第6話

林冲が馬草置き場の管理人としてやって来た小屋は、所々から隙間風が吹いて状態の良い建屋ではなかった。

真冬にこの状態は正直辛い。

近いうちに修繕してくれる者を探さなくてはならない。


それはともかくとしても、まずは暖を取らねばと囲炉裏に炭をくべた。幸いにも炭は小屋の脇に積まれている。


火鉢にも炭をくべて暖まろうとするが、隙間から入り込む冷たい風のせいで寒気が全く去ってはくれない。


「・・・・・・せめて酒があればよいが・・・」


そうぼやき、林冲は酒場を目指して小屋を出た。


外に出ると雪が降っており、酒場に向かう内に風が強くなって吹雪いて来る。


なんてついていないことか。


陸謙達の狙いはさては凍死させることかと思い始める。


これで酒も買えなくては万事休す。

だが幸いにも、店は営業していて酒にありつけた。


体にじんわりと酒が染み込んで温かくなる。

酒場の主人は気の良い人物で、売れ残ったから構わないと言って温かな肉料理も出してくれた。

酒に合う濃いめの味付けと、肉の旨味の調和が良い。

肴の味には無頓着な林冲も、今後も頻繁に通うかなどと考える。


生き返る、とはこういう気持ちなのだろう。


三、四杯ほど飲み、瓢箪に入る分の酒を買って店を出る。好意で干し肉ももらった。ありがたい。


帰りは積もった雪で歩きにくく、吹雪いているせいで視界も悪い。


やっとの事で小屋に帰ったものの、更なる災難が降りかかっていた。


激しい風と屋根に積もった雪の重み、建屋自体の傷みで、小屋が潰れていたのである。


「なんてことだ・・・。」


林冲は力が抜けたように、どっと疲れを覚えた。


しかし途方に暮れている場合ではない。


潰れた小屋の隙間から布団が見えたので、なんとかそれを引っ張り出す。

崩れた建屋の隙間に上半身を入れ、手探りで火鉢と囲炉裏の火種が消えていることを確認した。


辺りはもう暗い。さてどうしたらよいか・・・


その時酒場に行く途中に古廟があったのを思い出した林冲は布団を抱え、重い足取りでそこに向かう。


古廟の中は管理人小屋よりはキレイで、隙間風に震えることはなさそうだ。


奥に山神像があり、銀子が供えられていた。


古廟では囲炉裏も火鉢もないため暖を取れず、布団に潜り込むも林冲は寒さに震える。

外はまだ吹雪。

このまま徹夜するほかない、と覚悟を決め先程の酒場で買った酒を飲む。


すると外から何やらぱちぱちと爆ぜる音がした。

まさかこんな雪の日に馬草が燃えるはずはないが、嫌な予感がして林冲は立ち上がる。その時、古廟に向かって来る足音と男の声がした。


声の主に林冲は殺意がこみ上げ、懐の短剣を抜きざま扉を蹴破ったのだった。





陸謙は林冲が眠りに就くのを見届けておきたいと言って行動を監視していた。


富安は近くの、牢城で働く役人達の温い詰所で待機中である。


風と雪を伴った寒気は、刻々と厳しさを増す。


馬草置き場の門の外にある柳の木、そこに身を隠して陸謙はその寒さに耐えた。


寒さが全身を刺す。そんな時林冲は酒を求めるはず。長い友人関係だからこその確信が陸謙にはあった。


その予想は、当たる。


林冲が門から出てきた。それほど近い距離ではないが、陸謙は息を潜める。向かった方角は酒場のある街。そして手には酒を入れる瓢箪。

間違いなく酒を飲みに行ったのだろう。


林冲が見えなくなると、陸謙は門の中に忍び込んで管理人小屋を眺めた。

小屋は、雪の重みでみしみしと微かな音を立てている。


潰れるかどうかは微妙・・・と思っている内に風雪は激しさを増した。


雪の厚みがどんどん大きくなるのが見て取れる。

そろそろ倒壊するかと思われた頃、陸謙は壁を蹴ってみる。壁はぼろりと崩れ、小屋は傾いた。

するとほどなくして、小屋は完全に潰れたのだった。


これで林冲はここに帰って来られない。

良い頃合で潰れてくれたといって良いだろう。


だが、良いことばかりではなかった。


陸謙の背後から立ち去る男がいた。

男は足早に、けれど雪で思うように歩けずにもたついている。

陸謙は走って後を追った。


陸謙に気付かれた事で男は慌て、ついには転んでしまう。

追いついた陸謙は男の胸ぐらを掴んだ。


「お前は何者だ?」


低い声で脅すように、陸謙は男に詰め寄る。

なおも逃げようとする男に、陸謙は護身用として持ち歩いている短刀を突きつけた。


「何者だと訊いている。答えろ。」

「お、お前を見張れと、金で雇われただけだ。」

「誰にだ?」

「名は知らない。本当だ!背が低くて小太りだった。」


富安だ。間違いない。

やはり監視をつけられていた。


この男をどうするべきか。

陸謙はさらに尋問する。


「その男に何を言おうとしていた?」

「・・・・お前さんが・・・小屋を・・・・・。」

「すまん。お前に恨みはないのだが。」


富安の元に返す訳にはいかない。

消すしかない。陸謙は短刀を握る手に力を込めた。


男は狼狽えて命乞いをする。


「い、命だけは!助けて下さい!!何でもします!」


陸謙とて出来れば人殺しはしたくない。

それにこの男が戻らないことも、富安に疑念を抱かせたままになる。


最善策かどうかは分からないが、陸謙は男に指示を出した。


「ならば、お前を雇った男にこう話せ。『怪しい動きなく、変わったこともなし』とな。管理人小屋が倒壊したことは絶対に話すな。」


男は目を見開いてコクコクと肯く。


この男が富安に本当のことを言ってしまう可能性はもちろんある。


だが、賭けるしかない。


飲みに行ったとはいえ、林冲もそう遅くならずに帰って来るだろう。


ゆっくり策を練り直す時間もないのだ。


陸謙の腕が緩んでも、男は困惑したようで逃げ出そうとする素振りは見せない。


ならば恐らく大丈夫だろう。


そう判断して、陸謙は男の胸ぐらを掴み直した。


「それから、そのことを奴に話すのはもう少し後だ。」


陸謙は男に短刀を突きつけたまま、門から出る。後ろを振り返り、管理人小屋が倒壊していることは目を凝らさなければ分からないことを確認した。

そのまま元いた柳の木の影に身を潜める。

足跡を消してくれる大雪に陸謙は感謝した。


しばらくして林冲が門の中に戻って来る。そのまま様子を見ていると、林冲は陸謙の思惑通りに近くの古廟に入った。それを見届けてから、男を富安の元に向かわせる。


ここで陸謙はもう一度周囲に目を光らせた。監視していたのはどうやら先ほどの男だけのようだ。


監視がいない。そのことが、陸謙にあることを閃かせる。


このまま林冲に会えるのではないか、ということである。


今更信じてもらえるとは思えない。それでもいいから、詫びる。真実を話して、共に柴進の屋敷に逃げる。


そんな考えが陸謙の頭によぎった。


しかしそれにも危険はある。林冲が富安を許すだろうか。自分を許すだろうか。


柴進の元に最速で行ければ良いが、林冲が富安に一矢報いると言い出せば話はややこしくなる。


林冲を上手く説得できるような、もしくは富安を速やかに謀殺できるような策は今のところはない。


どうする?


自然と足は林冲のいる古廟に向く。しかし直後、遠くから近づいて来る足音に気付いた。


心臓がドキリと鳴る。


まるで隠そうとしないそれは、監視ではない。

だが陸謙に冷や汗をかかせるのには充分だった。


「陸謙殿。」


声をかけて来た足音の主は典獄だった。


「どうですか?上手くいきそうでしょうか。」


まさか馬草置き場のところまで典獄が現れるとは思いもよらない。


危うい所であった。林冲と会う所を密かに見られでもしたら終わり。


仕方ない。林冲には会えないが、これがそもそもの計画通りだ。


心臓はまだどきどきと鳴っている。


「ええ。馬草置き場の管理人小屋に籠もっております。火を点けるなら今すぐにでもできましょう。」

「それはようございました。」

「典獄殿は何故こちらに?」

「・・・ええまあ、どうしても気になってしまうもので・・・。じっとしていられなかったのです。」


典獄の説明はしどろもどろ、目も泳いでどうにも要領を得ない。おそらく富安に何か言い含められてここに来たのかもしれない。


『来なくて良い』と言った陸謙に対して、反対のことを富安は密かに話していたようだ。


典獄は富安にも挨拶をしたいと言うので、陸謙は典獄と共に役人の詰所にいる富安と合流する。


「富安殿、行きましょうか。」

「あぁ。」


三人で乾杯をして酒を飲み、典獄は、


「守備良くいきますように」


と言って深々と頭を下げた。


富安も頭を下げて


「典獄殿、後は我々に任せてお屋敷で林教頭の訃報をお待ち下さい。」


と答える。


それを聞いた典獄はそのまま帰り、陸謙と富安は松明を持って馬草置き場に向かった。


そして馬草置き場の門の中に忍び込み、松明に火を点ける。そして馬草に放った。


煙が上がり、煌々とした炎が煌めき始めると陸謙は大きな息を吐く。


もうすぐ、終わる。おそらく、この命諸共。


富安は一体何を考えているのだろう。

そう思って隣を見ると、富安が嗤い出した。


「フフフッ、ざまあみろ・・・。ざまあみろ林冲・・・・・・。」


焦点の合わない目で、林冲に対する呪いの言葉を吐く富安に陸謙は背筋が凍る。


狂っているのだろうか。だとしたらいつから?


炎の灯りを反射した目は爛々と赤く、人外にさえ思えた。


いや、人を殺すことになんの抵抗もない者は既に人外なのかもしれない。


「富安殿、行きましょう。我々が火をつけたとバレる訳にはいきません。」


二人はその場を去った。富安はなおも不気味に嗤う。


陸謙は富安の前を足早に歩き、古廟の軒下で止まる。


心臓がどくどくと煩く鳴っているのは緊張感の証。


この廟の中に、林冲がいる。この目で見たのだから間違いない。


そのことを知らず声高に嗤って勝利宣言をする富安。


「フフンっ・・・ハハハッ!!ようやく終わったなあ。長かったわ。」

「・・・・・・そうですね・・・。」


耳を澄まして富安の言葉を流す陸謙。


背後から、足を踏み込む音が聞こえる。その直後、扉がけたたましい音を立てて壊された。


林冲だ。


そう認識する前に胸に鋭い痛みが走る。同時に視界は暗く遮断された。


遠くに聞こえる林冲と富安の声。近くにいたはずなのに、何故かこんなに遠い。


思い起こされるのは、林冲と共に笑い、泣いて怒った日々。何も見えない目の奥がやたらと熱かった。


守らなくては。


東だ。それしかない。


林冲、東へ行ってくれ。


泡沫の如き意識の中、陸謙は天に抱く荘厳の山と眩い白銀の神将を見た。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る