第12話 義脛の最初の臣下、伊勢三郎の事1

■承安4年(1174)2月

 日も既に暮れようとしていた。

 貧しい者が暮らす粗末な小屋が並んでいるが、一夜を明かせるような場所は見当たらない。

 しかし奥まったところに東屋のような家が一つあった。

[訳者注――小屋があればいい方で、この時代は竪穴式住居が多かったという話もある]


 どうやら風情ある人の家のようで、竹の透垣すいがいに檜の板戸を閉めている。

 庭には池があり、水際に群れている鳥を見ても如何にも風流である。


 義脛は庭に入って縁先まで近寄り声をかけた。


「ごめんください」


 すると十二、三歳ほどの召使いの小娘が出てくる。


「何かご用でしょうか」


「この家にはお前の他に大人はいないのか。いるのなら呼んでくれ。話したいことがある」


 それを聞いた小娘は主に報告しにいった。

 少しすると十八、九歳の顔立ちの優しい娘が障子の陰から「どのようなご用事でしょうか」と聞いてくる。


「京の者です。こちらの多胡たこ(群馬県高崎市)という所に人を訪ねてきました。しかし生憎とこの辺りの土地に詳しくなく、日が暮れてしまったのです。申し訳ないが一晩泊めてもらえないだろうか」

[訳者注――吉次との待ち合わせ場所は室八島だったので、とっさについた嘘なのだと思われる。現在位置である板鼻から多胡は十キロ程度離れている]


「それは構いませんが、主人が出かけておりまして、夜遅くならないと戻ってきません。主人は他の人とは違って冷たい方で、貴方に何を言うかわかりません。そうなっては気の毒でございます。どういたしましょうか。他を探されるのがよいかもしれません」


「なるほど。ご主人が戻られて嫌だとおっしゃるのであれば、その時は虎が伏す野辺にでも出ていくとします」

[訳者注――相変わらずの押しの強さである]


 義脛の返事を聞いた女は考え込む。


「今夜一晩だけで構いません。『色をも香をも知る人ぞ知る』というではありませんか」

[訳者注――『君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(あなた以外の誰にこの梅の花を見せるでしょうか。この素晴らしい花の色も香りもあなた以外に誰もわからないというのに)』きの友則とものりの歌。あえて上の句をよまないことで、「あなただけが理解してくれたらいいのですよ」と伝えている。このあたりの教養は鞍馬寺で修めた学問からであろう。武勇だけではなく風流も解するという義脛上げである]


 そう言って遠侍(警護の武士の詰所)にするりと入ってしまう。


「どうしましょう」


 困った女は中に入って年配と思われる人と相談をする。


「同じ川の水を汲むのも他生の縁と申します。なんの不都合があるでしょう。ですが遠侍ではよくないですから、こちらの二間所に入っていただきなさい」


 そしていろいろな菓子を運ばせ、酒もすすめた。

 しかしそれらを義脛は一切受け取らなかった。

[訳者注――陵の館を焼き討ちした直後であり、酒を飲んで寝入ってしまうのを避けたかったのだと思われる]


「この家の主人は世に聞こえたしたたか者です。ですから、なにがあっても絶対に姿を見せないでください。燈火を消して、障子も閉めてお休みください。そして明け方に鶏が鳴いたらお訪ねする方のところへ急いでご出発されるのがいいでしょう」


「たしかに承った」


 女の言葉に義脛はそう返事をした。


 しかしどんな男を夫にしたら、これほどまでに恐れるのだろうかと思った。


 この女の夫よりずっと格上の陵の家に火をかけ、散々に焼き払ってここまで来たのだぞ。

[訳者注――その行為を誇らしく考えている義脛の思考がこの時代では一般的だったのかもしれない]


 ましてやこの女の好意で泊めてもらうのだ。


 夫が戻ってきて酷いことを言うようならば、なんのためにこの太刀を持っているのだ。

 その時は太刀で斬ってやろう。

[訳者注――泊めてもらっておいてこの言い草である。焼き討ちが義脛の気を大きくしていたとも言える]


 そう思い、太刀を鞘から少し抜いた状態で膝の下に敷き、直垂の袖を顔に被せ、寝たふりをして待つことにした。

[訳者注――すぐに太刀を抜けるように鯉口を切った状態になっている]


 しかも女から閉めておくようにと言われていた障子はわざと広く開け、消しておいてと言われてた燈心をかき出して火の勢いを強くして明るくしておいた。

[訳者注――自分の存在をあえて誇示しているわけだが、本当に他人の話を聞かない人物である]


 そうして夜が更けていくのを今か今かと待っていた。

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