第3話 よろしく──俺の飼い主様
「──つまりね。フェイがぶっ飛ばした奴って、いわゆるヤクザなのよ」
大急ぎで荷物をまとめてアパートから逃げ出し、最寄り駅から適当な電車に飛び乗って、ようやく柚香はそう言った。
「栖鳳会ってとこの組員なんだけど……」
「──栖鳳会」
フェイは意味深に呟く。
「そいつを気絶させちゃったから、必ず仕返しされる。とにかく逃げないと」
という事らしい。
両腕に柚香の荷物を抱えながら、フェイは納得したように頷く。
「なるほどヤクザ──こっちの黒社会の人間か」
「あんまり驚かないね」
「見るからにガラが悪かったからな。それにあの男、片腕が機械だった」
つまりはサイバネティクスを施されたサイボーグ。
「それなりに予想はつくさ」
裏社会にはサイボーグの人間が多い。
それはサイバネティクスの発展が関係している。
西暦が2040年代に入り、科学技術は人類の予想を上回る速さで発展した。
そうした技術革新の中で、実用化されたのがサイバネティクス。
肉体の機械化。
筋電義肢の実用化である。
現在では、本物の肉体と遜色ないレベルで精密な動きができる義肢が、一般化されている。
生まれつき手足がない、または事故で手足を失った者を、大いに勇気づけるものであり、社会はその技術を歓迎した。
最初だけは。
テクノロジーが一般化されれば、それにともなって社会構造の変化や新たな問題が発生する。
それはサイバネティクスについても同様だった。
実用化された義肢はあまりにも精巧精密。技術が進歩するに連れ、本物の手足以上の性能を発揮するようになった。
するとどうだろう。
四肢の欠損などの理由がないにも関わらず、自分の手足を義肢に変えたがる人間が出始めたのだ。
最初は身障者だった。
腕や脚はあるものの、生まれつき動かない。こんな役立たずな手足ならば、切り捨てて新しい機械の手足に変えてしまおう──そんな考えが出るのも無理からぬことであった。
しかし、この考えはエスカレートした。
身障者ではなく、健常な肉体を持つものまでも、機械の身体を欲しがった。
──今の身体を脱ぎ捨てて、新しい自分になるのだ。
ある種の変身願望といえるかもしれない。
過度に発展した科学技術は、ついに人間から自身の身体に対する執着さえ奪ってしまったのだ。
そうした考えから手足を機械化した者は、己の義肢に改造を施し、日常生活には不必要なほど高出力な義肢を手に入れるようになった。また、武器を仕込む者もいた。
強い変身願望と、実際に強力な手足。
この二つが合わさった事で、一部の人間の倫理観が崩壊。
連日サイボーグが事件を起こすようになり、社会問題にまで発展した。
ついに各国は正当な理由と正式な申請のない限り、サイバネティクス技術を禁止──不必要な肉体の機械化を禁じる事になった。
だが、既に普及したサイバネティクスを完全に管理することは難しく、裏では相当数の違法改造された義肢、及び非合法なサイボーグがいると目されている。
何しろ機械の手足は都合がいい。
ナイフの刃は通らないし、撃たれても死ぬことはない。壊れたらまた新しい義肢に交換すればよく、おまけに傍目には丸腰に見える。
現在の義肢のフォルムは、通常の肉体と全く違いがない。衣服を着用している分には、サイボーグと健常者の違いは分からないのだ。
だから中々取り締まられる事がない。
「元々裏の世界じゃ、四肢の欠損はよくある事だからな。余計にサイバネティクスと相性が良かったんだろう」
「詳しいね」
「……少しだけだよ」
そう言ってフェイは頭を掻く。
「でも何でヤクザが柚香の部屋に?」
「話すと長くなるから端折るけど……アタシの友達の神崎って子が、葛西とちょっと色々あってね。アタシが間に入って、その子を逃がしたんだけど、そしたら今度はアタシに付きまとうようになってさ」
細部をぼかして話す柚香。
まあ、ヤクザ絡みの事だから、言いづらい事もあるのだろう。
腕組みをして唸るフェイ。
「マズいことをしちゃったな……すまない」
「ちょっ、別に謝る事じゃないって」
柚香は手をひらひらと振る。
しかしフェイは申し訳なさそうに、肩を落とした。
結果はどうあれ、柚香がヤクザに目を付けられてしまった事に変わりはない。
「いいって、いいって。あの部屋にアイツが来た時点で、どうせ何時かは逃げなきゃいけなくなってたから。それに──」
柚香は照れたように、フェイから視線を外した。
「アタシを守ってくれたんでしょ……ちょっと嬉しかった」
「……そうか」
赤らむ頬を隠すように言う柚香の姿が、何ともいじらしくて、自然とフェイの頬も緩む。
「なら少しでも恩返しがしたいんだけど、何か俺にできる事はないかな? 何でもするよ」
「何でも?」
ピクリと柚香が反応した。
今までにない、いたずらっ子のような顔をしている。少し嫌な予感がして、フェイは冷や汗をかいた。
「すまない、何でもは言い過ぎだったかも……」
「男だったら言い訳すんな」
小悪魔のように柚香が微笑んだ。
「ちょっとアタシの新居探しを手伝ってもらおっかなぁ」
その日の夜には、柚香とフェイは新しい部屋を見つけていた。
横浜の一角にあるマンションの一室だ。
間取りは以前の部屋より少し大きい2LDK。
リビングにある備え付けのテーブルに、フェイはぐったりと突っ伏している。
「まさか父親役に変装させられるとは思ってなかった……」
電車でフェイが「何でもする」と言ってからの、柚香の行動は早かった。
携帯端末ですぐに地元の不動産情報に片っ端から検索をかけ、目ぼしい部屋と不動産屋をピックアップ。
途中、幾つかの店で変装用の眼鏡や付け髭、帽子等を購入。
「ちょっとジッとしててね~」
フェイの顔に自前の化粧品で、皴の陰影などを付ける変装──柚香の言うところの老け顔メイク──を施す。
そしてアポを取って不動産屋に直行。
「────お部屋を借りるのは篠原柚香様。そして保証人はお父様の篠原伸一郎様、で宜しいですね」
「はい……」
不動産屋に出来るだけ低い声で答えるフェイ。
柚香の父親に扮して賃貸借契約を結び、そしてこのマンションへ。元居た部屋から逃げ出して、僅か半日──まさに怒涛の勢いだった。
「流石にちょっと疲れたかもね」
対面に座る柚香も、だらしなく椅子にもたれかかる。
「それもあるけどさ……」
突っ伏していたフェイが顔を上げる。
「柚香の父親で通せちゃった事がショックだな。俺ってそんなに老けてるのか?」
「プッ! 何? そんな事気にしてたの?」
フェイのズレた言動に吹き出す柚香。
「だってなぁ……柚香って女子大生なんだろ。俺とそんな歳変わらないじゃないか」
柚香が不動産屋で提出した身分証明書には、大学の学生証もあった。という事は柚香の年齢は、大体十代後半から二十代前半という事になる。
「フェイって何歳なの?」
「二十一」
「じゃあ……二つ違いか。アタシ十九だから」
「二歳差の子の親に間違われるって……」
「それだけ変装が上手かったって事でしょ。いつまでもウジウジ言わないの」
まあ、フェイの持つ独特の空気が、年齢を分かりにくくさせている所も多分にあるのだが。
彼の穏やかで飄々とした雰囲気は、時に老成した人物のようにも感じられる。それが功を奏した形だ。
「取り敢えずこれで一安心かな」
柚香は大きく伸びをする。
「後は様子見て、しばらく外出を控えればやり過ごせるでしょ」
「大学は良いのか?」
「アタシ今休学してるから。それに、単位より命の方が大事だし」
「それは確かに」
「……」
「?」
不意に柚香が考え込む素振りを見せる。どうしたのだろうか。
「ねぇ……フェイはこれからどうするの」
「そうだなぁ、取り敢えず折れたカードは銀行に行って直すとして……次の仕事を探そうかな」
「どっか良く当てがあるの?」
「特にないな」
「じゃあさ──」
おずおずと柚香は切り出す。
「次の仕事が見つかるまで、ここに居ない?」
「え」
目を瞬かせて、フェイは問い返す。
「その──柚香、自分が女だって自覚あるか? 俺これでも一応男なんだけど」
「分かってるし」
プイと横を向く柚香。
その仕草はまるで幼子のようだ。
「ほらアタシ、家事とか苦手だからさ。フェイがご飯作ってくれたら、結構助かるっていうか。それにほら、フェイ強いじゃん? ボディガードには丁度いいかなって」
「男と同居する根拠としては早計じゃないか?」
「うっさいなぁ! 先に拾ってって言ったのは、フェイの方でしょ!」
駄々を捏ねるように叫ぶ柚香。
「アタシがフェイを拾ったんだから、どうしようとアタシの勝手じゃん! このまま出て行かれて、もう二度と会えないとか嫌だなって思っちゃったんだから仕方ないでしょ!」
「いやでも、流石に男女で同居は……」
「何? フェイはアタシに変なことする気なの?」
「いやそんな事は──」
「なら良いでしょ」
「……」
「ていうかそれ言い出したら、一晩だけでも家に上げてないし──アタシが良いって言ってんだから良いの!」
「……分かった」
根負けしたようにフェイが小さく笑う。
「次の仕事は多分、来月までには決まるだろうから、それまでボディガード兼家事炊事を引き受けるよ」
その返答を聞いて満足そうに頷く柚香。
「よろしくね、フェイ」
「よろしく──俺の飼い主様」
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