第2話 《明日香》
黒川と木島は、人波をかき分けて新宿の地下街を走っていた。
ヘッドホン型の通信機とターゲットの位置情報が見えるサングラスで、迷路のような地下街を
「黒川さん、あそこ!」
中央にモニュメントがある十字路に規制線が張られ、数人の警官が中にいるのが見えた。幸い爆発した様子はないが、規制線内には数人の買い物客らしい女性のほかに、倒れている人が二人確認できた。
「警視庁ロボット処理班の者だ」
身分証を見せてから、黒川は倒れている女に近づいた。
整った色白の顔。肩まで伸びた栗色のウェーブヘア。閉じた唇は薄いが艶やかなワインレッドで、クールな印象の美女だった。
「これが……ヒューマノイドですか?」
どこからどう見てもきれいな若い女の姿に、規制法以降のロボットを見て育った木島がぼーっとしている。
「通称〈明日香〉。大ヒットしたASシリーズで、三年前、ショッピングモールを爆破したやつと同型だ。どうやら完全に
ざっと見回した限り破損個所は見当たらない。黒川が首をひねっていると、警官が一人近づいて敬礼をした。
「報告します。通行人に被害を受けた人はいませんでしたが、女子高生が逃げる際に頭を打って気を失っています。救急車は手配済です」
黒川は十字路の隅に横たわる女子高生の方へ目をやった。彼女の長い黒髪が通路にひろがっている。
「こいつは、おまえらがやったのか?」
黒川が足元の〈明日香〉を指さすと、警官は困ったような顔をした。
「いえ、自分たちが到着した時にはもう倒れていました。目撃者の話によると、あの女子高生がみんなに危険を知らせてくれたそうです。で、みんなが逃げ惑ってるうちに、いつの間にかロボットも倒れていたそうなんです」
「誰も何もしないのにか?」
「それはわかりませんが、マニュアル通りこれから処理工場へ移送しますので、そちらでブラックアウトの原因を調べてもらってはいかがですか?」
警官は面倒くさそうに言う。
「わかった。木島、おまえはこれと一緒に処理工場へ行け。おれは救急車に同乗して、女子高生から話を聞いて来る」
「わっ……わかりました!」
刑事としての初仕事に、木島は頬を紅潮させた。
〇 〇
病院へ搬送された女子高生は、検査の途中で目を覚ました。今は黒川と同じく待合室で検査の結果を待っている。
「特に問題はありませんでした。気分が悪くなければ帰っていいですよ」
診察室から出てきた年配の看護士が、女子高生に笑いかける。
「はぁい。ありがとうございましたぁ」
女子高生は待合室のイスに座ったまま、ペコリと頭を下げた。黒川はイスの近くに立ったまま、彼女を見下ろした。
「おい
生徒手帳に挟んであった市民カードで、女子高生の身元はわかっていた。
水野凛、都立高校三年生の十七歳。犯罪歴もなかった。
「おじさんは誰?」
アーモンド型の大きな目が、黒川を頭の上から足の先まで何度も往復する。
「警視庁ロボット処理班の黒川だ」
「ええっ、おじさん刑事なの? うっわダッサ。なにその無精ひげ」
「はぁ?」
黒川は反射的に自分のあごに手をかけた。ジョリジョリとした感触が手に伝わって来る。ここ数日ひげ剃りをサボっていたことを、黒川は軽く後悔した。
「そんな事はどうでもいい。地下街を歩いていた時、おまえは通行人に危険を知らせたそうだな? どうしてアレがヒューマノイドだと気がついた?」
黒川が憮然としたまま質問すると、凛は驚いたように目を見張った。
「えーっ、うそ! あれヒューマノイドだったのぉ? なんか様子がおかしかったから、思わず逃げてって叫んじゃったのよね。自分でもよくわかんないけど、危険を察知する……感ってヤツかなぁ?」
凛は表情をクルクル変えて、最後は黒川を見上げたまま小首をかしげる。
「……なるほど。それじゃ、おまえが叫んでみんなが逃げ出したあと、ヒューマノイドはどうしたか覚えているか?」
「えー覚えてなぁい。みんなパニックになっちゃって、あたしも転んじゃったみたいだしさぁ。で、そのヒューマノイドはどうしたの?」
「十字路の真ん中に倒れていた。今は処理工場に送ってある」
凛の検査中、処理工場へ行った木島から、ロボット内の動力源が破壊されていたという連絡は受けていたが、凛には黙っておく。
「ふーん、そうなんだ」
握った拳を口元にあてて考え込んでいる凛を、黒川は静かに見つめた。
彼女が本当のことを言っているのかどうかはわからないが、つかみどころのない少女だ。
「で、送ってくれるんだよねぇ、黒川サン?」
「ああ。今タクシーを呼ぶ」
腕時計型の端末でタクシーを呼び、凛を連れて病院の玄関を出ると、タイミングよく自動運転のタクシーがすべり込んで来た。
「そうだ、検査中におまえの家に電話したけど、つながらなかったぞ」
「そりゃあね。だってあたし、一人暮らしだもん」
走り出したタクシーの中で、凛はのほほんと答える。
目を覚ましてから凛の様子を見てきた黒川は、だんだんと腹が立って来た。
「高校生の分際で一人暮らしとは、いいご身分だな」
「えー、今どきそんな子たくさんいるよー」
凛はケラケラ笑う。
いったいどんな裕福な暮らしをしているのかと思っていたら、タクシーはかなり古ぼけた二階建てのアパートの前で停車した。
「ここなのか?」
「うん」
「あのアパートに住んでいるのか?」
「そうだよ。送ってくれてありがとね。あっ黒川サン、もう少し身だしなみに気をつけなよ。そんなんじゃモテないよ!」
人差し指を黒川に突きつけてから、ニッコリ笑って凛は車を降りていった。
黒川は念のため、凛が一階の右端のドアに入るまで見届けた。
「……余計なお世話だ」
古ぼけたドアの向こうに凛が姿を消しても、黒川はしばらく動かなかった。
訳のわからない違和感が、頭の隅にまとわりついて離れなかった。
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