第2話 常盤、都落ちの事

■永暦元年(1160)1月

 一月十七日の朝早くのこと。

 常盤は三人の子供を連れて親しい者を頼りに大和国(奈良県)の宇陀うだ岸岡きしのおかへと向かった。

[訳者注――今若、乙若、牛若のこと]


 しかし世の中は混乱の最中であり、頼ることができなかった。

 そこでその国の大東寺というところに身を寄せて密かに暮らすことにした。


 常盤の母で関屋という者が京の楊梅町やまももちまちという場所で暮らしていた。

 平家は六波羅ろくはらから人を送って常盤の母を捕らえ、娘の居場所を厳しく問いただした。

 その話を聞いた常盤は深く悲しんだという。

[訳者注――相手の居場所がわからないのならば向こうから姿を現すようにすればよいと考える清盛は策略家としても一流であった証左であろう]


 母親の命を助けようとすれば、三人の子供は斬られてしまう。しかし子供たちを助けようとすれば年老いた親が死んでしまう。

 どうして子供と親を同じように扱うことができるだろうかと常盤は苦悩した。

 しかし親孝行をする者は大地を司る神様が守って下さると言われている。それならば子供のためにもなるだろうと考え、三人を連れて泣く泣く京へ向かうことにした。


 常盤が京へ向かったのが六波羅に伝わったので、悪七兵衛あくしちびょうえ景清かげきよ堅物太郎けんもつたろう頼方よりかたが命を受け、子供と一緒に常盤を六波羅へと引き立てた。


 捕らえたからには火で焼き、水に沈めてやろうと平清盛は考えていたのだが、常盤を見て考えがすっかり変わってしまう。

 常盤がこの上もないほど美人だったのである。


 九条院の雑仕女を選ぶにあたり藤原ふじわらの伊通これみちは美人をさがした。九条院は美しい者しか好まなかったからである。

 そこで京都中から顔立ちがよく美しい女を千人集め、その中から百人、さらに百人の中から十人、さらにさらに十人の中から最も聡明で美女であった一人を選んだのだが、それが常盤だった。

[訳者注――国民的美少女コンテストかよっていうぐらいの厳正具合であった。小野小町とどっちが美人だったのか気になるところである]


 捕らえられた常盤はすっかり消沈した様子で、小脛こはぎで庭に座り込んでいた。

 清盛も美女には見慣れていたのだが、裾からのぞいている常盤の白い足を目にした瞬間、全身に稲妻が走った。

[訳者注――古代中国王朝には足の小さな女性を性的に好む風習があった。当時、大陸の最先端の文化に触れていた清盛にとって女人の足は大層興奮するものであったと考えられる。また本邦においても仙人が川辺で洗濯する若い女性の白いふくらはぎに萌えて神通力を失った事例からも女性の足には不思議な魅力があると考えられる]


 すっかり常盤の虜となった清盛は自分のものになるのであれば三人の子供を助けてやってもよいと懐柔しようとした。

 その執着ぶりは常軌を逸していた。

 この先、三人の子が平家の子孫にとってどのような敵になったとしても助けてやってもいいと考えるほどでだったのである。

 だが常盤は清盛の提案を受け入れようとしない。


 そこで頼方と景清に命じて、常盤たちを七条朱雀に置くことにした。

 さらに頼方のはからいで毎日交代で護衛の武士をつけさせた。

[訳者注――要するに囲い者にしたわけである]


 清盛は本腰を入れて常盤攻略にかかる。具体的には毎日のように手紙を送った。

[訳者注――この時代、いきなり押し倒すような無粋な真似をしないのが一流人なのである。今でいえばSNSのアドレス交換までいったぐらいだろうか]


 だが常盤はその手紙を手に取ることすらしなかった。

[訳者注――既読がつかない状態だと思っていただきたい。そのそっけないところがむしろいいと清盛は思っていたかもしれない。知らんけど]


 相手は四十過ぎのキモイおっさんだが時の権力者でもある。いつ気が変わって子供たちが処分されるかもわからない。

 そのためついに常盤は清盛の妾になることを承諾した。

[訳者注――常盤は後に一条長成との間に一条能成を生んでいるが、清盛との間に子がいたというのは創作の可能性が高い。常盤に惚れさせる経緯を含め、平家を貶めるための描写とも考えられる]


 自分のものになった以上、約束は反故にする。信じたお前が馬鹿なのだ――などということを清盛はしなかった。

[訳者注――一流の権力者は伊達ではない。そもそも戦った頼朝だって助命があった上ではあるが流罪で済ませているのを忘れてはならない]


 清盛のおかげで三人の子供はあちこちで成人させることができた。

[訳者注――清盛は筋を通す男だった]


 今若は八歳の春の頃から観音寺で学問を学ばせ、十八歳には正式な僧侶となる。それからは禅師の君と呼ばれるようになった。

 その後、駿河国(静岡県)の富士の裾で暮らすようになり、人々からは悪襌師あくぜんじ殿と呼ばれるようになる。


 乙若は八条で暮らす僧侶だったが、腹黒いところがある怖ろしい人物であった。

 賀茂、春日、稲荷、祇園などで祭りがあるたびに平家を狙ったのである。

 後に紀伊国(和歌山県)で雌伏していた源行家ゆきいえが熊野から逃れて乱をおこした時に従軍し、東海道の墨俣すのまた川で討たれた。


 牛若は四歳になるまでは母・常盤と共に暮らしていたが、世間の幼い者たちよりも気立てがよく、振舞いも優れていた。

 また常盤に非常に懐いており、いつも母の足にまとわりついていたという。


 清盛は牛若のことを常から気にかけており、「仇である子をこのままずっと同じ場所で育てるのもどうだろうか(常盤の足は儂のものだからそこをどけ)」と言った。

[訳者注――清盛の常盤(の足)への執着が義脛の成長に大きな影響を与えたのではないかという研究者もいる]


 そこで京より東にある山科やましなという代々の源氏が世を離れて静かに暮らす場所があったので、そこに牛若を預けて七歳まで育てた。

[訳者注――このあたりの記述から、清盛と牛若の関係性を膨らませた物語が多数生まれている]






六波羅ろくはら

当時、平氏の拠点であった場所。平氏の都落ち後、頼朝に与えられる。


監物けんもつ頼方よりかた

たいらの知盛とももりの家来で弓の名手として知られる。


悪七兵衛あくしちびょうえ景清かげきよ

平景清ともよばれる非常に勇猛な人物。

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