第18話 義脛、鬼一法眼の所へ行った事2
■承安5年(1175)7月
法眼には
身分の低い者ではあったが心優しく、毎日のように義脛のいる所へやってきてなにかとお世話をしており、義脛も彼女とは馴染みになっていた。
[訳者注――記述はないが、幸寿も脛の美しい女性だったのだと思われる。そうでなければ義脛が気を許すはずがない]
そんなある日、話のついでに義脛は聞いてみることにした。
「そもそも法眼は私のことをなんと言っているのだ」
「なにも言っていません」
「そうなのか。少しぐらいは何か言っているのではないのか」
[訳者注――印象的な出会いを演出することで気にするだろうという義脛の企てである。義脛の策略家としての一面と言えよう]
「以前は『何かあれば知らせよ。なければ放っておいてよい。だがこの屋敷にいることは誰にも言うな』と言っていました」
[訳者注――ある意味、法眼が義脛を匿っている形になっている]
「私のことを承知しているが、心を許してはいないようだな。ところで法眼には子が何人いるのだ」
[訳者注――正面から切り崩すのは難しいと判断し、即座に搦め手の算段を始めている。これも義脛の類まれなる能力を描写している]
「男子が二人、女子が三人です」
「男の二人は屋敷にいるのか」
「はやというところで荒くれ者の大将をしています」
[訳者注――これは正式な官位についているのではなく、せいぜい野盗の頭といったところであろう]
「ならば三人の女子はどこにいるのだ」
「上の二人はそれぞれ身分の高い方のところへ嫁いでおいでです」
「婿は誰なのだ」
「長女は
[訳者注――この頃の平信業は後白河院の近臣であった。鳥養中将は史実には確認できない名前だが、中将は従四位下に相当するのでかなり高位の平家に連なる者だと考えられる]
「何故、法眼のような者がそのように身分の高い方のところへ娘をやることができたのだ。法眼は世に稀に見る痴れ者であろう。人々に何を言われようが味方になって家の恥を晴らそうとする者もいない。むしろ我々程度の者を婿にした方が似合いであり、舅の恥をそそいでやろうと思うものであろう。そう言ってやればいいのだ」
「たとえ女であってもそのようなことを言えば首を斬られるような方ですから。それにもともとは源氏にお仕えしていたと聞いています」
「こうして知り合いになったのも前世の縁があったからであろう。隠し事をしても仕方があるまい。だが決して他人には教えるなよ。私は源義朝の子で源九郎という者だ」
[訳者注――ここでも『お前だけに教えるのだ』と言っている]
「私は六韜の兵法というものを読んでみたいと思っている。法眼のことをこころよく思ってはいないが、目的のためにこうしてここにいるのだ。その書のありかを教えてくれ」
「どうして私が知っているとお思いになるのですか。それは法眼様がとても大切にしている宝だと聞いております」
「そうか。どうしたものかな」
「それでしたら文をお書きください。あの方が一番かわいがっている末娘の姫君はまだ誰とも会わせておりません。その方の機嫌を取って返事をもらって参りましょう」
[訳者注――上の二人の娘はそれぞれ高貴な家に嫁いでいるが、末娘だけは手元で大切に育てていた]
「なるほど。ところでその姫君の脛はいかがだろうか。私は脛にこだわりを持っているのだ」
「さて。はっきりとはわかりませんが、外へ出ることもありませんから白い肌なのは間違いございません」
それを聞いて、義脛は末の姫に興味を持った。
[訳者注――義脛が晴れやかな顔をしていたのは想像に難くない]
「義脛様からお気持ちを寄せて頂ければ女として嬉しいもの。きっと手紙に目を通すはずです。ですから文を」
そう言われた義脛は、身分の低い者であってもこのような心遣いができる者もいるのだなと感心をした。
そして文を書いて渡した。
幸寿は法眼の屋敷へ行き、姫君をいいすかして返事をもらってきた。
それからというもの、義脛は法眼の前へ姿を見せることがなくなった。
「最近、あの者の姿を見ぬし、話も聞かぬな。どこかへ行ったのか、それとも」
そう言って法眼は考え込むようになっていた。
この頃の義脛は姫君の部屋に引きこもるようになっていた。
[訳者注――やはり義脛はモテたのであろう]
「他人に知られないようにコソコソしているのはつらいものだ。いつまでもこんなことは続けられないだろう。いっそのこと法眼に義脛がここにいると教えてやろうか」
そう義脛が言うと、袂に縋った姫君は涙を流す。
[訳者注――この時点で、末娘は義脛にすっかり惚れていたのだと思われる]
「私は六韜を読みたいのだ。二人の関係を黙っておいてほしいのならば、それを見せてくれ」
[訳者注――目的のためには手段を選ばないところは、陵の館を焼き討ちした頃とちっとも変っていない]
明日にでもこのことを父が耳にしたら義脛は殺されてしまうかもしれない。
そう思った姫君は幸寿を連れて父の秘蔵の品が納められている宝物庫に入った。
そして数多くの巻物の中から金具のついた唐櫃に入っている六韜の兵法書の一巻を取り出して義脛に渡したのだった。
義脛は喜び、さっそく書物を広げた。
そして昼は終日これを書き写し、夜は一晩中これを読みこんだ。
七月上旬から書を読み始めて、十一月十日頃になると六韜を一字も残さず覚えてしまった。
[訳者注――法眼に対しては一日で読み込んで教えてやると大口を叩いているが、実際は五カ月かかっていることになる]
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