第10話 お掃除しましょっ!
航輝との高校生活は、瑠璃にとって、ある面カルチャーショックだ。自分には、当たり前のことが、角度を変えてみると当たり前ではないのだと理解する日々だ。
その一つが、学校の掃除。小学校からずっと、自分たちの教室と音楽室や理科室などの掃除を分担して、毎日行う。日本では、当たり前。高校でも同じだ。
航輝が転校してきた当日、ホームルーム終了後、クラス全員が掃除の体制に入った。机を移動する者、教室から出ていく生徒もいる。航輝は、何が起こったのか理解できずにいるようだった。瑠璃は、それにすぐ気づいた。
「あの、これから掃除をするの。航輝…早川くんは、私と一緒の班だから、今週は、教室の掃除よ。今日は、机を移動させて掃除する日だから、机の移動を手伝って」
航輝は、戸惑いながらも、見よう見まねで掃除をした。
もちろん、その後、航輝から瑠璃は、お呼び出し。質問内容は、当然「なぜ掃除を学生がするのだ」ということだ。
航輝が憮然としている。その時は、「掃除がそんなに嫌だったのか、結構、王様気質なのかな」と瑠璃は考えた。
「日本では、教室の掃除は学生がやることになっているの。特別な私立の学校はどうだか知らないけど、ほぼ日本全国の小中高の学校では、放課後の掃除を生徒がするのよ。自分たちの使う教室は、自分たちで掃除をするというのが、日本の教育の一環なのよ」瑠璃は説明した。
「考えられない……掃除は、掃除のプロがやるのではないのか」
「海外では、そうみたいね。でも、日本は違うのよ。私も不思議に思って子供の頃調べたけど、日本の学校の起源が関係しているみたい」
瑠璃も航輝に質問されるまで、「授業後は掃除をする」ということに疑問を感じたのを忘れていた。
瑠璃は、小学校に入ったばかりの時、3年生が自分たちの教室を掃除に来てくれたのを覚えていた。小学校1年生は、まだお掃除の方法がわからないので、お手本のためだ。自分たちよりずっと背の高い人たちが、教室にいっぱい入ってきて、ちょっと驚いたのを覚えている。
その時、なぜお教室の掃除を自分たちがするのだろうと不思議に思った。そして、父と一緒にネットで調べたのだ。初めて、父のパソコンを触り、使い方を教えてもらったことを思い出した。漢字も読めず、言葉の意味もよくわからない。父は、根気強く説明をしてくれたっけ。そんなことを思い出しながら、航輝に説明した。
学校の掃除を生徒がするような習慣は、もともと、日本の学校の起源が「寺子屋」だったからだ。お寺の一角を利用させてもらって、読み書きを教えてもらう手習いが学校の始まりだ。先生は、武士や僧侶。その頃の武士は、金欠気味の人が多かったので、積極的に教えていたようだ。
その手習いの後、掃除をするのが習わしだった。お寺を使わせていただいたという、感謝もあっただろうが、仏教では、掃除も教育の一環とされている。読み書きだけでなく、掃除も学ぶ。それが有力な説。あとは、武道の精神が反映されているとも言われている。
諸外国では、学生が自分の教室を掃除する習慣はない。しかし、生徒が教室を掃除するのは、日本だけのことではなく、仏教国である中国やタイでも行われている。
ただ、日本の場合、一概に宗教の問題でもないようだ。実際、日本のキリスト教系の学校でも、生徒は教室を自分たちで掃除している。日本人の掃除の習慣は、宗教を飛び越えている。
「それに、掃除して綺麗な方がいいでしょ」そう明るく言って、瑠璃は、締めくくったつもりだったが、航輝が続けた。
「しかし、今までの私の経験では、掃除をする人が必ずいた。イギリスの大学の寮にいた時は、食事の用意から、洗濯までしてくれる人がいた。勉強に集中するためだ」
「航輝くん、日本でも大学生は、掃除しないわ。それに、今回は高校生。そして、人間生活密着取材でしょ?過去は忘れて、日本文化に密着してください」
瑠璃は、だんだんと声のトーンが下がってきた。
「そうかもしれないが……」不満げな航輝。
「たいした掃除じゃないじゃない。諦めてよ」
瑠璃が、ちょっとうんざりした様子で答えた。
「『掃除が教育』と言うのなら、もっときっちりやることが必要なのではないか。掃除の後に、綿埃がまだ残っていた。それは掃除とは言えまい」
「そこですか――」瑠璃は心の中で思った。航輝は、掃除が嫌なわけでなく、いい加減な掃除が嫌なのだ。高校生にそこまで望むのは、無理があると思う。航輝が高校生の生活を謳歌する日は、遠いのではないだろうかと空を見上げて思った。
そしてピンっときた。
「航輝くん、自分のお部屋の掃除は誰がしてくれているの?」
「それは、掃除のプロが来ている。日本にいる仲間が手配してくれた」
「家政婦さんか、何かね」瑠璃は、そう言って息の吸い直し、続けた。
「で、あれば。その人を断り、ご自身のお部屋を『修行』となるほど綺麗にお掃除してください。別に、学校の掃除を手を抜けとは言わないわ。でも、航輝くんのこだわりに付き合っていたら、学校の掃除は時間内に終わらない――」
妙な余韻を残して瑠璃が言い切った。
航輝は、黙って瑠璃を見た。
「『適当にやる』を覚えろと?」
「そーゆー日本語は知っているのね。航輝くんの言う『適当』とは、『手抜きする』みたいな意味で使っているでしょ。でもね、『適当』とは『的確に的を得る』と言う意味でもあるの。学校の掃除は、時間内に効率的にやることが求められるわ」
瑠璃は、話をしていて、なぜ掃除ごときにここまで説明しなきゃならないのだろうと内心思った。多分、自分の行動を正当化するために言っている。
瑠璃も効率を考えて、学校の掃除をしたことなどない。小学生の頃からやってきたように、箒でゴミを集めて、黒板拭いて終わりだ。手が空いていれば、窓拭きをする。棚を拭く。もう決まっているのだ。
ただ、「どうしてやらなくてはならないのか」と言われた時、「みんながやっているんだから、やる」以外の説明は思いつかない。それを、なんとなく航輝に責められたような気がしたのだ。
たまたま、瑠璃は昔調べて、学生の掃除の理由を知っていた。けど、それでも、心のどこかには「みんなと同じように行動する」と言うことが染み込んでいるのだと感じた。
瑠璃は、ちょっと言い訳がましく航輝に言った。
「私は、なるべく自分で考えて行動するようにはしているの。でもね、それでも、オートマチックに行動していることは多いよね」
「オートマチック?どういう意味で使っている?」
「何も考えずに行動しているということよ。知らず知らずのうちに、『当たり前、当たり前』という言葉で逃げている」
「人間とはそうしたものではないのか?」
航輝のその一言で、瑠璃は、なんとなく救われたような気がした。
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