第5話

涼先生は学校の剣道部顧問をやって頂いている。

部員は…僕一人だ。


先生の人気で4月には仮入部が増えたのだが、結局のところ剣道は道具をひと揃えするのにかなりの金額がかかる。

親御さんが難色を示したり、“先生が好きだから”だけではモチベーションが続かなかったり、その他もろもろの事情で結局部員は残らなかった。


隣でバレー部やバスケ部、体操部などが練習している横で、(先生はあまり来られないので)一人で素振りをするか、校庭をランニングするのが主な部活内容だった。


道すがら、姫が問う

『剣道は武道場で行うものなのではないのか?』

「うちの中等部には武道場が無いから…」

むしろ武道場がある中学校の方が珍しいのでは?などと考えていると体育館に到着した。

用具室でジャージに着替えて用具室から出る。

打ち合いの練習を稀にしかしない部活動では、防具を着けずにほとんどジャージで済ませている。

ストレッチと準備運動を行い、一通り素振りを開始した。


足を崩して座って見ていた姫から質問された。

『面、胴、小手、突き、…なぜ攻撃箇所を発声するのか?』

姫の質問に対し答えが浮かばなかった。僕自身、発声の理由を聞いたことがあったっけ?思い出せない。

『まあ良い。攻撃箇所を発声するという事は、聞こえてきた声に応じて、そこを防御すればよい、という事じゃな。じょう殿の防御力もそういう事なのだろう?』

これまた答えに詰まっていると、体育館入口から女子バレー部員の人から声掛けがあった

「士郎くん最終です。消灯よろしくね」

気が付くと結構な時間になっており、他の部活は皆、終了していた。

涼先生は忙しいのか、まだ来られていない。

涼先生が来たらすぐに引き上げられるよう、着替えを終わらせておこう。そう思い

「僕も着替えてきますね」

そう姫に伝えて用具室に向かおうとしたとき、

ぞくりとした感覚を感じ、姫を背中に隠して感じた方向に竹刀を向けた。



見たことの無いものがそこにあった。いや、しゃべったので“居た”というべきか。

漆黒の身体に頭が一つ、手が2本、足が2本、身の丈2メートルくらいの、一見巨大な人のような形をしていた。ただ、目か口かわからない、赤い丸いものが3つ、時にもう一つ浮き出てきて4つなったりしている。その赤い丸が黒い身体を自由に動き回っており、人間である事を否定していた。


なんなんだ?窓から入ってきたのか?間合いの距離は15メートルくらい?スピードはわからない?振り絞って声を出す

「姫、逃げてください!」

振り向いている余裕が無いので姫の行動は判らない。

漆黒の巨人がゆっくりと腕を振り上げて、おろしたとき、腕が高速で伸びてきて、手先の部分が迫ってきた!

よける?ダメだ、後ろに姫が!

反射で竹刀の先端を伸びてきた手先に当てる。

竹刀が薄い紙のようにバラバラになるが、気持ち数ミリだけ軌道を上に逸らせたか?

さらに伸びてきた手先を右肩にかすり当てて、可能な限り軌道をそらすよう試みた。

『じょう殿!』

とりあえず、試みは成功したようだ。姫に直撃はしていない事を声が教えてくれた。

痛みは感じないが、右手が上がらない。

かつて読んだ、誰かの体験談を思い出す。

“試合中はアドレナリンが出ているから痛みは感じないが、試合が終わると痛み出し、医者の診断をうけると結構な重症だった”

おそらくそれなのだろう。不思議と恐怖は感じない

ただ今は、一心にこう思っていた

“姫を守らねば”と…



意に反して片膝をついた。ちらりと右を見ると大量の血が床面に広がっている。

思った以上に傷が深い?出血多量?

そう思いながら視線を戻すと、姫が一歩前に出ていた。

(逃げてください!)

もう声を出すことすら出来ず、体を支えることもかなわず、床面に倒れ込んでしまった。


姫が漆黒の化け物に向かって話しかける。

『“邪(よこしま)なるもの(pernicious existence)”か。我が必殺最強呪文術の、人の世での試し打ちの実験台にしてくれるわ!』

姫が化け物に手のひらを向け、何かをつぶやき始める。手の周辺が光だして光は球状になり、小さな雷光が光球から走り出した。


化け物が思わず叫ぶ

「貴様は精霊界の!」

すべて言い終わる前に、化け物が絶命した。


「姫、遅れて申し訳ございません」

涼先生が姫の傍らにいつの間にか居て、跪きながら左手を化け物に向けていた。

左手からは氷柱がまっすぐ伸びていて化け物に突き刺さっており、化け物は全身を凍らせられ、氷の塊と化していた。

数秒後、氷が粉々に割れて霧散し、同時に化け物も霧散した。


きょとんとした表情の姫だったが、やがて怒りを露わにした

『せっかく最強術試し打ちのチャンスだったのに!』

姫の手の光球がしぼんで無くなった。

「しかし、姫を護るは私の使命でもありますゆえ」


姫が言葉を続ける

『まあよい、“見事な面あり一本”じゃった』

涼先生「どちらかというと突きですね。…それよりも、じょう君を」


倒れている身体そのままにして硬直する。

気絶したふりをしよう。どのみち動けないし、どうにも出来ない。

結果から言うと、それ以外の選択肢は無かったと思う。


「いろいろと秘密を聞かれている可能性があります」

『…我を守ろうとしてくれた。』

「先日も申し上げましたが、士郎家にはとてもお世話になっています」

『うむ』

「秘密を聞かれている場合“最悪の手段”もやむを得ないのですが…今回は助命を嘆願します」

『うむ、我もそのようにしたい』

「ただ、そうなると別の問題が発生します」

『?』

「“回復術(blessing of the ground)”による傷の回復と“記憶消去術(Forget me not)”の精度の問題です。いずれも大地の精霊王の術ですので…」

『わ、わかった。まかせておけ』

「…」



気が付くと体育館の天井が見えた。

「起きましたか」

『き、急に熟睡を始めたから心配したぞ』


起き上がってみると、ジャージから制服に着替えが終わっている。


「なぜかとても汚れていたので、ジャージは処分させてもらいました。後日購入して届けますので、しばらくは予備のジャージで過ごしてください。部活中の出来事ですので、私から提供します」


「は、はい」

声が少しうわずった気がした。


涼先生の氷の瞳で観察されている気がする。


気づかれてはいけない、


(涼「…秘密を聞かれている場合“最悪の手段”もやむを得ないのですが…」)


全部覚えている事を。



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