第9話 旅から帰って
下鴨神社の流鏑馬の練習後、約束通り下鴨神社をお参りした。下鴨神社には、干支の神様が祀られている。瑠璃は、自分の干支のお社をさがした。
「私たちの干支のお社よ。日本では、干支を聞かれることもあるから、気をつけてね」
「なんで、干支を祀っているのだ?」
「さぁ、なぜかしらね。大國さんが、干支の守護神だからって言われているわ。それ以上は、私も知らない。調べてみる?」
「いや、いい。それより、日本では干支で年齢を聞くのか?」
「うん、『干支はなんですか?』と聞かれることもあるのよ」
「面白いな。私が知っている干支は、日時や方角を表すためのもだと思っていた。干支の初めは中国で、農耕民族の生活に合わせて、日、月、年や時間、また角度、物事の順序などを示すのに考え出され、用いられたものだ。選ばれた文字については、諸説ある。その後、文字に合わせて適当に動物をあてがった――というのが、一番有力な説だ」
瑠璃は、これを聞いて思いついたことがあった。
「へぇ、そうなんだ。その適当にあてがった動物の昔話があるのよ、日本には」
そう言って、昔話を話した。
「面白いな、昔話とは」
昔話を聞き終えた航輝は、和んだ顔を見せた。
そんなやり取りをしながら、過去を後にして、弓道部の部室に戻った。
「航輝君、ありがとう。流鏑馬を見ることができたし、過去にも行けた。過去に行ったって感じじゃないのが不思議よ」
瑠璃が航輝に伝えた。
「それは良かった。それより、小笠原流とか言っていたが、それは何だ?」
「あれ?まだ説明してなかったかな?弓道には、流派っていうのがあるの。まぁ、弓道に限らず、他の武道もそうなのだけど。――なんて言えばいいのかなぁ……主義とか様式が違うの、それぞれの流派でね。弓道で有名な流派は、小笠原流、日置流とかね。それ以上は、自分でスマホで調べてくれる?」
「そっか、すまん」
「あっ、でも、ここの弓道部では、『全日本弓道連』の体配を行なっているわ。渡辺先生は、確か小笠原流の方のはず……よ」
「色々あるのだな」
「うん、でも小笠原流は、矢が的にあたることより、矢を射る時の姿勢に重視を置いている流派の」
「的にあたるより、姿勢か」
「うん。それに、確か先輩の誰かが、言ってたわ。渡辺先生が指導してくれるようになってから、部員の姿勢がものすごく良くなったって」
渡辺先生が指導するようになったのは、瑠璃が入学する前だと聞いている。そう言っていた先輩もすでに卒業した先輩から聞いたのだろう。その通りで、現在、この高校の弓道部は、綺麗なフォームを保っている。
「早く、矢を射ってみたいわ」
瑠璃は、遠くを見るめで呟いた。
コン、コン、コン。
その時、部室のドアをノックする音がした。
「どうぞ」瑠璃が答えた。
ドアが開くと、3年生の春日栄子が、立っていた。いつもは、後ろで縛っている髪を下ろしている。クリクリの目の可愛らしい先輩だ。
「指導中、ごめんなさいね。お花を飾りたくて来たの。いいかしら?」
瑠璃は、立ち上がって礼をした。
「お疲れ様です。もちろんです、どうぞ」
航輝も、静かに目線を落として、礼をした。
「お疲れ様です」
春日は、園芸部でもある。花壇に咲いた花を、時々、道場や部室に飾ってくれる。
道場には、神棚があるがそこには花は飾らない。壁にかかっている一輪挿しに季節の花を添えるという感じだ。春日が手にしている青い花に瑠璃が気がついた。
「先輩、その花は、なんていう名前なんですか?かわいい……」
「あっ、これね。丁字草(ちょうじ)というのよ。園芸部で育てたら、うまく咲いてくれたの」
「珍しい花ですよね、あまり見ない花だけど?」
「うん、本来は、川岸や湿原に咲くみたい。野生のものは絶滅危惧種と聞いたわ。これは、用務員さんが苗を育てて、持って来てくれたものなのよ」
「ふーん、すごいですね、園芸部!」
「園芸部っていうより、用務員さんがすごいのよ。とっても助かっているんだ」
そう言って、春日は、部室の一輪挿しを手に取った。そして、ちょっと航輝を見て、笑顔で言った。
「男子更衣室に入るわね。お花を飾りたいの。誰かいると、男子更衣室には入れないし……」
「それで、お昼休みに、わざわざ来てくれているんですね、春日先輩は」
瑠璃は、感心した。それを聞いて、春日はふふっと笑った。
「男子は、お花なんて気付かないと思うけど、せっかくだからね」
瑠璃は、顔がほころぶのを感じた。優しい気配りが、ここにはある。
「じゃ、瑠璃ちゃん、ご指導、続けて」
「先輩、手伝いますよ」
瑠璃が、後を追おうとすると、それを春日は手で制した。
「いいの、一人でできるわ。邪魔をしたくはないの」
そう言って、静かに一輪挿しを持って、移動して行った。
「じゃ、続きをしようか。それと、ありがとう。ちゃんと、春日先輩に挨拶してくれて。まだ、ちょっと慣れていないみたいだから、心配しちゃった」
嬉しそうに瑠璃は、航輝に言った。
礼は、作法の一つだという。
お互いに挨拶するのは、敬意を表すために必要だという。特に稽古を指導してくれる先生や先輩、もちろん同級生にも、自分を向上させてくれることに感謝する。それを表すのが「礼」となるという。
これは、すんなり理解できた。しかし、「道場に入るとき一礼して入る」と言われた時は、人間的に言えば、頭の中が真っ白になった。
その様子を察して、瑠璃が理由を説明してくれた。
武道の道場に入るとき礼をするのは、「道場を使わせて頂きます」という感謝の気持ちをあらわすためにする。
なるほど「感謝」か。それなら、理解できる。
弓道場には、神棚がある。そちらに向かって挨拶をする。他の道場で神棚がないときは、上座に向かって挨拶をすればいい。
「あんなところに神はいないぞ」瑠璃に向かって航輝は言った。
「いたら困るわよ。私は、神様をあんなところに閉じ込めたくないし――」
「じゃ、なんで神棚を置く」
「うーん?」
瑠璃は少し考え込んだ。
「うまく説明できないのだけど、武道は、日本の神道に通じるからじゃないの?」
「神道か、日本特有の宗教だな。教祖も何もない」
「そう、前にも言ったけど、八百万の神、自然への信仰ね。その信仰が神道の基盤見たい。で、私の解釈としては、感謝するにしても祈るにしても、対象物があった方がやりやすいからじゃないかな。軽く礼をするだけで、感謝の念が届くならそれでいいじゃない?」
航輝は、瑠璃に同意した。
「感謝か、いい波動を感じる」
航輝は、思った。しかし、この弓道着を着る方法を覚えることを考えると、人間をやめたくなってしまう。
そんな航輝の思いとは別に、瑠璃の説明は続く。今は、射法八節(しゃほうはっせつ)の図解を前に、色々教えている。
ガタッ!
大きな物音がした。女子更衣室からだ。
瑠璃と航輝は、急いで更衣室に向かった。春日がいるはずだ。
「春日先輩、どうしました?入りますよ」
そう言って、瑠璃は更衣室に入っていった。春日が床にかがみこんでいる。
「春日先輩!大丈夫ですか?」瑠璃が駆け寄った。
「うん、ごめん。立ちくらみみたい。ちょっと寝不足でね」
確かに顔が悪い。
「先輩、医務室に行きましょう。肩を貸します」
「いいの、本当に。受験勉強とかで、遅くまで起きているからさ。心配かけちゃったわね」
春日は、ゆっくりと立ち上がった。
「また、部活でね。お昼ご飯食べたら、元気になると思うから、大丈夫よ」
そう言って、去っていこうとする春日の後ろ姿は、心なし不安げだった。
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