第6話 悪くない選択

 瑠璃は、航輝の質問攻撃に耐えながら、二人の高校生活は始まった。


 2、3日たつと、航輝が時折、クラスメイトとの話をしている姿をある。特に、瑠璃の幼馴染の鹿山亮介とは席が隣ということもあり、よく話をしている。


「航輝、もう、部活決めたのか?この学校、ユーレイ部員でもいいからとりあえず、部活に登録することになっているんだせ」

「幽霊部員?なんだ、それは?」

「――本気で言ってるのか?」

 亮介は、眉間にしわを寄せた。そういえば、誰かが、航輝は、帰国子女なんじゃないかと言っていたな。

「部活に登録だけして、活動に参加しない部員のことだ。幽霊のように、いるのか、いないのかわらかないだろ?」

「なるほど、うまく言ったもんだな」航輝が、笑う。それにつられて、亮介も思わず笑った。

「亮介は、部活は何をしている?」

「俺は、天文部とサッカー部。うちの高校、運動系と文化系に、それぞれ登録できるんだ。もちろん、どちらか一つでもいい」

「そうか」

「航輝は、運動は、何が得意なんだ?」

「得意な運動?」


 航輝は、首を傾けて考えた。もちろん人間の世界の運動を理解している。野球、サッカー、水泳、バスケット、マラソン。オリンピックも知っている。が、自分で運動などしたことがない。


 考え込む航輝を、亮介はしみじみと見ながら思った。


「こいつ、本当に変わってんな」


 そして、昨日の体育の授業を思い出した。


 航輝にとっては、転校してきて初めての体育の授業。その日は、運動場で、トラック競技の授業だった。航輝ももちろん、真新しい体操着をきている。


 体育の先生の大きな声が運動場に響く。

「まずは、ラジオ体操。体育委員、号令かけろ!」指示が出た。

 

 男子生徒は、ブツブツ言いながら、それぞれ間合いを取った。そして、体育委員の号令とともに、ラジオ体操を始めたのだ。


 だが、航輝だけは、動かない。彼は、他の男子生徒の様子を、世にも恐ろしいものを見るような形相で見ていた。


「ラジオ体操……」航輝がそうつぶやいたのを、亮介は、聞いたのだ。

「『ラジオ体操』知らないのかこいつ?」亮介は心の中で思った。


「おい、航輝!何してんだよ、こっち来いよ」亮介は声をかけた。亮介の声に、反応して振り向いた航輝の顔は、張り付いていた。


 そして、諦めたように亮介の側にきた。しかし、全くラジオ体操の動きがわかっていない様子だった。


「運動神経が鈍いとかそんな感じじゃないな」亮介は思った。この時、とにかく、航輝が日本のことをよくわかっていないのだけは理解した。


 その体育の時間の航輝のことを、瑠璃に話すと、なぜか納得した様子だった。


「『ラジオ体操』は、日本人しか知らないからね。外国人は、とても驚くらしいよ、母が言ってた」

「そんなものなのか?」

「うん、母の話では、学会とかで、海外から来た人たちと早朝のランニングとかするらしいの。その前に、準備運動ってことでラジオ体操するらしいのね。すると、初めてくる外国人の人は、あからまさに驚くらしい。『なぜ、皆、同じ動きができるんだ、号令だけで!』見たいな」

「ラジオ体操を知らない日本人は、確かにいないな。地域によっては、夏休みのラジオ体操は、今も健在だ」

「そうね、でも、外国には、そんな習慣ないしね。まして、国民全員が、同じ体操できる国ってそうそうないでしょ?」

「そりゃ、そうだ。つまり、航輝はやっぱり帰国子女なのか」亮介は、瑠璃に尋ねるわけでもなくそう呟いた。瑠璃もその質問には、答えなかった。


 瑠璃は、顔をくるっと亮介に向けて言った。

「母は、その驚く様子を見たくて、外国から学会に新しい人が来ると、ランニングを提案しているの。趣味悪いわよね。でも、笑っちゃうらしい。目を見開いて、動揺する外国人の様子は、見ものらしいわ」

「おばさんらしいな。でも、ちょっとわかるわ。昨日の航輝は、いつものクールな様子とは違った感じだったしな」

「そう……」

 瑠璃は、ちょっと思いを巡らすような様子を見せた。亮介はその仕草を見逃さなかった。幼馴染の直感というか、瑠璃が、航輝を心配していると感じた。


 そんなことを思い出していると、次の授業のチャイムがなった。


 今日は、天気が良かった。瑠璃は、いつものごとく航輝に呼び出されていた。何から話そうか考えている航輝をよそに、瑠璃は、きらきらした日差しを楽しんでいる。


「人間が問題なのか、日本人が問題なのか?」

「航輝くん、それは、質問?独り言?」

「両方だ」その言葉に、瑠璃は、ちょっと航輝が人間味を帯びてきたようだと感じた。


「昨日のラジオ体操のこと聞いたわよ。びっくりしたでしょ?よく呼び出さなかったわよね、私のこと」

「直前にも、君を呼び出していたし、少しは自分で対応することが必要だと思ったのさ」


 昨日の体育の時間の前にも、瑠璃は、航輝に呼びされている。


「体操着」とはなんだ――とね。


 どうやら、誰かに次が体育の授業だから、体操着に着替えに行こうぜと言われた。が、航輝は「体操着」がわからない。


 瑠璃は、読んで字のごとく、体操する時に着る服だと説明した。航輝が、そんなものがいるのかと驚いていた。彼は、本当に何にも知らないのだ、日本の学校システムについては、と改めて瑠璃は思った。


 ちょうど体操着を来た男子生徒が校庭にいたので、実物を見せることができた。すると、その場で、瑠璃の目の前に体操着が現れた。

「すごぉ〜い、魔法だね」

「そういうものかな。物質の仕組みがわかれば、誰にでもできることだ」

「今の言葉、母に伝えたい……」

「――何を伝えるんだ?」


 無事、体操着を手に入れた航輝だったが、そのあとラジオ体操事件が起きたのだ。


「ラジオ体操は、日本人なら小学生でも知っている体操よ。これから体育祭とか、いろんな場所でやるから、覚えてね」

「覚えてねって、どうやって覚えるんだ!」

「テレビでやっているし、SNSでも見ることができるわ」

「理解不能だ……」


 その反応をよそに、瑠璃は続けた。


「日本だけのものだから安心して。航輝くんの反応は、他の国の人たちと同じだから、考えることはしないほうがいいと思うの。それより、今日の相談は、何?」


 瑠璃は、笑いをこらえながら質問した。


「そうだ、忘れていた。部活をどうしたらいいかと思ってね。幽霊部員でもいいらしいが、あまり軽はずみなことはしないほうがいいと思っている。君の意見を聞けたらと思ったんだ」


 瑠璃の高校は、進学校でもあるため、部活などせず勉強に集中したいと希望する生徒もいる。学校側としては、それを理解している。しかし、体育祭や文化祭などの学校行事で、クラスごと部活ごとで別れることがある。その時、所属する場所がないと、高校生活の楽しみも薄れるだろうということで、部活登録を義務化しているのだ。また、いろいろ体験できるようにいうことで、運動系、文化系それぞれに登録できるようにしている。


 瑠璃は、天文部と弓道部に所属している。公立高校だが、大きな天体ドームがある。天体好きの瑠璃は、迷うことなく天文部を選んだ。


 もう一つは、弓道部。ここを選んだのは、袴を着てみたかったからだ。それに、高校から始める人が多いため、新鮮な気持ちで高校生活を楽しめると思ったのだ。中学まで陸上部だったので、運動量が少し足りないかもしれないと思ったが、ランニングならどこでもできる。


「航輝くんは、前の人生で運動とかしなかったの?」

「特にこれといって、やってはいない。野球やサッカーとかは、ニュースで見たりした」

「じゃ、本当に初めて運動するのね。大丈夫かしら?」

「何が大丈夫なんだ」

「だって、その体はずっと使ってきているのでしょ?つまりは、年期が入った体じゃない?老化現象とか出てきていないのかしらと思って」

「いらぬ心配だ。人間の機能を全て持っている身体だが、老化というものはない。老化とは、脳が作り出している。年齢を忘れれば、老化は止まる」

「え?そういうものなの」

「そうだ、認知症になった人たちは、身体的な老化が見られない。まぁ、認知症になる人は歳をとった人が多いから誰も気づかないが、若くして認知症になった人などでは、よく見られる現象だ」

「へぇ〜、さすが知識の泉。航輝くん、さすがだわ。でもなんで、それは広まらないの?」

「裏付けがないからさ。それより、私にあう部活を考えてくれ」


 瑠璃は、航輝にそれぞれの部活の内容を説明した。高校の運動系の部活では、ほとんどが球技と呼ばれるものだ。野球部、サッカー部、バスケットボール部、テニス部などなど。チームプレイを味わえる。瑠璃が中学まで入っていた陸上部や水泳部などでは、個人の記録や技を追求できる。


 文化系では、吹奏楽部、合唱部、美術部、演劇部などがある。音楽に興味があるなら、吹奏楽や合唱部だが、楽器は覚えるのに時間がかかるかもしれない。


「もし、航輝くんが演劇部に入ったら、部員がすごく喜ぶと思う。だって、女性役でも男性役でも、どちらでもこなせそうだし」

「バカを言うな。それより、テニスなら少しやっていたことがある」

「そうなの?いいじゃない。ここは軟式テニスだけど、いいの?」

「軟式テニス?なんだそれは?」

「今は『ソフトテニス』っていうの。日本発祥の柔らかいボールで打つテニスのことよ。海外にもソフトテニス人口はいるようだけど、あまりポピュラーじゃないと思う。ルールも少し違うみたいだし」


 航輝は、ため息をついた。自分が今まで経験してきた人間の生活は、かなり大雑把なものだった。日常生活に関しては、ほとんど知識がないと言ってもいいくらいだと確信した。


 その様子を見た瑠璃は、少し同情した。

「航輝くん、あまり真剣に考えなくてもいいんじゃない?運動系じゃなくて、文化系でもいいし、登録するだけでもいいんだから。もし、航輝くんがよければ、私と亮ちゃん、あっ、亮ちゃんって亮介くんのことね。私たちと一緒に天文部にしようよ。航輝くん、知識は豊富でしょ?私も一緒なら、何かあったら、助けられるし」

「そうだな、人間が認識している天文の範囲なら問題ない」

「よかった。なら、決まりね」


 瑠璃は、そう言って立ち上がった。だが、航輝の様子がちょっとおかしい。一点を見つめて、何かを考えているようだ。瑠璃は、また黙って座りなおし、彼が何かいうまで待つことにした。


 同じ地球にいたって、国が違えば、理解できない生活習慣や風習がある。ましてや、人間じゃない彼にとって、それらを理解するのは大変なんだろう。理解できない世界に適応するのは、難しいのかもしれないと瑠璃は思った。


「運動もしてみたいんだ、私は。身体の運動機能というのを経験したい」


 航輝は、つぶやくように言った。それを聞いた瑠璃は驚いた。「人間を知るためにここにきた」と初めて会った時、航輝は言っていた。それは、人間を観察するだけなのかと思っていた。でも、それだけじゃないようだ。そう思うと瑠璃は嬉しかった。


「そうなんだ、ならさ、私と一緒に弓道部に入らない?弓道部なら、ほとんどの生徒が高校デビューの初心者よ。それに、日本の文化も少し学べるわ。運動量も結構あるし、お薦めだわ。一緒にやろうよ」


 瑠璃は、楽しそうに航輝に語りかけた。


 航輝は、瑠璃の顔を見上げて言った。


「悪くない選択だ」

「ちなみに、練習後は、道場も掃除するのよ」瑠璃が、皮肉めいて言った。

 航輝は、顔を背けた。

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