第10話 阿野禅師に御対面の事

■承安4年(1174)2月

 義脛はこの地に暮らす阿野禅師(阿野全成)の許へ使いを送ることにした。

[訳者注――阿野禅師は常盤との間に生まれた最初の子(七男)で、義脛にとっては実の兄にあたる]


 禅師は知らせを聞いて大変喜んで、義脛を迎え入れた。

 そして目を見合わせ、お互いが過ごしてきた日々を語り合い、涙を流しあった。

[訳者注――漫画だったら見開き8ページ横ぶち抜き10段ぐらいの壮大さを思い浮かべていただきたい]


「不思議なことだ。別れたのはお前が二歳になったばかりの頃だった。今日という日が来るまで、どこにいるのかすら知らなかったのだ。だというのにこんなに大きくなって、しかも大事を思い立ってくれたことを喜ばしく思う」

[訳者注――『常盤、都落ちの事』にあるように、今若(阿野禅師)は八歳の春に出家している]


「できるのなら私も一緒に打って出て、共に戦いたいと思う。だが私は仏の道を学び、師匠の閑室に入るようになって墨染めの衣を着る身だ。今更、甲冑を着こみ、弓矢を手にするのはどうかと思う。だから一緒に行くことはできない」

[訳者注――殊勝な事を口にしているが、のちにその勇猛さから悪禅師と呼ばれ、頼朝の挙兵に呼応して生き延びた兄弟のなかでは最初に頼朝と合流している]


「それに父上の菩提を誰かが弔わなければならない。それだけではなく源氏一門のこともお祈りしなければならないのだ。お前と一ケ月も一緒にいられず、また離れなければならないのは悲しいと思う」

[訳者注――義脛も鞍馬寺に預けられていた身である。しかもそのまま成長していけば鞍馬寺を受け継ぐだろうと噂されるほどであった。兄弟そろって優秀だったのだと考えられる]


「頼朝殿も伊豆の北条に身を寄せておられるが、警固の者たちが厳しく守護しているというので文を送ることすら控えているのだ。近くにいることだけが頼りで音沙汰もない。お前でも頼朝殿にお会いすることは難しいだろう。だから文を書いてここに置いていけ。お前のことをなんとかして伝えよう」

[訳者注――頼朝は静岡にある蛭ヶ小島ひるがこじまに流されていた。この頃の頼朝は読経を怠らず、亡き父や源氏一門を弔いながら生活していた。監視があったのであまり目立つ行動はできなかったのだと考えられる]


 そのように言われたので、頼朝殿への文を書いて預けることにした。


 その日、伊豆の国府に到着し、三島神社で一晩中祈りを捧げた。


「南無、三島大明神みしまだいみょうじん走湯権現そうとうごんげん吉祥駒形きちしょうこまがたよ。願わくば義脛を三十万騎の大将軍としたまえ。もしこの願いが叶わないのであれば、この山より西へ行けないようにしてくだされ」

[訳者注――『遮那王殿が鞍馬寺を出られるの事』を思い出していただきたい。奥州十八万騎のうち八万騎を率いて坂東へ向かい、坂東で十二万騎を集めてうち十万騎を頼朝に、十万騎を義仲に預けたら、義脛は越後へ行って十万騎を集めるという妄想があった。数だけを見ればぴったり三十万騎となる。頼朝と義仲に十万騎ずつ預けるつもりではないのかと言ってはいけない。なにしろ重度の中二病なのだから]


 純粋な誠実さを尽くして祈りを捧げたが、このような祈りをわずか十六歳でするのが恐ろしいことであった。

[訳者注――中二病だと考えればなんら不思議はないであろう]


 こうして足柄の宿を過ぎ、武蔵野の名所である堀兼ほりかねの井(埼玉県狭山市)を眺め見て、かつて在原業平が眺めたであろう緑の深さを思いながら下総国しもうさのくに(千葉県北部)の高野という所に到着した。


 日数を経るにしたがって都は遠くなり、東国は近くなっていく。

 その夜は都のことを思い出していた。

[訳者注――とてもわかりやすい前フリである]


 義脛は宿の主人を呼んでたずねた。


「ここはなんという国だ」


「下総国でございます」


「ここはこおりか。それともしょうなのか」


下河辺しもかわべの庄です」


「それではこの庄の領主はなんという名だ」


「少納言信西しんぜい(藤原通憲みちのり)と申されます方の母方の伯父である陵介みささぎのすけ(源光重みつしげ)様の嫡子です。みささぎ兵衛ひょうえほり頼重よりしげ)と申します」






信西しんぜい

平安時代後期の貴族、僧侶。藤原通憲みちのりのこと。

平治の乱は信西と敵対していた藤原信頼によって起きたが、信頼に協力した義朝は敗北している。


・源光重みつしげ

平安時代後期の武士。


・堀頼重よりしげ

光重の三男。

『平家物語』では義脛を自分の領地で一年ほど匿ったとされる。

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