第7話 最低

 下着姿で立つ柚香の姿は美しかった。

 細身ながら適度な膨らみを持つ胸と、キュッとくびれたウエストのラインが芸術品のような曲線を描く。

 スラリとした脚が伸びて、フェイに近づいてくる。


 柚香が歩くたびに胸がわずかに揺れ、柔らかさが伝わってくる。

 レースや花柄の刺繍で彩られた濃い色の下着が、柚香の肌の白さと滑らかさを際立てて、柚香という少女の魅力をより推しだしていた。

 柚香は上気した頬で近づいてくる。

 その薄桃色に染まった頬は、湯につかったせいか──それとも恥じらいによるものか、今のフェイにはそれも判断できない。


 柚香のとろんとした恋い慕うような──それでいて何処か不安を秘めた瞳が、真っ直ぐにフェイを見ていた。

 それほど広い部屋ではない。すでに柚香は目の前にいる。

 わずかな時間であるが、フェイは柚香の姿に見惚れていた。

 我に返ったフェイが口を開く。


「一体どうしたんだ柚香」


 柚香は答えず、フェイにしなだれた。

 ソファの座るフェイの上に、半裸の柚香が乗る。顔が近い。息遣いさえ分かる程に近く、柚香の顔が目の前にある。

 髪から漂うシャンプーの甘い香りが、媚薬のようにフェイの鼻腔をくすぐる。


「ねぇ──」


 ささやくような柚香の声が、妙に艶めかしい。


「このまま一緒に暮らさない?」


 思いもよらない提案に思考がついていかない。その声色と内容も相まって、脳が痺れるようだった。


「お金ならあたしが稼ぐから──このままずっと一緒にいよ」

「……からかってるのカ?」


 やっとそれだけ絞り出した。


「からかってなんかない」


 柚香がフェイの右手を掴むと、強引に自分の胸に押しあてた。

 フェイの手のひらに柔らかな感触と肌の温もり、そして心臓の鼓動が伝わってくる。その胸の高鳴りから、いかに柚香が緊張しているか──柚香が真剣なのかが分かった。


「……俺なんかでいいのか」

「いいよ。フェイの顔、結構好みだから」


 妖艶な笑みを浮かべる柚香。

 その笑みの魅力に勝てる人間などいるのだろうか。

 花の蜜に引き寄せられる蜂のように、フェイは柚香の身体に引き寄せられる。このまま彼女の身体を抱きすくめようと左手が動き、唇が──


『サイボーグなんて大ッッッ嫌い! あんなのは人間の形をしてるだけの屑よ』


 かつて聞いた柚香の言葉を思い出した。


「ふ──」


 急速に気持ちが冷めていく。

 何を勘違いしていたんだ。

 このまま人間らしく生きていけるとでも思ったのか?


 忘れるな。自分は血に飢えた狼──人と暮らしてなどいけるはずもない。

 脳裏に掠める自嘲の言葉。


「フェイ……?」


 急に無表情になったフェイを、柚香は不安げな表情で伺う。

 氷のように冷え切った目でフェイは口を開いた。


「お互いに正体を隠したまま、本当にこのままやっていけると思うのか──神崎愛実」

「え──?」


 柚香は戸惑いを隠せない。


「何その名前」

「君の名前だろ柚香、いや神崎愛実」


 もう一度はっきりと、フェイは柚香のことを神崎亜美と呼んだ。


「君の部屋を掃除している時に見つけたよ」


 ポケットからフェイは小さな手帳を取り出す。

 それはとある中学校の生徒手帳だった。

 そこには神崎愛実という名前と共に、柚香の顔写真が載っている。


「発行日は去年の四月、学年は三年生。つまり君は休学中の女子大生でもない、十五歳の女の子という訳だ」


 派手な格好とメイクは、年齢を誤魔化すためのものだろう。


「いつから……」

「見つけたのは昨日の夕方だよ。それ以外にも薄々違和感があったから、驚きはしなかった」

「……」


 押し黙る柚香にフェイは突き放すように続ける。


「裏の社会には他人の戸籍と名前を売る商売がある。君は『篠原柚香』という名前を葛西から買ったんだ」

「──そうよ、だから何⁉」


 柚香は堰を切ったように叫ぶ。


「確かにあたしは違法なこともした。でもそれは自由に生きる為で、誰にも迷惑なんてかけてない!」

「でも嘘をついていたのは事実だ」

「それは──」


 口ごもる柚香にフェイは追い打ちをかける。


「君は嘘の塊だ。名前は偽物、顔はメイクで飾り立てて、素顔をさらしてはいない。そんな上辺だけしか見せない人間と、ずっと一緒にいられると本気で思っているのか? そもそも、君は俺の何を知ってるんだ?」


 こんなフェイは初めてだ。

 のほほんとしたいつものフェイではない。冷たく突き放すような鋭い眼光。それは柚香の知らないフェイだった。


「俺の過去、俺の仕事、俺の正体──君は何を知っている」


 柚香は答えられなかった。

 そうだ。柚香は何も知らないのだ。

 この部屋で過ごした時間、交わした言葉と笑いだけが、柚香の知るフェイの全て。それ以外は何も知らない。


「何でそんなこと言うの……あたしは」


 フェイは止まらない。


「何も知らないで一緒に暮らそう? ちゃんちゃらおかしいな」


 酷薄に笑うフェイ。

 柚香はフェイから身をはがすと、その顔を思い切り張った。

 乾いた音が部屋に響く。

 そしてポタポタと柚香の涙がフローリングを濡らした。


「──最低」


 大粒の涙を拭いながら、柚香は寝室へと逃げていった。

 リビングにはフェイだけが残される。

 静まり返ったリビングでフェイは、


「うん。俺最低だな……」


 と独り言ちる。




 翌朝、部屋にフェイの姿はなかった。

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