第4話 火事


 黒川は、りんの通う都立高校近くのコンビニから、下校する生徒たちを眺めていた。

 たくさんの制服姿の群れが、笑い合いながら通り過ぎてゆく。

 一人ぼっちの凛には、せめて友達くらいたくさんいて欲しい。友達と連れ立って歩く姿を見せて欲しい。そう願う黒川の前にようやく現れた凛は、男子生徒と並んで歩いていた。


(彼氏がいるのか)


 黒川はそっとコンビニを出た。

 まっすぐ前を見て歩く凛に、男子生徒がまとわりつくように話しかけている。

ふと、新人刑事の木島とイメージがかぶった。


(あれは、木島と同じタイプだな。忠犬系の彼氏か?)


 やがて駅前通りで二人が別れると、黒川は男子生徒の後を追って声をかけた。


「きみは、水野凛さんの友達か? 生徒手帳見せてくれる?」

 黒川が警察の身分証を見せると、男子生徒は一気に挙動不審になった。

 震える手で生徒手帳を差出す。

「おっ、おれ、何も悪いことしてません!」


「そんなことは聞いてないが、どうして震えているんだ? ええと、阿部勇樹あべゆうきくんだね。きみは水野さんとはどういう関係?」

「べつに、ふっ、普通の友達です」


 明らかに悪事を働いた覚えがある動揺の仕方だが、勇樹はいたって普通の生徒に見える。


「彼女、昨日ちょっとした事件に巻き込まれたんだけど、何か聞いてる?」

「いいえ……事件って、あいつ大丈夫なんですか?」


 真剣な顔で聞き返してくる勇樹からは、もう挙動不審さは消えていた。彼の悪事は、どうやら今回の事件とは関係がないらしい。


「大丈夫だよ。何か気がついたことがあったら教えてくれ」


 勇樹に名刺を渡して別れると、黒川は凛の歩いて行った方へ歩き出した。凛は真っすぐアパートのある方へ向かっていたから、もう戻っている頃だろう。


 すっかり暗くなった住宅街を歩くうちに、何かが燃えるような匂いがしてきた。

 嫌な予感がして、黒川は足を速めた。


 住宅街の角を曲がった瞬間、人だかりの向こうに燃えているアパートが目に入った。まだ炎は小さいが、すぐに大きくなるかも知れない。

 人だかりをかき分けるようにして黒川がアパート前の道路に出ると、小さな駐車場にアパートの住民らしき人たちが立ち尽くしているのが見えた。

 黒川は、落ち着きをなくしている年配の女性をつかまえた。


「警察です。全員避難したんですか?」

「それが……凛ちゃんが、大事なものがあるからって、入って行っちゃったのよ」

「何だって?」


 年配の女性は、落ち着かない様子でそう訴えてきた。彼女の足元には、さっきまで凛が背負っていたリュックが落ちている。

 黒川はアパートを見上げた。出火元は二階らしくかなり燃えていたが、まだ一階はそうでもない。黒川は上着を脱いで頭からかぶると、凛の部屋へ飛び込んでいった。


「水野、大丈夫か?」


 黒川が部屋に入ると、凛は脇目もふらずに荷物をかき集めていた。

 薄暗い部屋の天井にはすでに炎が入り込んでいる。


(……崩れ落ちそうだ)


 そう思った瞬間、火の粉をまき散らしながら天井の一部が落ちて来た。

 目の間に落ちた燃える木材に、凛は呆然と荷物を抱きしめる。

 彼女の小さな肩が震えている。


「おい水野! 凛!」


 黒川が声をかけても、凛の耳には届かない。

 小刻みに震えながら凛は炎を見つめている。


「やめて……これ以上、あたしから大切なものを奪わないで!」


 炎を見つめたまま凛が叫ぶ。

 ガクンと、さっきよりも大きな柱が天井を突き抜ける。

 黒川は弾かれたように凛に駆けよると、持っていた上着を凛の頭からかぶせ荷物ごと抱き上げた。

 大きな音をたててアパートの二階が崩れ落ちたのは、黒川が脱出したすぐ後だった。

 背中に伝う冷たい汗を自覚しながら燃えるアパートを見ていると、囁くような声が聞こえた。


「……お兄ちゃん」


 凛の声にハッと腕の中を見る。

 凛が黒川のシャツをぎゅっと握りしめたまま気を失っていた。



 〇     〇



「ねぇ、あたし何でおじさんの家にいるの?」


 翌朝、煤だらけの制服を着た凛が部屋から出てきた時、黒川はちょうどコーヒーを入れているところだった。


「覚えてないのか? 昨日おまえのアパートが燃えて、おれが病院に連れて行っただろ? そのあと自分が言ったこと覚えてるか?」


「えーっ……やっぱ夢じゃなかったんだぁ。あたし、おじさんちに泊めてって言ったんだっけ。うっわぁ、最悪!」


 凛は可愛い顔をゆがめる。


「それはこっちのセリフだ」

 黒川は思わず眉をひそめた。


「おじさん、あたしに何もしてないでしょうね?」

「バカにするな。おまえみたいなガキに手を出すほど不自由してない。それにおれは刑事だ!」

「あははっ、だよね」


 凛の口調はいつも通りだったが、表情は正直だ。明るく笑おうとしているが、完全に失敗している。


「おまえも食うか?」


 トーストしただけの食パンをカウンターテーブルの上の皿に乗せ、コーヒーを入れてやると、凛は大人しく席に着いた。


「住む所を探すなら一緒に探してやるが、親戚には連絡しといた方がいいんじゃないか?」

「なんで親じゃなくて親戚なの? ああ……そっか、あたしのこと調べたんだ。でも、親戚には連絡しなくていいわ」


 拗ねたような顔で凛はパンをかじる。


「上手くいってないのか?」

「親戚と? あったり前じゃん。あんな家、出て来れて良かったよ」

「じゃあ、早くアパート探さないとな。今日は学校休むか?」

「……ううん、行くわ」


 凛はパンくずのついた手を払うと、立ち上がった。


「そうか。なら、終わる頃に迎えに行く。勝手に消えるなよ」

「はぁい」


 呆れるほど素っ気なく、凛は部屋から出て行った。



  

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