捕まる。しかし、少し経つと、なぜか他の先輩に変わっている。ほとんどの1年生は、一度つかまったら最後、2年生と入れ替えになるまで、付きまとわれる。それに気づいた瑠璃は、航輝も結構やるなっと感心していた。


 部活が終わり、珍しく瑠璃と航輝は一緒に下校した。

「ねぇ、伊達先輩のことなんだけど、航輝くん、上手にかわしているじゃない?何か特殊な能力使っているの?」

「いや、特に何もしてないけど」

「え、違うの?私は、てっきりそうだと思ってたんだけどな」

「あえてしていることは、質問かな?」

「質問?」


 航輝が言うには、伊達の視野に自分が入らないようにすることはできる。だが、航輝としては、そこまで避けなければいけない人物ではない。他の部員のように、うまく立ち回るのは苦手だ。

 

 ただ、航輝は日本語が苦手だ。っというか、曖昧な表現が苦手なので、そこを質問する。伊達先輩が、説明は、必ずわからないことがあるから、それを聴きまくっているのだ。


 伊達先輩は、所詮学生。質問に一つ一つ答えていると、自分が教えたいことを最後まで言い切れないので、不燃焼になる。そこで、航輝から離れていくようだと教えてくれた。


「そうなんだ。航輝くんの技ね、それ。」

「意識してやっているわけじゃない。わからないから、わからないと言っているだけだなんだけどさ。所詮相手は、高校生だ」

「ふーん、私もやってみようかな」

 航輝から、返事はない。


 瑠璃と航輝は、夕暮れの中を二人で歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る