第3話 文字と本
私は、祭司長にいつものように質問する。
「祭司長様。魔法文字で、普通の言葉は書けないのですか?」
「あれは、魔法のための文字じゃからのぅ。発音が全く違うので、言葉を書くのはちと難しいぞ」
いつかは、里の皆に算数を教えたいとは思うが、それには、できれば口語用の文字を使って教科書を作りたい。
紙はないが木材は豊富にあるので、木札を使って木簡で教科書を作れば良い。
インクはないが、木炭でも文字は書けるだろう。太過ぎて書くのが難しいようなら、乾性油の植物油とすすからインクを作っても良い。
(次の目標は、文字を勉強する事にしましょう。そろそろ、次の行商人さんがやって来る頃ですから、早速聞き取り調査です。まずは木炭鉛筆の作成から始めましょう)
新たな暇つぶしを見つけ、一人決意する。
翌日、木炭を削って少し先端を細め、持ち手にボロ布を巻いて、簡単な鉛筆を作った。板に試し書きした限りでは、線が太くて書きにくいが、使えないほどでもなかった。
その数日後、予想より早く行商人がやって来た。近隣の村からここまで獣道で荷車を引いてくる関係で、移動に一日、一泊して次の日に市を開き、また一泊して次の日に移動するのが、ここの行商人の基本的な日程だ。
行商人はいつものアレンさんで、黒髪で肌は少し色が濃く、東洋人のように見える。
つまり、里の基準ではイケメンである。まだ20代前半のナイスガイだ。
アレンさんはまだ若いためか、子供に妙にウケが良い。会話の愛想が良いので、私も話しかけやすい行商人だ。
市が開かれると質問できないので、到着してくつろいでいるアレンさんに、早速話しかけた。
「アレンさん。外で一般的に使われている文字を教えてください。魔法文字ではない文字です」
「大陸共通語の文字ならもちろん読み書きできるが、魔法文字は、ほとんどの人が発音もできないぞ」
「その大陸共通語の文字を、教えてもらう事はできませんか?」
「できない事はないが、簡単な読み書きでも半年はかかる」
「では、数字だけでも教えてください。後、できれば次回は簡単な『本』を仕入れて来て欲しいです」
「ホンって何だ?」
「えーと、文字がいっぱい書かれているものです。内容は物語とか」
「ああ、本ね。無茶言うな。あれには小金貨が必要になる」
「え? そんなに、お高いんですか……」
ちなみに小金貨というのは外の世界の貨幣単位で、安い方から順に、小銅貨、大銅貨、小銀貨、大銀貨、小金貨、大金貨になる。
小銅貨10枚で大銅貨一枚になり、以後、10枚ずつで繰り上がる。
これらの事は、先代の親父さんから聞いた。
だいたい、小銅貨一枚でパン一つらしいので、計算しやすく100円と仮定すると、小金貨数枚は数百万円である。
なにが言いたいかというと、こんなど田舎での物々交換では、一生かかっても稼ぎ出せないしろものだという事。
まあ、私の長い寿命で見ればできなくはないのだろうが、そこまで待てない。
(仕方ないですね。少しずつ教えてもらいましょう)
それからアレンさんに数字を習ったが、身構えた以上に簡単で、拍子抜けした。
漢数字やローマ数字のような複雑な数字体系を考えていたが、文字こそ違うものの、アラビア数字のようなものだった。
自分にとっては当たり前で見逃していた事だが、
(そう言えば、日時計で使った魔法文字の数字も、少なくとも10の位まではアラビア数字風でしたね)
と、思い出した。
魔法文字は古代魔法文明の発明品で、その古代魔法文明は、太古の昔に厄災で滅んだと言い伝えられているが、かなり発展した文明だったらしい。
伝説では、継ぎ目のない一枚岩の道路が大陸中に張り巡らされ、魔法で動く鋼鉄の鳥が空を飛んでいたとか。
継ぎ目のない一枚岩の道路という伝説を思い出した時に、アスファルトとコンクリートが浮かんだ。
(アスファルトを作るには、石油が必要ですね。石油からガソリンや軽油等を抽出した残りカスが、アスファルトになるはずです。石油がもし発見できたら作ってみますか。
コンクリートでしたら、材料ぐらいは覚えているんですよね。セメントと砂、そして砂利のはずです)
そこまで考えて、コンクリートを作る方法をぼんやりと考える。
(砂と砂利は河原で取れるとして、セメントが問題ですね。
確か、火山灰とか貝殻とかを混ぜれば代用できると、どこかで見ましたけど、火山灰を大量に入手するのは不可能っぽいですね。あきらめましょう)
おそらくは、現代の数字は、古代魔法文明のものが伝わって行くうちに、徐々に変化したものだろう。
そして古代魔法文明のように発達した世界の科学では、数字も同じような発展をしたのだろう。
次々に大きな桁の数字までマスターした私を見て、アレンさんが若干頬を引きつらせながら言った。
「まさか、そこまで簡単に数字を覚えるとはな……。上位アルクは、頭もいいんだな」
上位アルクというのは、先祖返りの外での種族名だ。
なんでも、めったに人前に姿を見せないため、半ば伝説の種族らしい。種族に優劣を付けるようで、私は嫌いな呼び方だ。
それから文字を全種類地面に書いてもらい、木札に書き写した。
簡易木炭鉛筆で書き写している姿を見たアレンさんに、
「インクを仕入れてこようか?」
と言われた。
「お値段はいくらでしょう?」
「ここで取り扱った事はないが、塩や鉄製品といった交換レートから考えると、一般的なこの里の魔石で、だいたい15個ぐらいじゃないか?」
さすがにあきらめた。
まだ物々交換できるような私物は持っていない私が、大人にねだるには躊躇するものだ。
「インクって、外でもそんなにお高いのですか?」
「そうだな。平民でも買えなくはないが、それなりに高値で取引されているな」
納得した私は、アレンさんに聞いて、単語の綴りを覚える。
最初に覚える単語は自分の名前の綴りだったが、私には名前がない。
仕方ないので、祭司という単語とアレンさんの名前を書いてもらい、繰り返し地面に書いて練習した。
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