第3話 凛
黒川は、昨夜から何度も
彼女を思い出すたびに違和感を覚える。会ったことがある訳でもないのに、頭の隅に何かが引っかかっている。おかげで寝不足だ。
ぐったりと重い体を引きずってモニター室に入って行くと、木島が勢いよく立ち上がった。
「おはようございます、黒川さん! あれ、どうしたんですか? 顔色悪いですよ。なんか……目が死んでるみたいですけど」
木島が心配そうな顔で、黒川の顔をのぞき込んで来る。
「あーら木島くん、黒川の目が死んでるのなんて、いつものことじゃない」
木島の隣で足を組んで座っていた
「うるせぇな。なんで柴田がいるんだ? おまえの仕事場はここじゃねぇだろ」
「ええ。木島くんに昨日の
靴音を響かせて祐美が出て行くと、黒川はぐったりと自分の席に身を預けた。
「木島、おれにも映像を見せろ」
「はっ、はい」
木島が手元のキーボードを操作すると、正面の大きなモニターに地下街の映像が映し出された。
「〈明日香〉が映っている部分だけ集めておきました。その中に、昨日の女子高生も映ってたんですよ」
木島の言う通り、それはいくつかの監視カメラの映像を時間順に編集したものだった。
人ごみの中を歩くヒューマノイドの女性、通称〈明日香〉の姿がくっきりと映し出されている。
「もうすぐです。よく見ていてくださいね」
歩く〈明日香〉に向かって、明らかに人ごみをかき分けながら近寄る制服姿の人物がいた。水野凛だ。距離はどんどん縮まってゆき、凛と〈明日香〉の間に遮るものがなくなった時、急に〈明日香〉の周りから人々が遠ざかった。
走って逃げ出す人もいれば、何事かと立ち止まる人もいる。その中の一握りが、慌てて逃げるあまり転倒する。
動く人々を目で追っているうちに、いつの間にか〈明日香〉は倒れていた。
「何が起きたんだ?」
「もう一度、〈明日香〉が倒れる前からスローで流します」
眉間にしわを寄せている黒川に、木島が声をかける。
スローモーションで、制服姿の凛が〈明日香〉に駆け寄る。大きく腕を振り上げた瞬間、何かを叫んだのだろうか。その後、歩行者は逃げ出し始める。
「ここです!」
木島は映像をストップさせた。凛がちょうど〈明日香〉を指さすように手を伸ばしている場面だ。
「ここで女子高生が〈明日香〉を指さしてますよね。この後〈明日香〉が倒れるんです。誰も手を触れてないし、おかしな所はありませんよね?」
「ああ、確かにないな」
「監視映像には映ってませんけど、もしかしたら女子高生が何かしたのかも知れません。だって、明らかにこの子はおかしいですよ。自分から〈明日香〉に駆け寄ってますし、この映像を見ても〈明日香〉は他人に危険を感じさせるような行動はしてないですよね?」
木島も凛の行動に違和感を覚えているのだろう。新人とは言え刑事だ。
「先輩もそう思いますよね?」
木島は真剣な目でじっと黒川を見つめている。
ふと、子犬がしっぽを振って散歩をねだっている姿が思い浮かんだ。
「おまえ、刑事になる前は交通課にいたんだっけ?」
「いえ、地域課です。普通に交番勤務でしたけど」
「じゃあ、町の人にけっこう人気だったんじゃないか?」
「は?」
木島が小首をかしげる。
こんな窓際部署に研修に来ても、腐らず、真剣に事件と向き合っている木島が、黒川にはほんの少し眩しかった。
「……水野凛に犯罪歴はなかった。捜すとしたら被害者の履歴だろうな」
「はい、すぐに検索します!」
早速PCに向かう木島の姿をぼんやりと眺めながら、黒川は電子タバコをくわえた。
黒川も、凛のことを調べるつもりでいた。彼女が嘘をついているとは断言できないが、言動には少々違和感を覚える。
どうせ居ても居なくても変わらない部署だ。少しくらい勝手に動いても問題はない。木島の面倒はテロ対策課でみてくれるだろう。そう思って、自分一人で凛の身辺を調べようと思っていた。だが、まさか木島が別のアプローチで凛に疑惑の目を向けるとは思ってもみなかった。
(面倒だな……)
黒川は渋い顔をして顎を撫でる。
一人の方が何をするにも気楽だ。木島のことなど放っておけば良かったのだが、結局それも出来ないでいる。
「あっ……」
小さく叫んだ木島が、気まずそうに黒川の方へ視線を向けた。
「どうした?」
「いえ、水野凛の履歴が出ました。本当に……被害者だったんですね」
自分に向けられる視線に微かな同情を感じて、黒川は立ち上がった。
木島の後ろからPCモニターをのぞき込むと、凛の情報が目に飛び込んできた。
「そうか……こいつも、三年前のショッピングモール爆破事件の被害者だったんだな」
「ですね」
木島も小さくうなずく。
三年前、都内の大型ショッピングモールで、ヒューマノイドによる自爆テロ事件が起こった。土曜日の夕方で、たくさんの買い物客が行きかうフードコートの近くだった。
「……この事件で、水野凛は両親と兄を亡くしています。自分もケガを負い、左手首から先を失っています」
「左手を?」
「はい。気がつかなかったけど、普段はきっと義手をつけているんでしょうね」
長袖の制服を着ていたとは言え、昨日は全く気がつかなかった。苦労など知らない普通の女子高生を装い、明るく振舞っていた凛を思い出し、黒川はため息をつく。
いくら高性能の義手をつけていたとしても、凛にとって、失った自分の左手は忘れることの出来ない刻印だろう。彼女は自分の左手を見るたびに、失った家族のことを思い出さずにはいられない。例えどんなに年月が過ぎても、忘れることなど出来ないはずだ。
一人ぼっちのあの部屋で、凛はこの三年をどう過ごしてきたのだろう。そう思えば思うほど、凛の一人暮らしをいいご身分だなどと言った、自分の不用意な言葉が悔やまれてならない。
「……まだ、学校だよな」
「へっ? 何がですか?」
「いや、高校って、終わるの何時くらいだったかな?」
「さぁ、部活にもよりますけど、授業が終わるのは三時半くらいじゃないですか?」
「そうか。じゃあおれは、昼飯がてら水野凛の様子を見て来るから、おまえは適当にやってろ」
「適当にって、ちょっ……先輩!」
文句を言う声は聞こえたが、木島は追って来なかった。
一人になりたい黒川の気持ちを察しているのだと思うと、かえってイラついた。
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