雪の下で呼ぶ声
きぬもめん
雪に埋もれる 1
雪隠し、という言葉がある。
「お兄ちゃん、早く行こうよ」
「ええ? いいだろこんな寒い日なのに」
雪隠れではなく、雪隠し。それが訪れるのはあの日のように酷く寒い日。身も骨も凍るような、歩くだけで耳がちぎれそうになるほどの空気がぴん、と張った世界。
こんな日は雪が降る。音もなくしんしんと降り積もる雪が、辺り一面を白く白く覆い尽くす。
「フーンだ。お兄ちゃんがいかないなら一人で行っちゃうもんね」
「あー、そうしろそうしろ。俺はこたつであったまるのに忙しいから」
残るのはただ白い世界のみ。
「あとで羨ましがっても知らないから!」
妹はあの日、公園に行った。局地的な雪が降り積もった翌日、まだ残っている雪で遊びに行った。あの日は確かに晴れていたはずだった。
雪は静かに白く全てを覆い尽くす。山も家も。そして―――人も。
※※※
「また行くの?」
「……うん。今回はあたりかもしれないし」
「……そう、あんたがそれで気が済むならそれでいいけど」
母親の目は心配に満ち満ちていた。当たり前だろう。娘に続いて息子まで亡くすことなんて考えたくもないはずだ。
それでも俺は出かけずにはいられなかった。特にこんなに寒い、凍てつくような日には。
「ごめんね。行ってきます」
俺はあの日からずっと、妹を探している。突然降り積もった雪が、公園を丸ごと包んだあの日から。
白い息を吐きながら、マフラーをきつく締める。手袋越しにも分かる空気は大量に着込んでも尚末端から俺を冷やしていった。
家から少し歩いて住宅街を通り過ぎた先の小さな公園。公園だった場所が、妹が最後に訪れた場所だった。申し訳程度の滑り台とブランコがある、小さな児童公園。
曲がり角から顔を出し、公園の中を覗き見る。敷地を囲う黄色と黒のロープが異物的で、錆びた看板が物悲し気に風に揺られてカランカランと鳴いた。
入り口の「児童公園」という看板を見なければここが公園だったなんて誰も分からないだろう。遊具も砂場も、跡形もなくなったただの空き地に足を踏み入れる。寒さに乾燥した地面が、靴の裏で凍った小石をざりざりと転がした。
誰かが供えたのだろう、公園の入り口には不自然なほど色とりどりのブーケ。それに箱に入ったクッキーやビスケット。何度も何度も来ているのだろう。あの日以来人が足を踏み入れない公園で、そこだけが妙に鮮やかに浮いていた。
妹もその友達も好きだったお菓子。日と風に晒されて角が丸くなったパッケージ。それを彩る生き生きとした花の色は、全てが死んだように静まり返る公園では鮮やかすぎていっそのことグロテスクに思えた。
凍ってしまった公園にばっくりと口を開ける、色鮮やかな傷跡。
俺の涙腺は、もう凍ってしまったようだった。あの時は馬鹿みたいに泣いていたのに、五年も経つともう涙もこぼせなかった。
※※※
この国には時折おかしな雪が降る。
ある時雪はたった一夜の間に、一つの小さな集落を跡形もなく消しさった。後に残ったただの平地に、誰もが唖然としたという。
建物も、人も。雪が降り積もり何事もなく消え去った後には何も残っていなかった。
雪に攫われる。雪に隠される。誰が名付けたか「雪隠し」。時折何故か局所的に降る雪は、情け容赦なく皆平等に攫って行く。
―――――俺の、妹も。
雪遊びをしようとした妹は、公園に降り積もった雪と共にいなくなった。誰かが悲鳴を上げて、駆け付け時には白く平坦な大地が残っていた。
誰も妹を見つけられなかった。いっそ事件にでもなった方がマシだった。もう死んでいると分かったら、俺にだって諦めがついたはずだから。
警察も国も親も、妹がいなくなった明確な原因が他に分からなくて。あの日聞いたあの子の声がまだ真新しく耳に残っている。
もしかしたら、まだ公園にいるのかもしれない。冷たい冷たい雪の下で凍えているのかもしれないとそう思ってしまって。五年経った今も、俺は妹を探し続けている。
妹の泣き声が、この公園から聞こえてくる。そんな気がするのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます