雪に埋もれる 2
明確な原因は誰にも分からないのだろう。国が総力を挙げても何ひとつ、分かっていないのだから。
雪隠しの雪は突然に降り、突然に去っていく。場所が分かった時、国の研究チームがやってくる頃には、もう残るのはただの雪ばかりだ。何かが雪の下に埋もれ、そこに何があったかは皆の記憶の中で風化していく。
たまに通る道の建物が、知らない間に壊されていた時。皆は一度立ち止まって思い出そうとするだろう。そこに何があったのか。けれど多くの誰にもそれは思い出せない。
雪隠しの後のお決まりだった。皆が泣いて、でも五年も経った今妹と公園を覚えている人は数えるくらいしかいないだろう。毎月のように祈りに来るあの子の親友。家族。俺。
そしてそれすらも、時が経てば忘れてしまう。看板を侵食する錆のように俺たちの記憶から「妹がこの世に存在した事実」を消してしまう。
居た事実が一つづ雪に埋もれるように隠れていく一方で、俺はわざと隠れていくはずの傷口を開かせるのだ。
忘れ去った時、その時こそ記憶の中の妹すら殺してしまいそうな気がしたから。
俺は今日もあの子がいた公園に行く。あの子がいた傷を、じっと眺める。ひょっとしたらどこか隅からひょっこり顔を覗かせるんじゃないかと、霞のような希望に縋り付きながら。
※※※
当たり前に妹はいない。広がるのは遊具も何も無くなった公園の残骸と、未だに覚えてくれる彼女の残滓ばかりだ。急に吹いた突風がブーケを覆った飾りのセロファンをガサガサと揺らしていく。
今日も、何もなかった。
あの日のように凍てついた日、澄み切った青い空。条件さえそろえば、会えるんじゃないかって浮かんだ甘い希望を冬の切り裂くような空気は容赦なく打ち壊していく。
髪とマフラーをしっちゃかめっちゃかにかき混ぜていく北風に、首を竦めてマフラーにうずめた。攫われてしまいそうな風だった。あの子もあの日、こんな風に雪と風に攫われたのだろうか。
一時間ほどぼーっとそこで突っ立っているのが俺のルーティンだった。何をするでもなく、ただそこに立っているだけ。初めは妹の名前を叫んでいた。けれど、時が経つにつれて呼ぶことすら苦しくなってしまった。
だからただ、立つ。そこに立つ。骨すら冷え切ってようやっと俺は一区切りがつけるのだ。妹がいないというただの事実を受け止められるから。それを何度も何度も繰り返す。
親の呆れと悲しみの混じった顔が浮かんだ。彼らはとっくに受け止めているから、ずっと引きずっている俺は酷い異常者なのだろう。
かじかみ始めた指を開く。吐く息も何もかもが時が止まったように白い。気が付けばもう時計の針は一周していた。
「…………帰るか」
待っていたって妹は現れない。その事実を受け止めながら公園から一歩踏み出す。いずれこの冬も終わり、春が来る。何度も同じように似た春が来る。
俺もそろそろ、受け止めるべきなのかもしれない。俺がいくら探したって妹が帰ってくるわけでもない。両親だって辛いけれど受け入れてどうにか進んでいるのだ。
俺ばかりが立ち止まってはいられない。この冬を、最後にしよう。
一歩、歩く。公園にから己を解き放つように、また一歩。けれど、あと少し、曲がり角を曲がれば公園が見えなくなる丁度その時。目を疑った。
―――雪が、降っていた。
「………………え?」
晴れ渡った空なのに、公園の真上だけが切り取ったように黒かった。そしてそこから音もなく、しんしんと雪が公園へと降り積もる。乾いた地面も花束も、同じ白があっという間に覆い尽くしていった。
まるで公園だけが別世界のようだ。俺はその光景から目を離すことができなくなっていた。もしかしたら、ひょっとして。どくんどくんと心臓が暴れ出す。
とにかく警察に、通報を。国に連絡をしないと。妹が消えた手掛かりが目の前から消える前に。
かじかんだ手でスマートフォンを取り出す。反応しない画面にもどかしく手袋を脱いだ時だった。
―――に…………ぃちゃ……。
声が。
―――に………………ぃ……ん……。
声が、聞こえる。
―――おにい……ちゃん……。
気が付けばスマホを手から落としていた。けたたましい音と共に液晶が割れる音にも気づかずに、走り出す。まっすぐに、あの公園の中へ。
「アヤッ‼」
あそこに、妹がいる。あの下に妹がいる。あの雪の下、ただ冷たくなっていく体を雪に埋もれさせながら、妹は、あの空の下にいる!
「今行くからな、兄ちゃんが今すぐ―――――ッ!」
足をもつれさせながら公園に駆け込んだ時、白いカーテンに頭を突っ込んだように何も見えなくなった。そして前も後ろも見えなくなった中、俺は知る。
―――おにいちゃん……。
そこに妹なんていないこと。空から降ってくる無数の真白から浴びせかけられる、妹と同じ声を聞きながらあの日妹に起こったことを悟った。
妹は雪に攫われたんじゃない。雪に食われたんだ。
そう気づいたときには妹と同じ声をした雪が、俺に吸い寄せられるように群がっていた。
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