第11話 義脛、陵の館を焼き払う事

■承安4年(1174)2月

 宿の主人の話を聞いてはっと思い出した。

 義脛がまだ九つの頃、鞍馬寺で東光坊の脛を枕にして寝ていた時のことである。

[訳者注――義脛にとっては男女の区別なく脛に対する執着があったのがわかる]


「可愛らしい幼子ですな。だがお目の様子が他の者とは違うように見える。どちらの若君ですかな」


「この方こそ、義朝殿の若君でございます」


「そうでしたか。平家の後の世にとって大事となりましょう。この子を日本に置いておくことは、まさに獅子や虎を千里の野に放つようなもの。元服すれば、この子を旗印とすべく人々が助け、必ずや謀反を起こすでしょう。もし、覚えておいてください。もしも事を起こすようなことがありましたら、私を訪ねてください。下総国の下河辺という所におりますので」

[訳者注――義脛が幼少の頃から優れていたことの描写なのだが、まさか九つの子供が他愛のない雑談を聞き覚えていたとは思わなかったであろう]


 そのように話していた。


 義脛はわざわざ奥州へ下るよりもみささぎの所へ行こうと思い、吉次にこう言った。

[訳者注――奥州へ向かう予定を変更したというよりも、少しでも仲間を増やしておきたかったのだと考えられる]


「下野の室八島むろのやしま(栃木県栃木市の六所明神のこと)で待っていてくれ。私は人を尋ねてからすぐに追い付く」

[訳者注――初めて旅に出た義脛が何故、合流場所を指定できたのか疑問に思ってはいけない]


 そして義脛は陵の許へと出発した。

 吉次は本意ではなかったが、先に奥州へ下っていった。


 義脛は陵の宿所を訪ねてみたが、随分と栄えているようで、門には鞍を置いた馬が何頭も繋がれている。

[訳者注――馬を育てるのは相応の財力が必要だった。複数の馬を飼っているので繁栄しているのがわかる]


 門から覗き込んでみると、主殿から離れた場所にある警護の武士の詰所には年老いた者や若者が五十人ほども居並んでいる。


「中に入れて欲しいのだが」


「どこから来られたのですか」


 義脛に呼ばれた者がそう問い返す。


「京の方からだ。以前、陵殿にお目にかかったことがある」


 義脛の話を聞いた者は、主人(堀頼重)に取り次いだ。


「どんな者だ」


「立派な方だとお見受けしました」


「それならこちらへお通しせよ」


 義脛は屋敷へ招かれた。


「失礼ながら、どちら様ですかな?」


「幼き頃にお会いしたのですがそのことをお忘れになっているようですね。鞍馬の東光坊のところにいた者です。その時、何かあれば訪ねてくるがいいとおっしゃられました。その言葉を頼りにこうして下ってきたのです」

[訳者注――たまたま思い出したんだろうなどとツッコミを入れてはいけない]


(まさかこのようなことになるとは。成人した子供たちは皆、京で小松殿(平重盛しげもり)にお仕えしている。ここで源氏に協力すれば、二人の子供は殺されてしまうだろう)


 陵はしばらく悩んでから口を開いた。


「ああ、そうでしたか。それはよくぞ思い立ちなされましたな。お言葉をいただき恐れ多いことではございます。しかし、平治の乱(1159)のときにご兄弟は殺されるところでしたが、七条朱雀の方(義脛の母・常盤のこと)を清盛殿が気に入られて、そのお心遣いで命が助かったのです。人の命は年老いた者も若者であってもいつ世を去るか定めはありませんが、謀反を起こすのは清盛殿が亡くなられてからにしていただけないでしょうか」

[訳者注――『常盤、都落ちの事』にあるように、平清盛に気に入られた常盤は七条朱雀で囲われていた]


 義脛はそれを聞いて、ああ、この者は日本一の臆病者なのだと思われた。

[訳者注――頼重にしてみれば息子たちのこと、事が成就するかどうかを考えた上での発言である。義脛の反応はいささか極端であるし、性急でもあるが、これも若者の特権と言えるのかもしれない]


 おのれ、すぐにでもと思ったが、力が及ばないのでその日はそこに泊まることにした。

 頼りにならない者に執心しても利はないと義脛は考えていた。


 夜中を過ぎた頃のことである。

 義脛は陵の館に火をつけて、すべての建物を焼き払ってしまった。

 そして自分は姿をくらませてしまったのである。

[訳者注――だからといっていきなり放火はどうかと思う]


 こうなった以上、下野の横山原、室八島、白河の関などに人を回されては厄介だと考えた。

[訳者注――誰のせいだと思っているのか]


 そこで墨田川に沿って馬に任せて急ぐと、早くて二日かかるところを一日で進み、上野国の板鼻いたはな(群馬県安中市)という場所にたどり着いた。






・平重盛しげもり

平安時代末期の武将・公卿。平清盛の嫡男。

六波羅小松第に居を構えていたことから小松殿とも呼ばれていた。

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