第9話 緋狼《フェイラン》
栖鳳会横浜東部支部の通りを挟んで向かい側のビル。その屋上にフェイは立っていた。
ビルの合間を轟々と風が吹き抜ける。
栖鳳会事務所の様子を伺う。
スモークの入った防弾ガラスの窓からは、中の様子は全く分からない。
(一応目視確認に来てみたが、無駄足だったな。さすがにこのあたりは抜かりがない)
敵対組織の人間等に狙撃されないようにする備えだ。
中が見えない以上、遠距離からのスナイピングは出来ない。まぁ元よりフェイに狙撃の技術はないのだが。
懐で携帯端末が震える。
「遅いぞコン」
「やれやれ人使いの荒い方ですね。これでも超特急で調べたんです、追加料金をいただきますよ」
コンからデータが送られてくる。
栖鳳会横浜支部ビルの見取り図だ。
「竣工前の建設予定図を入手しました。ただしこれはあくまで予定図なので、実際の構造とは細部が違う可能性があります」
「構わない、何もないよりマシだ」
これから城攻めをしようというのだ、多少なりとも下調べをしなくては。
素早く見取り図に目を通し、侵入経路の目星を付ける。
「それと現在の事務所の戦力ですが、おおよそ三十人程度の構成員が常時在中しているようです。全員が体の一部を機械化したサイボーグ、さらに多数の銃火器の備えもあります」
「ここって日本だよな?」
「グローバル化が進んで密輸ルートが複雑化したり、技術革新で銃の密造も容易になりました。この国が平和なのは表面だけですよ」
「なるほど」
「……本当に一人で行く気ですか?」
コンは訝しげに尋ねる。
「ああ行く」
「とても正気とは思えませんね。死にに行くようなものですよ」
「居るのはただのサイボーグだけなんだろう? 勝つ公算はある。死ぬ気なんて毛頭ない」
「これはまだ裏が取れていなかったので言いませんでしたが、彼らが秘密裏に外部の用心棒を雇い入れたという情報もあります。まだ噂ですが相当な強者だとか──それでも行きますか?」
「行く」
即答するフェイに、コンは呆れたように大きく息を吐く。
「何があったんですか、貴方らしくもない。とても合理的な判断とは思えませんが」
「俺が合理的な判断だけで動くなら、香港から日本に渡ってくる事はなかった──そうだろ?」
コンが鼻を鳴らす。
「そうでした。時に合理も道理もかなぐり捨てて、敵に牙を突き立てるのがあなたでしたね」
「分かってるじゃないか」
フェイは笑った。
不敵な笑みを浮かべて。
「ではこれはサービスです。今夜に限り、外部からの応援はありません」
「何?」
「どうやら横浜支部では、本家には内密に金策を弄していたようでして。今回の一件はその火消しみたいなものですから、栖鳳会本家や他の支部に応援を頼むという事はないでしょう」
「その情報はありがたいが、やけにサービスがいいな。後が怖くなってくるんだが」
「いえいえ、お得意様にいなくなられてはこちらも困りますから」
飄々と答えるコン。どこまでも喰えない男だ。
「しかしそうなると、気になるのはあの少女ですねぇ」
「コン?」
「あなたがそこまで入れ込むなんて……どんな少女か気になってきました」
「おい」
「ぜひ一度会ってみたいですね、今度私の店舗に連れてきていただけませんか?」
──というやり取りがあったのが、つい数分前。
フェイは真正面から栖鳳会事務所ビルに乗り込んだ。既に一階二階の構成員を倒し、三階まで来ている。
そして今三階の最後の敵を倒し、四階へ向かう階段を登っている。
階段を上がり広い廊下へ出た。
幹部の使うセキュリティカードのいる直通エレベーター以外の手段だと、入り組んだ事務所内の階段を上がらなくてはならない。
最上階への階段はこの廊下の先だ。
長い廊下の向こう、列を組んで銃を構える構成員たちがいる。拳銃ではなく短機関銃だ。この廊下は縦に長いが幅は狭い。
数人が隊列を組んで短機関銃を斉射すれば逃げ場はない。
「死ねやっ!」
並んだ銃口が一斉に火を噴いた。
秒間十五発もの銃弾を発射する銃口が七つ、計一〇五発もの弾丸が毎秒襲ってくる。正に銃弾の雨嵐。
その弾丸の嵐の中を、フェイは前進した。
腕をクロスして頭部をガード。
そのまま一直線に突き進む。まるでボクシングのブルファイターだ。
「何だと⁉」
構成員たちは度肝を抜かれた。
銃弾の雨を物ともせず、フェイは廊下を疾走する。十秒とかからずに、短機関銃を構える構成員たちの懐まで潜り込んだ。
ここまで近距離になってしまえば、銃は有効ではない。特に至近距離で発砲すれば、同士討ちの危険がある。
ならばと構成員たちは短機関銃を投げ捨て、近接戦闘に移行する。
しかし時すでに遅し。
身体をサイボーグ化したとは言え、修練をしていないヤクザ者の生半可な突き蹴りなど、フェイには全く通用しない。
踏み込むと同時にまず一人をパンチ一発で倒す。
さらにハイキック、バックハンドブロー、突きを捌いての投げ技──等々、いくつもの技を矢継ぎ早に繰り出して、フェイは次々と立ちはだかる構成員をなぎ倒していく。
「野郎!」
構成員の一人が義手に仕込んだブレードを展開させた。手の甲から三本、鉤爪のような刃が伸びる。
このブレードにかかれば、人の肉などバターを切るように簡単だ。
「くたばれぇ!」
顔面への突きをフェイは仰け反って躱す。その瞬間に鉤爪を翻し、肩口から脇腹まで袈裟懸けにフェイを切り刻まんと義手を振り下ろした。
ギィイッ!
人の肉とは明らかに違う感触と音。
構成員の爪が弾かれる。
「なっ⁉」
予想を裏切られ面食らう構成員の横っ面を、フェイの拳が撃ち抜いた。崩れ落ちる構成員。
それが最後だった。廊下に静寂が訪れる。
フェイが四階に踏み入り、戦闘が始まってから三分と経過していまい。
それ程までにフェイの実力は圧倒的だった。
「……」
「……」
最上階の支部長室。監視モニターでフェイの戦闘を見ていた藤木は冷や汗を流し、柚香は呆気に取られて開いた口が塞がらない。
なんだアレは──いくら何でも無茶苦茶だ。
力が強いとか、戦うのが上手いとか、そういう次元を超えている。そもそも戦闘になっていない。
今モニターに映っていたのは、ただの蹂躙だ。
「フ、フハ──フハハハハハ!」
藤木は頬を引きつらせ、自棄になったかのように笑った。
「まさかこんな大物を引き出すとはねぇ。藪をつついて蛇を出す──いや、この場合は狼か」
「フェイは……何なの?」
何を言っているのだろう。
柚香には藤木の言っていることが分からず、首を捻るばかりだ。
「おいおい柚香ちゃん、まさか知らずにあんな人喰い狼を飼いならしてたのかい?」
「……」
「マジか……柚香ちゃんは魔性の女なんだねぇ」
さっきまでのおどけた口調ではあるが、藤木の声には緊張の色が見て取れた。
慌ただしくデスクの上のテンキーを操っている。
「いいぜ。知らないのなら教えてあげよう、あの男の正体」
扉の向こうから戦闘音が聞こえてくる。
既にフェイは最上階まで来ているようだ。
「香港マフィアの伝説的な凶手。三桁以上の殺人に関わったとまで言われる殺し屋」
すぐに戦闘音が止み、カツンカツンと足音だけが響いてくる。
「その男はその身体と拳法を武器に、銃を使わず素手でそれだけの数の人間を殴殺してきた。何故そんな芸当が出来たのか──それは奴の身体が全て機械に置き換わった、全身義体のサイボーグだったからだ」
支部長室の扉が開いた。
赤い髪の長身の男が入ってくる。
「その男の名は──
フェイと藤木の視線が交錯した。
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