第17話 義脛、鬼一法眼の所へ行った事1
■承安5年(1175)6月
代々の天皇の宝物で、天下に秘蔵された十六巻の書物があった。
大陸の王朝だけでなく、我が国でもこの本を理解しておろかだった者は一人もいなかった。
[訳者注――『
中国王朝では
また張良は虎の巻と名付けてこれを読み、三尺(約90センチ)の竹に乗って空を駆けることができた。
樊かいはこれを読んで甲冑を身にまとい、弓矢を持って敵に怒りを向ければ髪が伸びて相手の兜を射通すことができた。
[訳者注――中国史において名を知られる英雄が六韜を読み、不思議な力を身に着け、事を成したのを説明することで、六韜にはすごい効果があるのを説明している]
我が国の武士では、坂上田村麻呂がこれを読んで
[訳者注――『源義朝、都落ちの事』の冒頭で名前が出た坂上田村麻呂と藤原利仁もまた六韜を読んで活躍したことを描写して、六韜を読んだ義脛は彼らに比肩しうるとしている]
それからはその存在が聞かれなくなって久しかった。
下総国の住人、平
このように天命に背く者は長生きをすることができないものである。
[訳者注――将門もまた『源義朝、都落ちの事』の冒頭で武勇の優れた者の一人として名前があがっている]
同じ国の住人、
将門はよく防戦したが、四年の内に味方はみな滅びてしまった。
これが最期と悟った将門は弓に八つの矢をつがえて放つと、八人の敵を一度に射殺したという。
[訳者注――将門は新皇を自称して独立したが、わずか二カ月で滅ぼされている]
それからまたしばらく読む人はおらず、ただいたずらに代々の天皇の宝物庫に置かれたままになっていた。
その頃、一条堀川に陰陽師の
朝廷の祈祷を任されていたが、この六韜を賜って秘蔵していたのである。
義脛はこの話を耳にすると、すぐに山科を出発して鬼一法眼の許へと向かった。
法眼の屋敷は京中にありながら強固に守られていた。四方に堀を掘って水をため、八つの櫓を立てている。
夕方の申の刻(午後四時)、遅くとも酉の刻(午後六時)になると橋を外し、朝は巳午の刻(午前十時から午前十二時)まで門を開けなかった。
[訳者注――物理的に橋を外すことで、事実上、人の出入りができないようになっていた]
法眼は他人の言葉に耳を傾けない不遜の者であった。
義脛が屋敷の中を覗いてみると、侍の詰め所の縁側に十七、八歳の少年が一人立っていた。
義脛は扇を差し上げて少年を招き寄せる。
「何かご用でしょうか」
「お前はこの屋敷の者か」
「そうです」
「法眼はここにいるのか」
「はい、います」
「そうか。ではお前に頼みたいことがある。法眼にこう伝えよ。門のところに見知らぬ若者がおり、法眼に話があると言っているとな」
「法眼様はとても尊大な方ですから、身分が高い方が足を運ばれた時でも子供を代理として対応させて自分は姿を見せないようなひねくれた人でございます。ですから貴方のような方が会いたいと言っても望みは叶わないでしょう」
[訳者注――主人に対して随分な物言いだが、それだけ鬼一法眼が尊大で一筋縄ではいかない人物であることを強調している]
「お前はおかしなことを言う奴だな。主人の言葉を聞いてもいないのに返事をするとはどういう了見だ。早く中に入ってこのことを伝えてくるがいい」
「伝えたとしても会えるとは思えませんが、とりあえず伝えてみましょう」
そういって中へ入っていき、主人である鬼一法眼の前に跪いた。
「実はこのようなことがございました。門に十七、八歳と思われる若い方が一人おりまして、『法眼はいるか』と聞いてくるのです。『おられます』と答えると、『お会いしたい』と言われました」
「洛中の者がこの法眼を下に見て、そのように言うとは思えぬ。人の使いなのか、自分の言葉なのかよく聞き返してくるのだ」
「あの人の様子を見る限り、主人がいるようには思えませんでした。誰かの家来かと思いましたが、直垂を着た姿はどこかの君達かと思うほどです。またお歯黒をして眉も書いていました。さらに立派な腹巻と黄金作りの太刀を佩いておられます。あれはもしや源氏の大将軍ではないでしょうか。近いうちに謀反を起こそうとしていると耳にしますが、法眼様は並ぶ者なき剛の者でありますから、一方の大将軍になって欲しいと頼みに来たのかもしれません。お会いする時は源氏など世に不要だなどと言われて、太刀の背で一打されないようにお気を付けください」
[訳者注――近いうちに源氏が反旗を翻すのではないかという話が京にある法眼の屋敷にいる者にも広がっているのがわかる]
「ほう、そのような勇ましい者であれば会ってみるか」
そう言って法眼は部屋を出た。
法眼は生絹の直垂に緋威の腹巻を着て、金剛草履を履き、頭巾を耳の際まで深くかぶっていた。
そして手鉾を杖のように突いてトントンと鳴らしながら義脛の待つところへ向かい、しばらく辺りを見渡していた。
「この法眼に話があるというのは侍か、それとも庶民の者か」
義脛は門の際からするりと進み出た。
「話があるのは私だ」
そう言って縁の上にあがる。
法眼はてっきり縁の下で畏まると思っていたのだが、まさか膝を突き合わせることになってしまった。
[訳者注――他者の下には立たない義脛の気位の高さがわかる]
「お主がこの法眼と話がしたいという者か」
「そうだ」
「なんの用か。弓を一張、矢の一本でもご所望かな」
そのような皮肉のこもった言葉を義脛が聞いたのは久しぶりのことであった。
「いや、御坊よ。そんなつまらないことでここまで来たのではないのだ。ところで御坊が大陸の書を持っているというのは本当の話なのか。かの将門が学んだ六韜という兵法の書物だ。なんでも殿上から賜り、秘蔵しているという噂なのだが。その書物はそなただけのものではあるまい。御坊が持っていも読まずに内容を理解できなければ他人に教えることもできないだろう。ぜひ私に見せてもらえないか。一日で読み解き、お主に内容を教えてやろう」
[訳者注――ナチュラルに上から目線である。鬼一法眼が六韜を読んで理解していないと読脛が判断したのは、歴代の人物に比べて成したことがないからだと考えられる。とはいえ陰陽師として朝廷から信頼され、六韜を授けられ、文武に秀でるという評価を得ているのだが]
それを聞いた法眼は面白くなさそうに鼻を鳴らして距離を取った。
「洛中にこのような狼藉者がいるとはな。まったく、このような者を誰が門の中へ入れたのだ」
(憎らしい奴め。望んでいる六韜を見せないばかりか、私に対して乱暴な言葉遣いをするとは何を考えているのだ。なんのために太刀を佩いているのか。このまま斬り捨ててやる)
[訳者注――秀衡ですら義脛にはへりくだった態度をとっていたので、そう思ってしまうのは仕方がないかもしれない]
そう思った義脛の左手が太刀に触れる。
それはかつて鞍馬山で大天狗から譲り受けた太刀である。
切れ味は鋭く、兜ですら一刀両断できる。
だが法眼の位置は一足一刀では足りない場所であった。
[訳者注――鬼一法眼が互いの距離を見極めているのがわかる]
「どうした。腰の抜けたような舞を披露してくれるのではないのか」
(まてまて。落ち着くのだ。まだ一文字も読んではいないが六韜を読むのならば持ち主の法眼は師であり、私はその弟子ではないか。それに背けば堅牢地神の咎を受けることになる。それに法眼の助けがなければ六韜の兵法書の所在もわからないではないか。今はじっとこらえるとしよう)
そうして義脛は人に知られぬようこっそりと法眼の屋敷で暮らすようになった。
山科を出てから食事をしていなかったが、痩せ衰えることもなかった。
しかも日にちが経つと綺麗な衣を着るようになっていた。
密かに事情を知る者はどこへ行っているのだろうと不思議がっていた。
実は夜になると四条にある聖(聖門坊)の所にいたのである。
[訳者注――聖門坊は義脛が源氏の血筋であるのを教えた鎌田正近のこと。奥州へ下る前にも正近には会っているので、義脛は意外に気遣いができる人だったのかもしれない]
・
古代中国王朝周の軍師。斉の始祖。
釣りをしていたところ軍師としてスカウトされた逸話で有名。
・藤原
平安時代前期の貴族・武将。
・藤原
平安時代中期の貴族、豪族、武将。別名、俵藤太。
・
『義脛記』に登場する伝説上の人物。
法眼は僧侶に対する尊称。
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