12.森の呼び名

イネイは納得した。確かにサマンはクランデ―ロに似ている。外見ではなく、雰囲気や仕草が、クランデ―ロが人に諭すときのそれに瓜二つだった。しかし、アスコラクの言葉に引っ掛かりを覚えた。体を乗っ取るとは、どういうことだろう。その疑問は、フィラソフの中にはなかったようだ。アスコラク同様に、フィラソフもサマンを見つめていた。


「サマン。いや、ピシャ=パスチェ」


その名前に、イネイは言葉を呑み込んだ。真っ青な顔で、口元を抑え、目を見開いている。無理もない。二大大国期の二つの大国が、全面的な戦争を行ったのは、約三千年前。そこからしばらく西の大国の一強体制が続いたが、内政維持には外交が欠かせなかった。そこで行われたのが植民地支配。植民地支配の始まりと終わりは、何をもって植民地支配とするかによって異なるが、約二千年前には植民地支配が行われていたとされる。つまり、ピシャ=パスチェが生きていたのは、今から二千年も前ということになる。人間の寿命を逸脱しているのは明らかで、自身の首を対価に生きたイネイや、老いる代わりに長命を維持したクランデ―ロ。絵の中で若いまま長命を維持したリョートや、鏡の中で水銀の毒から心身を守りながら生きたフィラソフも、その罪に該当する。しかし、このピシャ=パスチェの場合、自分の体ではないという一点において、他の四人とは異なっている。つまり、サマンが代替わりを行うたびに、ピシャ=パスチェは体を乗り換えて生きてきたのだ。しかも、サマンには悪びれた様子がない。「サマン」はおそらく、呪術者という意味なのだろう。時に自身に、生きている人間以外を憑依させ、託宣を行う。つまり、サマンという人間は、元々、神や精霊、死人などが憑依するための器でもあった。そのため、体を捨てたピシャ=パスチェにとって、これ以上の器はなかった。サマンの体を乗っ取ることは、容易いことだったに違いない。それがサマンの日常的な行為であり、非常時の役割だったからだ。ピシャ=パスチェは、植物学者として禁忌を犯したあげく、植民地のガレートの人々を利用し、ガレートの人々が大事にしてきた精神的な支えである「サマン」を、自分の体にしたのだ。


「あなた、何をしたか分かってるの?」


イネイは怒りに震え、嫌悪感を露わにした。自分も首なしで延命していた身だ。イネイが慕っているクランデ―ロも、少しずつ老いながらも、三千年を生きていた。そしてリョートは絵の中で、他者の時間を奪いながら生き、弟子であるアブマンに不死の術を施した。皆、自分の体で生きてきた。それなのに、ピシャ=パスチェは、永遠に「サマン」の体を奪い続けることで、生きてきたのだ。人間として、許せるはずはなかった。しかし、イネイの問いに答えるものはいなかった。ピシャは、イネイのことを横目でちらりと見て、わずかに笑い、目を伏せた。


「もう、完全にお気づきのようですね」


妙に間延びした奇妙な沈黙が流れた。それを埋めるのは鳥や猿の鳴き声だった。サマンは口角を上げて、諦めたように笑った。


「では、この〝自殺する森〟の正体から申し上げましょう。これは何故レカルストが西の大国に発見されるまで知られていなかったのか、という問いに繋がっています」


「いいだろう。話せ」


アスコラクもフィラソフも、イネイと同様の想いはある。しかし、それはもう過去の事だ。今やるべきなのは、怒りをぶつけることでも、嫌悪して突き放すことでもない。真実を知り、正確に、そして確実に、仕事を全うすることだ。


「ここ数百年、雨季と乾季のバランスが崩れ、年々雨季が長く、激しくなり、ついに森は水没するまでになりました。しかし、ここは元々、乾季の方が激しかったのです」


サマン、いや、ピシャが話しているのは、数百年前から今に至る気候変動と観測の記憶である。つまり、この男はかつてのサマンの体を乗っ取りながら、数百年を生きてきた、まさに生き証人なのである。サマンは呪術者であり、それはこの地では他の魂を己の体に憑依させる役割を担う。サマンという役職に憑く他者は、神であり、精霊であり、時に何世代前の死者でもあった。現在のサマンも、ピシャの魂を下ろした結果、自らを乗っ取られてしまったのだ。それはまるで、レカルストが人間に寄生するようなものだ。


 ここまではっきりし来ても、イネイはまだ信じられない想いでいた。自分がアスコラクに付き従うことになった原因を作ったのが、レカルストの実だった。そして、確かにレカルストの実は、イネイの両親を救ってくれていた民間治療薬であった。それを求めてクランデ―ロとも出会うことができた。そんな皆の薬であり、安全な万能薬が、まさか人間に寄生する寄生植物だったとは、きっとイネイでなくても、にわかに信じることができないだろう。それほど、レカルストの実は、全世界で数えきれない人々の命を救っているのだ。


「植民地以前、首狩りは、雨乞いのために行われていたほどです。そしてこの辺りには、乾季の強い日差しを受けると、油のような樹液を出して、焼き畑を行う木が自生していました」


焼き畑という言葉を、イネイは知らなかった。一方のフィラソフは、聞いたことがあった。痩せた土地を人為的に焼いて、一時的に肥沃な土地に変え、農耕を行うというものだ。痩せた土地の東では、多くの農民がこの焼き畑を行っていたらしい。しかし、焼き畑を繰り返すうちに、土地が肥えなくなったり、森林火災につながったりするなどの問題が発生し、現在ではあまり聞こえが良くない。しかし、フィラソフは首をひねる。焼き畑は人為的なものだ。その言葉の通り、人間が農耕を目的として行う。それを木自体が行うとはどういうことだろう。しかし、アスコラクは納得したように、右手を軽く上げた。その手には黒い油のような汚れがあった。


「お前の家に使われていた木材がそれだな。その木が起こす焼き畑によって、レカルストの木自体が花や実をつける前に焼き払われていたために、被害が出なかったというわけか」


ピシャは神妙な面持ちで頷く。


「そうです。燃える樹液を出す木は火に強く、表面が少し焦げる程度で、その木だけが生き残ります」


「まさに自殺する森。殺す森と言ってもいいのか」



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