第8話 裏社会で話題のハッカーです
とある小さな公園のベンチに、フェイはぐったりともたれかかっていた。
その目は遠くを見ているようで、その実何も見ていない。
虚空を見つめ、フェイは大きくため息をつく。
柚香の部屋を飛び出してから、何処に行くでもなくフラフラと歩き、たまたま見つけた公園のベンチで一晩を明かした。
どうにも虚脱感が強かった。
何もする気になれず、ただただ無為に時間を潰す。
決定的に何かが終わった──否、自分が終わらせた。今までも誰かと関係を築いては壊すを繰り返してきたのに、今回はやたらと堪えた。
どうしてかは敢えて考えない。
不意に携帯端末が着信を告げた。
着信相手を確認すると、懇意にしている情報屋からだった。
「なんだ孔(コン)」
ぶっきらぼうに出るフェイ。
「これはまた結構なご挨拶ですね。依頼されていた調べ物が分かったから、わざわざ電話したのに」
端末から聞こえてくるのは、丁寧な言葉遣いではあるが掴みどころのない声。
「それとも別の誰かから電話がかかってくる事を期待していたのでしょうか?」
「見透かしたような事を言うな」
電話の相手は
フェイがよく使っている情報屋だ。
「珍しいですね、いつもならこのくらいのジョークは受け流すのに」
「いいから本題に入れ」
「では、栖鳳会の件ですが──」
コンからの情報をフェイは聞き流しながら、適当に相づちを打った。
「それと『篠原柚香』さんの事ですが」
「何か分かったのか」
「ええ。栖鳳会関連で──彼女、結構な大物ですね」
(柚香が大物?)
「どういうことだ?」
「彼女は裏社会で話題のハッカーです」
「ハッカー?」
あの明るくきゃぴきゃぴとした喋り口の柚香の姿と、ハッカーという単語が結びつかない。
「ええ、それもかなりの凄腕です。何しろ栖鳳会の裏金を、丸々騙し取ったのですから」
「何だって⁉」
思わずフェイは聞き返す。
ヤクザから金を騙し取るなどという大それたことを、柚香はしていたというのか。
「それだけの事をしながら今の今まで、全く尻尾を掴ませなかった──さすがの腕前としか言いようがありませんね」
フェイはネットワークの知識は詳しくない。しかしコンの情報屋・ハッカーとしての腕前は知っている。そのコンが言うのだから、柚香は確かに凄腕なのだろう。
「しかし、なんだってそんな事を──」
「恐らくですが復讐でしょう」
「復讐?」
「彼女の父親は栖鳳会の下部構成員だったんですが、強制的にサイボーグにされていたようです」
それでフェイはある程度の事情を察した。
裏社会によくある事だが、戦力増強の一環として構成員にサイバネティクスを強制する事がある。
と、同時にこれは組織の繋がりを強める働きを持っている。
このサイボーグを白眼視する社会では、一度サイボーグになったが最後、中々通常の職に就くことが出来ない。
機械の手足が、裏社会へと縛る枷となるのだ。
「彼女の父親は栖鳳会の中で出世もできず、しかし辞めることもできず、大分荒れていたようです。家庭内暴力があったとの情報もあります」
「……」
『アタシが会ってきたサイボーグって、ホントに最悪なのばっかりだったから──』
柚香の言っていたセリフが、頭をよぎった。
いや、今はそれよりも──
「で? その正体が知れ渡った今、何が起きているんだ」
「決まっているでしょう、報復ですよ。ヤクザは人の上前をハネるが、人にハネられるのを好まない。まず間違いなく彼女は捕まるでしょうね。何でも構成員の葛西とかいう男が探し回っているとか」
「ッ!」
フェイは勢いよく立ち上がる。
こうしてはいられない。
「? どうしたんですかフェイ」
「またかけ直す」
一方的に電話を切ると、フェイは居ても立っても居られず駆け出した。
全速力で道を駆け抜けマンションの部屋に戻った時、そこはもぬけの殻だった。無理矢理連れ出したのだろう、何者かが数人押し入った痕跡だけが残っていた。
「柚香……」
静まり返った部屋に、フェイの呟く声が物悲しく響いた。
栖鳳会横浜東部支部。
繫華街の一角にそのビルはある。パッと見の外観は六階建ての普通のビルだが、近隣の住民や施設の人間は誰も近寄らない。
その最上階。
支部長室の奥に柚香はいた。
後ろ手に手錠をかけられて、床に這いつくばっている。
「いい加減話してくれないかな~柚香ちゃん」
柚香を睥睨して気安い調子で話しかけるのは、上物のスーツを着た三十代半ばの男。
名を藤木という栖鳳会支部長を勤める男だった。
外見は一般的な上役のサラリーマンのようだが、癖のある蛇のような目が印象的だった。
「俺たちから騙し取った金の在りか何処なの?」
「……話す訳ないでしょ」
柚香は気丈に言い返す。
「話したらあたし、殺されちゃうじゃん」
「そんな事しないよぉ」
「信用すると思ってんの」
「だよねぇ──じゃ、やっぱりこれしかないか」
藤木はいきなり柚香の顔を蹴り飛ばした。
「ぅぐ…………!」
いきなり蹴られて、柚香はくぐもった悲鳴を出した。恐怖を感じていると、人は大きな悲鳴を上げられなくなる
痛い。蹴られた左の頬が焼けるように熱い。
たった一発蹴られただけなのに、もう死にそうなくらい痛い。
「オジサンはね、正直あんまりこういうのは好きじゃないのよ。出来ればもっとスマートに行きたいの。だから出来るだけ早く話してほしいなぁ」
口調は信じられない程軽い。
しかしその言葉は酷く残忍で、口調とは対照的に藤木の行動は容赦がない。
今度は柚香の腹を踏みつけた。
「あ──がっ!」
蛙が踏みつぶされたような、そんな声が漏れた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
こんな風に痛めつけられるのは嫌だ。苦しくて耐えられない。
(でもお金の在りかを言ったら殺される……!)
柚香が口を割らない限り殺される事はない。まだ自分がイニシアチブを握っているんだ。そう思って懸命にこらえる。
「あ、そうそう。話す気になったら、早く言ってね。でないとオジサン、間違って殺しちゃうかもしれないからさ。柚香ちゃんもこんな風になりたくないだろう?」
藤木はごく自然な手つきで、何か歪なボールのような物を取り出すと、柚香の前に転がした。
「ひっ⁉」
思わず悲鳴を上げた。
歪なボールに見えたソレは、なんと人間の首。
血塗れになり、醜く膨れ上がって変形した顔は、おぞましくて仕方ないが見覚えのある顔だった。
「葛西……」
それは昨日、柚香とフェイを取り囲んだ葛西の首だったのだ。
「こいつったら本当に無能でさ。君一人捕まえるのにも失敗するような、使えない奴だったから──ちょっと、ね」
人を殺すことを、さも当然のように藤木は言った。
「君は優秀なハッカーなんだってねぇ。だとしたら利口な行動は何か、よく考えてほしいなぁ」
「……」
柚香の気持ちは揺れ動いていた。
黙ったままでも殺されてしまうかもしれない。なら、痛みに耐える理由があるだろうか。どうせ殺されてしまうのなら、こんな苦しみをいつまでも味わいたくない。
早く楽になりたい。
朦朧とする意識の中、柚香が思い出すのはフェイと過ごした時間。
ただ同じ家で一週間過ごした。
特別なことなんて何もない。ただダラダラと一緒に過ごしただけの時間。それが今では遠く眩しい。
ああ、なんでこんな事になってしまったのだろう。
(死ぬ前にもう一度だけ会いたかったな……)
柚香の視界が涙で滲む。
その時だった。
部屋に備え付けられた固定電話が鳴った。藤木は柚香を蹴る脚を止めて受話器を取る。
「た、大変です支部長!」
受話器を取るなり聞こえてくるのは、階下の部下の声だった。
「どうした?」
「カチコミです! 事務所が襲撃されてます‼」
「ほう、それでカチコミに来た野郎の数は? 何処の組の奴だ?」
「それが殴り込んで来たのは、変な男が一人です!」
「はぁ?」
藤木は首を捻った。
ヤクザの事務所にたった一人で殴り込み?
どうやらその襲撃者というのは、頭のネジが外れているらしい。
「なんだそりゃ? そんなモン、すぐに始末しろ」
「それが──その男、銃で撃っても、ドスで突いても死なんのです! かかっていく奴が片っ端からのされて、もう三階まで来ています‼」
「何ぃ⁉」
その返答に藤木も目を見張った。
そんな不死身のような奴がいるのか?
(──まさか!)
「おい! その男の特徴を教えろ‼」
「背の高い細身の男で、髪は赤──」
セリフの途中で通信が途切れた。
ツー、ツーと受話器からエラーコールが虚しく鳴る。
「クソッ!」
藤木は懐からリモコンを取り出すと、壁面に向かって操作した。
すると壁面がスライドして、大型モニターが姿を現す。映し出されているのは、このビルの監視カメラの映像だ。
画面が十二分割され、各フロアの映像が切り替わりながら流れる。
その中の一つに、件の男の姿が小さく映っている。
藤木はリモコンを操作して、その画面を拡大した。
「ウソ……」
思わず漏れた柚香の声。
画面に映っていたのは、鬼気迫る形相のフェイだった。
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