第341話 残された者(マチルダ海峡 ガルツ要塞)

 イルヴァの艦隊が遠ざかっていく。フォルスバッハは追いつけぬと判断し、艦隊に減速を命じた。


「あの女……なかなかやるな」


 フォルスバッハは面白そうに呟く。


 カザラス軍が追いかけようとしていたロアルドの艦はすでにすぐ近くに来ていた。だが半壊し、沈没しかけているロアルドの艦からは悲鳴が聞こえてくる。その周囲には何やら長細い生き物が群がっていた。


 3mほどのその生き物は「槍イカ」という名の魔物だ。体長の半分ほどはランスのように尖った頭が占めている。十本の足を器用に使い、水中を猛スピードで泳ぐ。そしてその勢いのまま獲物を頭で貫くのだ。この攻撃は「イカ刺し」と呼ばれ、重騎兵の槍突撃ランスチャージに匹敵する威力を持っている。


「長居は無用だな。ラングール海軍は壊滅し、新たにクジラの死体も手に入れた。引き上げるぞ」


「しかし……海上には多くの兵が……」


 フォルスバッハの指示を受けたカザラス兵が、恐る恐るそう口にした。


「おっと、そうか。海戦は面倒だな」


 フォルスバッハは顔をしかめて海面を見た。カザラス軍、ラングール軍ともに多くの兵士が海面を漂っている。


「三隻残して部下を回収させろ。残りはクジラの死体とともに帰還する」


「敵兵と奴隷たちは……」


「部下を回収しろと命じたのだ。それ以外に私が言ったか?」 


「い、いえ! 失礼いたしました!」


 フォルスバッハに睨まれ、兵士は慌てて引き下がった。


 カザラス軍の軍艦はジラークの皮を魔物除けとして船底に付けている。しかし血やタールの匂いが漂う海域で魔物に襲われない保証はなかった。兵士たちも非情なフォルスバッハの決定に戸惑いつつも、危険な海域から離れられることに安堵もしていた。特に無防備な輸送船はなおさらだ。


 輸送船には捕虜や奴隷が載せられていたが、彼らを監視するためのカザラス兵も乗っていた。しかし彼らは家族等をフォルスバッハに人質に取られていた。そのため捨て駒のような扱いを受けると分かっていながら、指示に従うことしかできなかった。海を漂う人々のことよりも、自分が無事に帰れる喜びが勝っていたとしても責めることはできないだろう。


 こうしてフォルスバッハは引き上げ、残った軍艦も雑に兵士を回収すると、そそくさとその場から逃げ去った。あとには海面を漂う船の残骸と取り残された人々、そしてところどころでまだ燃え続けているタールが残されているだけだった。


「くそ……!」


 船の残骸に捕まった男が呟いた。格好はカザラス兵の格好をしているが、両手は手枷でつながれている。ヤースティン・ノランディル――前回の海戦でラングール海軍オルソン・シャーリンゲル提督の副官を務めた青年だ。

 

 獲物を求めて集まってきたのか、海中には黒い影が通り過ぎていくのが見える。


「火の近くにいろ! 魔物に襲われるぞ!」


 ヤースティンが叫ぶ。ヤースティンの周囲にはかつての部下が集まりだした。


「ちくしょう、フォルスバッハめ!」


 同じ格好をしているため分かりづらいが、取り残されたカザラス兵も悪態をついていた。


「うわっ!」


 そのカザラス兵が海中に引きずり込まれる。付近に浮いている者たちも次々と海に引きずり込まれていった。


 様子を見ていた海の魔物たちが安全と分かり、続々と海面を漂う者たちを襲い始めたのだ。あちらこちらで断末魔の悲鳴が沸き起こる。


「無様に生き残った上に、こんな情けない死に際か……」


 ヤースティンは怒りと悔しさで顔を歪めながら呟いた。すでに生き残っているのはヤースティンと、周囲にいる部下数人だけとなっている。


「ひぃっ!」


 ヤースティンの近くにいた兵士が悲鳴を上げる。浮いているヤースティンたちのすぐ足元を何かが通り過ぎて行った。


「気を付けろ、来るぞ!」


 ヤースティンは海中を凝視する。そのせいで頭上から来るモノに気づかなかった。


 鳥が羽ばたくような音が響き、あたりが黒い影に包まれる。


 次の瞬間、海面からヤースティンたちの姿は消え去っていたのだった。






 ガルツ要塞の攻防戦から一週間ほどが過ぎた。


 死体の処理や負傷者の治療もあらかた終わり、ガルツ要塞もようやく落ちつきを取り戻している。


「アデル様、がれきの撤去も終わりました」


 そうアデルに報告したのは金獅子傭兵団の若き団長、アルバートであった。


「お疲れ様です。なんか変な感じがするんで、敬語じゃなくても大丈夫ですよ」


 アデルは苦笑いを浮かべた。いつもヤンキーのような態度でアデルに接していたアルバートだが、ガルツ戦以降、アデルに敬語で接している。


「そ、そうか。わかったぜ」


 アルバートはぎこちない笑顔を浮かべた。


(こんなすごい奴だとは思ってなかったからな……)


 アルバートは心の中で冷や汗を浮かべていた。アデルの力はわかっているつもりであったが、いざ自分でも部隊を率いて戦争に参加してみて、その大変さが身に染みていた。より大軍を、しかも異種族からなる軍を率いるアデルのすごさがより理解できていた。しかも硬直していた戦況を、凄まじい力を誇るドラゴンを率いて一気に打開して見せたのだ。


(アデルとダルフェニア軍……本気を出したらどれだけ強いんだ?)


 まさかアデル本人もそんなことは把握していないとは露知らず、アルバートは舌を巻いていた。


「それと、変な名前のオークが何か見つけてきたらしいぞ」


「変な名前のオーク? プニャタさんかな?」


 アルバートの言葉にアデルは首をかしげる。


「おう、それそれ」


「わかりました、ありがとうございます」


 アデルは頭を下げると、プニャタの元へと向かう。プニャタは山中を捜索し、カザラス軍の残党を探す任務にあたっていたが、それも今日で終わりだった。ここ数日は見つかったとしても、カザラス兵の死体か、もしくは魔物に食われた残骸しか見つかっていない。


 アデルがガルツ要塞の中庭に出ると、プニャタら数人のオークが集まっていた。ポチやピーコに地竜王、イルアーナやメルディナも加わり、輪になってしゃがんで何かを見ている。アデルはその輪に近づいて行った。


「はぁ~……!」


 イルアーナが声にならないうめき声を漏らしているのが聞こえる。アデルは上から輪の中心をのぞき込んでみた。


「ん?」


 輪の中心では何か小さい生き物が動いていた。大きさは子猫ほどで、イノシシの子供、いわゆるウリボウに似ている。ただし耳元からは山羊のような太目のカールした角が生えていた。その生き物は地面に置かれた皿の中身を夢中で舐めている。その口の周りは白く濡れていた。どうやら山羊のミルクか何かを与えているようだ。その隣ではアースドラゴンの子供が興味深げにその生き物を眺めている。


「わぁ、かわいい!」


 アデルが思わず声を漏らした。その声に反応したのか耳をピクピクと動かした後、その生き物がアデルをつぶらな黒い瞳で見上げた。


「ベヒ~ッ!」


 そしてその生き物は山羊のような鳴き声でそう鳴いたのだった。


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