第340話 マチルダ海戦 3(マチルダ海峡)

 カザラス海軍に囲まれ、ラングール艦隊は一隻のジラーク級戦艦を、牽引するジラークとともに失っていた。


 ラングール艦隊はクローゼ級戦艦からの射線を輸送船で遮る様に前進する。そうすることによってカザラス軍の攻撃を封じられるという算段だ。


「提督、二番艦が……」


 部下の報告にロアルドが振り返ると、カザラス軍の集中砲火を受け沈んでいくジラーク級戦艦の姿が見えた。


「……必ず仇は取る。父の分も含めてな」


 ロアルドは憤怒の表情を浮かべて誓った。


「進路上に敵の輸送船、多数!」


 舵を取るカザラス兵が大声を上げる。その言葉通り、前方には何隻ものカザラス軍の輸送船が無防備な横腹をさらしていた。


 カザラス軍の輸送船団を囲んでいたクローゼ級戦艦がラングール艦隊を包囲しようと円を狭めている。そのクローゼ級戦艦が輸送船団の進路上を塞いでいるため、輸送船団も船足が鈍り密集するような形になりつつあった。


「好都合だ。そこに紛れ込めば『ハリボテ』も迂闊に攻撃できまい。邪魔な輸送船は押しのけろ。うっかり破壊してしまわないよう、ジラークの手綱をしっかり握っておけ!」


 集中砲火を受けていたジラーク級戦艦が沈んだことで、ロアルドの艦の周囲にもカザラス軍からの攻撃が飛んできている。そのうち一発が、前方にいる輸送船に命中した。


「やつら、味方艦がいるのに見境なく……」


 ロアルドは信じられないといった表情で呟く。


 しかしその目に、攻撃を受けた輸送船からあふれ出るタールが映った。


(まさか……意図的に味方艦を……?)


 ロアルドの考え通り、カザラス軍の攻撃が次々と輸送船に命中し始めた。バリスタの矢で破壊された船体から血を流すかのように黒いタールがあふれ出る。


「いかん、回頭しろ!」


 ロアルドが絶叫するように指示を出す。その直後、クローゼ級戦艦から火矢が飛んだ。火矢は海面を漂うタールに命中し、火の手が上がる。その火はあっという間に燃え広がり、ラングール艦隊の進路は炎の壁によって塞がれた。その火はタールを流している輸送船にも燃え移り、乗っていたカザラス兵たちの悲鳴が衝撃波のようにラングール兵たちを襲った。


「奴ら……味方を何だと思っているのだ!」


 驚きと怒りにラングール兵が震える。


 だが実際の輸送船に乗っていたのはカザラス兵の格好をさせられた奴隷や捕虜たちだ。カザラス軍にとって彼らはある種の物資にすぎない。前線基地の建設も終わり、労働力として連れて来られていた彼らの利用価値は下がっていた。カザラス軍を率いるフォルゼナッハはそれを有効活用・・・・したのだ。


 ラングール艦隊は炎に巻き込まれる直前でどうにか反転することができた。しかし速度の落ちる回頭を敵の射程距離内で行うのは自殺行為だ。案の定、カザラス軍の攻撃がラングール艦隊に降り注いだ。


「うわぁっ!」


 マストが折れ、甲板に穴が開く。ハリネズミのように体から矢を生やしたラングール兵がヨロヨロと歩き、その穴に落ちていった。


「ぐおっ!」


 一本の矢がロアルドの肩を貫いた。傷口を押さえながらロアルドは樽の陰に逃げ込む。周囲には甲板を埋め尽くすようにラングール兵の死体が転がっていた。


「完敗だ……」


 兵士の悲鳴を聞きながら、ロアルドは茫然と呟く。


(父上……仇をとれず申し訳ありません……)


 ロアルドは心の中で謝罪すると、涙を浮かべながら目を閉じた。






「ラングール艦、沈みます!」


「おおっ、やったぞ! あと一隻だ!」


 クローゼ級戦艦の甲板でカザラス兵たちから歓声が上がる。視線の先にはカザラス軍に包囲され、沈んでいくラングール海軍のジラーク級戦艦が見えた。


「油断するな。ジラークに接近されればクローゼ級でも一撃だ。適切な距離を取りつつ包囲を維持しろ」


 フォルゼナッハが豪奢な椅子のひじ掛けで頬杖を突きながら言った。しかしその顔には余裕の笑みが浮かんでいる。


「フォルゼナッハ様! 遠方のラングールの交易艦隊で動きが……」


「なに? 接近しているのか?」


 部下の報告にフォルゼナッハは眉をひそめて聞き返した。


「いえ、小型艦を下ろしているだけです」


「小型艦? あの亀のやつか?」


 ジラーク級戦艦は物資の搬入や上陸用にシータ級と呼ばれる小型艦と、それを引っ張るシータートルという亀を積んでいる。


(あれは輸送や大型船の牽引にしか使えないはず……戦闘力はないはずだが……?)


 フォルゼナッハは首を傾げた。


「救助用か? 海に投げ出された兵を救ってやるつもりであろう。気の早いことだ。近づいてくるようであれば容赦なく撃て」


 フォルゼナッハは非情な命令を下した。とはいえ、この世界には国家間の条約のようなものは存在しない。そのため生存者の回収中はお互いに攻撃しないなどの協定も存在しなかった。現場レベルでの人道的な配慮はあったが、あくまでも個々の指揮官が独自に判断するものだ。


「さて……いい加減、潮風で髪が痛んでしまう。さっさととどめを刺して帰還するぞ」


 フォルゼナッハは毛先をもてあそびながら、ボロボロになったジラーク級戦艦を見つめるのだった。






「い、嫌だ、死にたくない!」


「くそ、カザラス軍め……!」


 ラングール艦隊の最後の一隻、ロアルドの乗るジラーク級戦艦の甲板ではわずかに残った兵士たちが物陰に隠れていた。ジラークが身をよじる様に回避行動をしているため、船は大きく左右に揺れている。破壊された個所から海水が流れ込んでおり、カザラス軍の攻撃がなかったとしてもしばらくすれば沈んでしまうだろう。


 ジラークも背中に二本のバリスタの矢が刺さっており、流れ出る血が海面に尾を引いていた。


 負傷したロアルドも置かれている樽に背中を預け、最後の時をただ待っている。


(ん? 攻撃が止んだ……?)


 ロアルドは天を仰ぐ。先ほどまで飛んできていた矢が止んでいた。痛む肩を押さえながら顔を上げる。すると側面から猛スピードで突っ込んでくるカザラス軍のクローゼ級戦艦が視界に入った。


 沈みかけているジラーク級戦艦が大きな抵抗となり、ジラークは速度が落ちている。このままでは回避できないのは明らかであった。


「ここまでだな……」


 すでに諦めの境地にあったロアルドは近づいてくる敵船を茫然と眺める。


 そして水しぶきとともに大きな衝突音が上がった。


「シャァ~ッ!」


 ジラークが雄たけびを上げる。先ほどの衝突音はジラークが突っ込んでくるクローゼ級戦艦を攻撃した音だったのだ。


 クローゼ級戦艦の脇腹に突進したジラークは、そのままのしかかる様にクローゼ級戦艦の上に体重をかける。衝突で傾いていたクローゼ級戦艦は耐え切れずに転覆した。


(ジラーク……?)


 ロアルドは訳が分からずその状況を眺めていた。船を牽引していたジラークかとも考えたが、そのジラークの背中にはバリスタの矢が刺さっていない。船を牽引するための縄すらついていなかった。


 再び衝突音が起きる。ジラーク級戦艦の行く手を遮る様に前方にいたクローゼ級戦艦が別のジラークの攻撃を受け、大破していた。


「なんだ? いったいどこからジラークが……」


 ロアルドは船の前方を見つめる。前方にいたクローゼ級戦艦のはるか向こう側には、援護のために待機していたイルヴァ・セラマルクの交易艦隊があった。


「まさか、イルヴァか!」


 弾かれたようにロアルドが飛び起きる。周囲のカザラス軍は突如現れた新手のジラークのせいで混乱に陥っていた。


「い、いまのうちだ! 全速力で撤退しろ!」


 生気を取り戻したロアルドが声を張り上げる。しかし言われるまでもなく、ジラークはイルヴァ艦隊の方へと船を引っ張っていた。


 ジラークは温厚な生き物で、通常であればジラークのみで敵を攻撃したりはしない。しかしジラークは知能が高く、仲間意識も強い。イルヴァは自身の艦隊の三頭のジラークのうち二頭を解き放ち、仲間のジラークの救援に向かわせたのだ。先ほど小型船を出していたのはジラークの縄をほどき、ジラークのいなくなった二隻を残りの一隻に牽引させる作業をしていたのである。


 こうしてロアルドの艦はカザラス軍の包囲から抜け出した。艦の両脇にはイルヴァ艦隊のジラークが並走している。


 しかしその後方ではロアルドを逃すまいとカザラス軍が追って来ていた。


「くそ、この速度では逃げ切れんか……!」


 ロアルドが焦りの表情を浮かべる。すでに半分ほど沈みかけている艦は牽引するジラークの大きな重荷となっていた。


「艦を捨てるか? だが小型船を出したところでカザラス軍からは逃げ切れまい……」


 険しい表情でロアルドは呟いた。


 その時――


「提督! イルヴァ艦隊の『海の乙女』が向かってきます!」


「な、なんだと!?」


 兵の報告を聞き、ロアルドは船主へ急いだ。すると海面を跳ねるように向かってくる、いくつもの影が目に入る。


「おお、確かにあれはイルヴァの『海の乙女』だ!」


 ロアルドの目が希望に輝いた。


 「海の乙女」はイルヴァの私兵集団であり、その名の通り女性だけで構成されている。普段からウェットスーツのようなボディラインのはっきりわかる服装をしており、女として戦場以外でも活躍するイルヴァの手駒であった。


 ただし色仕掛けは彼女たちの本職ではない。海の乙女の真の恐ろしさは海上戦に特化された戦闘力だ。彼女たちは「シャーチ」と呼ばれる大きなイルカのような生き物に騎乗し、海面を縦横無尽に駆け回る。軍艦に乗っていても危険な海で海面で戦うなど、誰もやりたがらない仕事だ。しかし海の乙女たちは元奴隷の少女たちであった。最底辺の生活を脱するために、この危険な仕事をこなしているのである。


 海の乙女たちはまっすぐにロアルドの艦に近づいて来た。


「お~い、助けてくれ!」


 傷付いたラングール兵が手を振って助けを求める。


 しかし艦の近くまで来た海の乙女たちは腰からショートソードを抜き放った。


「えっ?」


 驚く兵士たちの前で、海の乙女たちはショートソードをジラークと船を繋ぐ縄に向かって振り下ろした。太い縄はそう簡単には切れず、繊維の何本かが切れただけだ。しかし海の乙女は何度もショートソードを振り下ろす。


「お、おい! 何をしている!」


 ロアルドが慌てて大声を張り上げた。


「このままでは逃げ切れません。ジラークだけでも逃がさなければ」


 海の乙女を率いるショートカットの美女、エラニアが冷たく言い放った。


「わ、わかった。艦は廃棄する。我々もそのシャーチに乗せてくれ!」


「シャーチは乗り手を選びます。あなた方には乗れません。それにその傷では血の匂いをかぎつけた魔物たちがすぐに寄ってくるでしょう」


 シャーチは本来、海のバーサーカーと呼ばれるほど凶暴な生き物だ。海の乙女たちは生まれたての頃からシャーチを飼育することで人に慣れさせている。だがそれでも飼育者以外には懐かず、乗せるどころか近づけば攻撃してくる。そのため騎乗者自ら育てなければならず、もし騎乗者が死んでしまえばそのシャーチには誰も騎乗できなくなってしまう。そういった事情もあり、ラングール海軍では採用されていないのだ。


「で、では我々はどうすればいいのだ!」


 嫌な予感を感じつつ、ロアルドは叫んだ。


「……お気の毒ですが」


 言葉とは裏腹に、無表情でエラニアは首を振る。その時、ジラークを繋いでいる縄が切れ、ジラークは三匹ともイルヴァの艦隊に向かって泳ぎ去っていった。


「よし、帰投するぞ」


 エラニアの号令で海の乙女たちがロアルドの艦を離れる。


「ちくしょう、地獄に落ちろ! 奴隷女どもめ!」


 その背中にロアルドの呪詛の言葉が投げかけられた。


 それを聞いたエラニアが振り向く。その顔には笑みが浮かんでいた。


「ご武運をお祈りいたします、提督」


 その笑みを見たロアルドが凍り付く。


(まさか……こうなることを狙っていたのか……!?)


 茫然とするロアルドの視界から、ジラークと海の乙女たちは急速に遠ざかっていくのだった。

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