第6話 最後
「あ……」
緊張が解けて力が抜けたのか、柚香はその場にへたり込んだ。
知らない間に竦んでいたのだろうか、今になって脚がガクガクと震えて立てない。
「大丈夫か」
フェイが振り返って手を差し伸べる。
その顔は先ほどまでの刺すような目つきではなく、気の抜けたいつもの顔に戻っていた。陽だまりで寝転ぶ犬のような、のんびりした笑顔。
その穏やかで暖かい眼差しが、柚香を癒す。
「ありがとう」
フェイの手を借りて立ち上がる柚香。
転がって呻き続ける葛西を見た。
「どうする?」
「放っておけばいいんじゃないか? 多少は手加減したから、このままでも死にはしないだろう。もうしばらくは苦しみ続ける事になるけどナ」
あれで手加減していたのか──内心で柚香は舌を巻いた。
「こいつらの口ぶりからするに、まだ部屋は特定されてないはずだ。明日荷物をまとめて逃げればいいし、今日はもう部屋に帰ろう」
「……うん」
柚香はうつむき加減に頷く。
フェイは歩き出そうとして首を捻る。柚香がフェイの手を離そうとしない。
「どうしたんだ柚香?」
「もうちょっと手握ってて」
妙に静かな声で柚香は言った。
フェイはさらに首を傾げる。サイボーグの暴漢に囲まれて怖かったのだろうか。まだ心細いのかもしれない──フェイはそう判断した。
二人はそのまま手を繋いで歩き出した。
沈みかけた夕陽が、二人の歩く道を茜色に染める。
明るく、しかしどこか寂し気な街並みを、二人は歩く。
「……ねぇ」
少ししてから柚香が口を開いた。
「左手、大丈夫」
「左手?」
「ナイフの刃、握ってたでしょ」
「ん? ああアレか。あれはその……大丈夫ダ。あのナイフは鈍らだったみたいだな、指も掌も切ってないぞ」
誤魔化すようにまくし立てるフェイ。
ついさっきまでサイボーグ数人を相手に大立ち回りをしていたとは思えない。
「それは良かったけど、危ないと思わなかったの? ナイフを握るなんてさ、下手したら指がなくなるよ?」
「それより柚香が傷付く方が嫌だな」
何でもない事のようにフェイは言った。
事実フェイにとってそれは何でもない──自然で当たり前の事だったのだろう。
「────!」
柚香の頬が赤く染まる。
それを隠すように、柚香は少し顔を俯かせた。
「……なんで?」
「うん?」
「なんで嫌なの……?」
地面を見つめながら、柚香は問いかける。
フェイは少し考えて、
「それはホラ、俺は柚香に拾われた捨て犬みたいなモンだから。飼い主が襲われてたら、身体を張るのは当然だろ?」
と、頓珍漢な答えを口にした。
「~~っ~~!」
柚香は声にならない声を上げると、フェイの脚をゲシゲシと蹴った。
「ちょ、柚香⁉ なんで俺の脚を蹴るんだ」
「うっさい! 人の気も知らないで、この唐変木! もっと他に言う事あんでしょうが‼」
「……あの~柚香さん? 凄い歩きづらいんだけど」
「知るかバカ!」
その後しばらく、柚香はフェイの脚を蹴り続けた。
部屋に戻ってからも、柚香は少し様子がおかしかった。
「柚香、美味いか?」
「……うん」
夕食の感想を聞いてもこの調子で、ろくな返事が返ってこない。何を聞いてもこの調子で、上の空というか心ここにあらずといった風だった。
何を考えているのだろうか。
思い詰めているようでもあり、怒っているようでもあり、恥ずかしがっているようでもあった。
やや赤くなった顔のまま、表情がコロコロと変化する。
(一体何を考えているんだ……?)
フェイは首を捻った。
「この部屋で食べる最後の夕食なんだ、味わってほしいんだけどな」
「最後」
ピクリと柚香が反応した。
「明日にはこの部屋も引き払わないと、遠からずアイツらはここを突き止めるだろうからな」
だからこの部屋で過ごすのは、今夜で最後だ。
そう思うと不思議だ。名残惜しさを感じる。たったの一週間、一緒に過ごしただけの空間。だというのに、今は何とも言えない思い入れのようなものがある。
「俺もそろそろ出て行く事になるしなぁ」
「えっ」
柚香は目を見張る。
「どうして……」
「実はさ、次の仕事決まりそうなんだよ」
家に帰って携帯端末を確認すると、次の仕事の依頼が来ていた。柚香と暮らすのは次の仕事が決まるまで──そういう約束だった。
「また新しい部屋を見つけるのは手伝う。そしたら俺は出てくよ」
「そっか……」
ボソッと呟く柚香の声。
柚香の顔がより一層張りつめる表情になる。
「あたし、お風呂入ってくるから」
夕食を食べ終えると、柚香はそのままバスルームに向かった。
(本当にどうしたんんだ?)
柚香の様子がいつもと違うままなので、フェイは本気で訝しむ。皿に乗った料理は完食しているから、体調不良という風でもない。
洗い物をしながら考えるが、これといった原因が思い当たらない。いくら考えても理由が分からないので、だんだん頭が痛くなってきた。
食器を洗い終えたところで、ソファに座り込んだ。
少し休憩しよう。元々、人のことでアレコレと考え込むことにフェイは慣れていないのだ。
(あれ……?)
柚香のことを深く考えている自分に気が付いて、フェイは驚いた。
なぜ自分はこんなにも柚香のことを考えているのだろう。痛む頭を抑えながら、疑問に思うフェイ。
自分が人の気持ちを考える事が苦手なのは、今まで人のことで頭を悩ませて来なかったからだ。
ではどうして今、フェイは柚香のことを考えているのだろう。
考えても分からないことに、苦しんでいるのだろう。
(俺は……)
その時だった。
バスルームの扉が開く音がした。湯気と熱気、石鹸の香りが漂ってくる。そして急に部屋の照明が切り替わった。
電球色のやや明度の落ちた照明が、ぼんやりと部屋を照らす。
テトテトと人が歩いてくる気配。
「柚香? どうし──」
バスルームの方を振り返って、フェイは思わず絶句した。
下着姿の柚香がそこに立っていた。
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