第6話 サバ味噌定食
「わりぃ、遅くなった。今どこにいる?」
テロ対策課の
「あたしぃ? 今おじさん
焦って電話したのに、腕時計から聞こえて来た凛の声は随分とくつろいだものだった。
「おれん
「年の離れた妹だって言ったら、管理人さんが入れてくれたよ」
「はぁ?」
「全然怪しまれなかったよ。今ね、夕ご飯作ってるから早く帰ってきて。じゃね!」
一方的に電話を切られた黒川は、警視庁の地下駐車場から慌ててバイクを走らせた。
べつに金目の物がある訳でも、知られちゃ困る秘密がある訳でも無かったが、自分の留守中に他人が部屋にいることがどうも落ち着かない。
マンションの駐車場にすべり込み、エレベーターに駆け込んだものの、七階に着くまでの時間すら待ちきれなくて、黒川はイライラと足踏みをした。
「おい!」
バンッ! と大きな音を立ててドアを開け放ち、黒川は自分の部屋に駆け込んだ。
「あっ、お帰り」
長い廊下の先にあるリビングに足を踏み入れると、エプロン姿の凛がふり返った。
「冷蔵庫にビールしか入ってなかったから、いろいろ買ってきちゃった。あとで買い物代請求するからね」
「あ……ああ、それは構わないが、おまえ何で夕飯なんか作ってるんだ? アパート探しに行くんじゃなかったのか?」
「ああ、それね。今日、おじさんから電話もらった後にね、アパートの大家さんに話を聞きに行ったの。でね、火災保険がおりたらあたしにも少しはお金が戻って来るんだって。家財道具の分だって。それにね、同じようなアパートも探してくれるって言うから頼んで来ちゃったの。だから、それまでおじさん家に泊まっていいでしょ?」
リビングの入口に突っ立ったまま凛の話を聞いていた黒川は、軽いめまいを感じて額を押さえた。
「なんでおれの家なんだ? 友達の家に泊まればいいだろ。一人暮らしの友達がたくさんいるって言ってたじゃないか!」
「あれは友達じゃないもん。泊めてくれる子なんていないよ。おじさん家なら昨日泊めてもらったしさ、刑事だし、安心じゃん!」
あっけらかんと答える凛に、黒川は大きなため息をつく。
「もう、勝手にしろ」
一気に疲れがのしかかって来たような気がして、黒川はソファーに座り込んだ。
頭を抱えてうつむいた拍子に、懐かしい香りが鼻先をかすめた。見ると、目の前のローテーブルに、湯気の立つ味噌汁と白ご飯、そしてサバの味噌煮らしきものが乗っている。
この2LDKのマンションは一人で住むにはかなり広いが、ダイニングテーブルはない。
パンとコーヒーくらいならカウンターテーブルで済むし、自炊しない黒川には必要のないものだったからだ。
酒とつまみ以外の食べ物がのることがなかったローテーブルに、今日はやけに所帯じみた食べ物がのっている。
「これ、おまえが作ったのか?」
後ろへ振り返ると、カウンターキッチンの中で凛が顔を上げる。
「そうだよ。おじさんに合わせて、渋めのメニューにしてみた」
「そりゃあどうも……ありがたくいただくよ」
味噌汁を一口飲み、とろりとした感触のサバの味噌煮を口に入れる。
「おいしい?」
お茶を持って来た凛が、隣に座って黒川の顔をのぞき込む。
「ああ、うまい」
「よかった! ねぇ、おじさんの名前、黒川なんていうの? 年はいくつ?」
「そう言えば言ってなかったな。おれは黒川龍、年は二十八だ」
「うっそ、そんなに若かったの? お兄ちゃんと同じくらいじゃん! あたしてっきり三十半ばくらいのおっさんだと思ってた。管理人さんには妹だって言ったけどさ、信じてもらえるかめっちゃドキドキしたんだよ」
「そんなの知らん」
「やっぱヒゲ剃った方がいいよ。てゆーかさぁ、床屋行けよ」
伸びきったボサボサの髪にいきなり触られて、黒川は凛から身を引いた。
「うるさい、おれに構うな。ったく、焼け出されて少しは落ち込んでるのかと思えば、なんだよそのテンションは?」
黒川に睨まれて、凛は口を尖らせた。
「だぁって、悲しんでたって良いこと無いもん。だったら楽しいこと見つけて笑ってた方がいいじゃん。そうでもしないと、あたしの人生なんて真っ暗だよ」
ふわりと笑う凛の顔にわずかな陰りを見つけて、黒川は箸を置いた。
「そうか……おまえは強いんだな」
家族全員をテロで亡くし、自分の左手まで失ったというのに、彼女はどれだけ前向きに生きているのだろう。
あれから三年。まだ、たったの三年だ。
自分は失った人を忘れることが出来ずに、ずっと立ち止まったままだと言うのに。
黒川は隣に座る凛の顔をじっと見つめた。
「どうしたの、龍?」
彼女の呼び声が、大切だった人の声と重なる。
「龍?」
「やめろ、名前で呼ぶな」
「なんで? 龍だって、あたしのこと名前で呼んでるじゃない。ズルいよ」
「じゃあ、おまえのことは水野って呼ぶ。それならいいだろ」
「い、や、だ! あたしは龍って呼ぶって決めたから。もし、本当に龍って呼ばれるのが嫌なら、ちゃんと理由を教えてよ。納得できたらやめてあげるから」
「……勝手にしろ!」
いくら子供でも、心の中の大切な場所に踏み入れられたくはない。
黒川は、凛の前から逃げ出すように立ち上がったが、後ろから凛に腕をつかまれた。
「ちょっと! せっかくあたしが作ったご飯、残さないでよ。食べ物は全部命なんだからね! 食べ物残すってことは、命をゴミ箱に捨てるってことだよ!」
今までの軽いノリとは明らかに違う真剣な顔と声で、凛が黒川に詰め寄って来る。
凛の命というものに対する強い思いを、黒川は少しだけ理解したような気がした。
「わかった」
大人しくソファーに座り直し、凛の手作りサバ味噌定食を全部味わい尽くすと、黒川は静かに手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。じゃあこれ、請求書だから」
すっかり機嫌を直した凛は、買い物をしたスーパーのレシートをテーブルの上に置いた。
「このプラス千円ってのは何だ?」
「ああそれ、調理代金だから。これからも毎日プラス千円貰うからね。あっ、何なら別料金で掃除と洗濯もするよ?」
「それは自分でやる。一応念のために聞くが、おまえはおれから調理代金を取るけど、おれに宿泊料金を払うつもりはないのか?」
「あったり前じゃん! 昨日だってタダで泊めてくれたし、まさか刑事さんが女子高生からお金取ったりしないよね?」
「いらねぇよ」
今度こそソファーから立ち上がり、黒川は自分の部屋に逃げ込んだ。
凛の力になってやりたい気持ちは変わらないが、すっかり彼女のペースに巻き込まれている。
黒川は自分の部屋でひとり頭を抱えた。
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