第2話
「ただいま」
「おかえり、じょう。」
母からの返事を虚ろに聞きながら、自室へと向かう。
虚ろなままお風呂に入り、食卓に着く。
「いただきます」
習慣で声を発して、虚ろなままお味噌汁をすすった時、
「美味しい」
やっと現実に戻ってきた気がした。
「あら、やっと戻って来た?心ここに非ずって感じだったけど」
「解ってた?」
「ふふ、母親ですもの。美味しいものは偉大ね」
たしかに、美味しいものは偉大だ。
「お隣に遠縁の親戚さんが…」
ここまで言ってはっとした、遊びに来ているのか?引っ越してきたのか?そういえば名前すら聞いてない…
母が笑いながら茶化すように言う「女の子?心奪われちゃったの?」
「見た感じ、すごく小さな子なので小学生なんじゃないかな?」
母は興味を持ったようだ
「週末お伺いした時に会えるかしら。」
―
涼「よいですか、姫」
姫は箸を使った食事に神経を集中しており、碌に聞いていない。戦況はかなり苦戦を強いられていた。まだ料理をまったく口内に移せていないのだ。
目の前にはざるそばが置かれている。
妹のしずくが初日なので気を利かせて“フォークかスプーンで食べられるもの”を晩餐として提案したのだが、兄である涼が、“ここ日本では、箸での食事が必要となる場面とても多い”との理由で、箸使いのトレーニングを兼ねての、箸での晩餐となったのだ。
「そもそも箸での食事も習得しておいて下さいとお願いしていたはずです。」
『あっという間にあやつを見つけて、すぐに帰るつもりじゃったのでな。火の王と風の王にもそう伝えてきたのじゃ』
「…学校はどうするのです?姫のご希望で手配を進めているのですよ」
『寺小屋の事か。うむ、もちろん行くぞ。我の勘ではそこにやつが居ると思うのじゃ』
堂々と言い放つ姫に、内心頭を抱えながら涼が続ける
「私の勤務している中学校を手配中でしたが…どうみても小学生の身長です。もう少し背丈を伸ばして化身術をして下さい」
『それがどうも上手くいかなくてな。まあ良いではないか』
「あとお隣の士郎家の方々には、普段よりとてもお世話になっているのです。特にお母上には剣道の指南もして頂いています。隣家とトラブルなくお過ごしをお願いします。」
『剣道?それはいかなるものか?』
「剣という武器を使った格闘術を通じて、道、即ち生き方を模索する、と言われています」
『ふむ、一度閲覧させよ』
しまった、と思ったがもう遅い。トラブルを少なくするには、人との接触を最小限にするべきなのに…
肩を落とす涼の横で、姫は箸使いを克服しようとしていた。
震えながら、持ち上げられたそばをツユにディップし、ついに口の中へ運ぶことに成功する。
『すばらしい!これが美味しいものを食するという事か!美味しいものは偉大だ!』
―
先日夕方にあった不思議な出来事がまるで無かったかのように、週末の日曜日がやってきた。
「いらっしゃいませ。士郎知恵様、士郎じょう様」
涼先生の妹であるしずくさんに迎えられ、敷地内の道場に案内される。
日曜日の朝に都合が合えば、母は江蓮邸の道場で剣道の指南をする。
涼先生曰く、数年前に母に懇願し、二つ返事で引き受けて頂けたとの事だった。
涼先生はあの日の翌日以降も普段通りで、変わったところは全く無い。
いつも通りの先生だった。
江蓮 涼先生。
整った顔立ちとすらりとした長身で、毎年新入生入学の季節には、女子生徒の好意の的となるのが恒例行事となっている。
涼先生本人は「あまり目立ちたくは無いのですが…」と言ったことがあるけど、無理な相談だと男の僕でも思う。
ただ、顔が綺麗すぎるせいか、多くの女子生徒は勝手に冷たい印象をもち、勝手に恐怖を感じて距離をおいてしまう。もちろん会話をしてみれば、普通に優しい先生だとわかるのだけれど。その冷たさを感じる気持ちもわかる。
普段の何気ない凛とした顔も、氷のような冷たさを感じる事があるのだ。
特に剣道の稽古を行う際、涼先生が竹刀を持って構えた時に面の中から届く眼光には、氷で射貫かれたような錯覚を感じることがある。
それぐらい整った冷たい顔”という印象だから、母が涼先生と向き合って竹刀を突き合わせることが出来るのが、不思議で仕方がない。
「一日の長、かな?」と母が笑顔で言えば、「とても一日どころか、幾年でも埋まることの無い差を感じます」と涼先生が言った事がある。
そんなことを思い出しながら廊下を歩き、道場が近づいて来たときに、中から少女の声が聞こえてきた。
『おのれちょこまかと!ならば最強破壊術…』
続けて涼先生の声が聞こえてきた。
「面!一本です。というか4本目ですよ」
『我はまだ、まいっとらん!』
「いえ、そうではなくて…」
少し速足になったしずくさんが扉に近づき、ノックしながら言う。
「士郎知恵様と士郎じょう様をお連れしました」
扉を開けた瞬間
『とおおおおぉっ!』
突っ込んでくる少女をいなして、涼先生が片手で面を打ち込みつつ
「いらっしゃいませ」
と言い、此方に向き直る。
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