第338話 マチルダ海戦 1(マチルダ海峡)

 神竜王国ダルフェニアがカザラス帝国の攻撃を退けてしばらく、別の場所でも国家の存亡をかけた大戦が行われようとしていた。 


 マチルダ海峡――ラングール共和国と大陸を隔てる海域をひとつの船団が進んでいた。カザラス帝国のクローゼ級戦艦十隻が円形に展開し、その円の中にまた二十隻の輸送船が隊列を組んでいる。その輸送船の甲板には多くの兵士の姿が見えた。


 ラングール共和国の攻略を担当するカザラス帝国第二征伐軍、”美剣”のフォルゼナッハはマチルダ海峡に橋を架けることで軍を直接ラングール共和国に送り込むことを計画していた。しかし狭いとはいえ海である。水深の深い場所に支柱を立てることは難しく、その計画はとん挫していた。もし橋を作れていたとしても、海流の大きな力によってすぐに壊れてしまうことだろう。海の知識に疎いカザラス軍ならではの失敗であった。


 計画を変更せざるを得なかったフォルゼナッハだが、ただでは起きなかった。それ以上、建設を進めることが難しくなった橋の末端を拡張し、海上前線基地を建設したのだ。橋を架けることは叶わなかったが、これにより周辺海域の安全を確保し、最短距離でラングール共和国へ兵を輸送できるようにしていた。そしてそこに軍艦と輸送船を集めると、フォルゼナッハは満を持して軍を出港させたのだった。


「少し計画は狂ったが……全ては順調だ」


 船団の先頭を行くクローゼ級戦艦。その甲板でフォルゼナッハは呟いた。甲板に豪奢な椅子を置き、そこに座って海原を眺めている。横には従者が立っており、フォルゼナッハに日差しが当たらないように傘をさして影を作っていた。


「上陸さえできればラングールなど我らの敵ではない。軍艦の生産体制も整っている。ラングールを攻略後は海からダルフェニアを攻め、アーロフの手柄をかっさらう。私が次期皇帝にふさわしいことを世界中に知らしめてくれようぞ」


 フォルゼナッハはキザなしぐさで流れる金髪をかき上げた。


 その時……


「左舷に艦影あり! ラングールのジラーク級です!」


 マストの見張り台に立っていた兵士が叫んだ。その指さす先には三隻の軍艦の影が見える。


 ジラーク級戦艦はラングール共和国が誇る最強の戦力であった。巨大クジラ、ジラークが軍艦を牽引することによりもたらされる機動力と戦闘力は海戦においては無敵の存在と思われていた。しかしフォルゼナッハの罠によりその不敗神話は崩れ、ラングール海軍が保有する五頭のジラークのうち二頭が失われた。今回は残りのジラーク全てを投入した、ラングール海軍にとっての総力戦である。


「来たか……そのまま前進だ」


 フォルゼナッハは余裕の笑みを浮かべ、前進の指示を出す。軍艦の前には相手の船の脇腹に突っ込んで破壊するための衝角ラムが設けられている。いくらジラークとて大きな軍艦の衝角を食らえば無傷ではいられない。そのため、ラングール共和国の攻撃があるとすれば左右か後ろから――つまり、フォルゼナッハのいる先頭の艦は一番安全な位置にいたのだ。






 その頃、ラングール軍の方も動きが慌ただしくなっていた。


「前方、『ハリボテ』十隻と輸送艦船団、そのまま前進を続けています!」


 見張りの報告を聞き、軍服に身を包んだ中年の男が眉をひそめる。


「逃げるつもりか? 確かにあれだけ兵を満載した輸送艦が沈められれば、カザラス軍もたまったものではないだろう」


 その男、ロアルド・シャーリンゲル公爵が呟く。先の戦いで戦死したオルソン・シャーリンゲル公爵は彼の父親であった。ロアルドは父親の跡を継ぎ海軍提督の座に就くと、祖国を守るべく反撃の機会をうかがった。そしてカザラス軍が輸送船団の準備を整えているという情報を聞きつけ、上陸部隊を一網打尽にするべく奇襲をかけたのである。


「しかし『ハリボテ』十隻は多いな……くそっ、どれだけの工業力があるのだ」


 ロアルドは顔をしかめた。「ハリボテ」とはカザラス軍のクローゼ級戦艦の蔑称だった。クローゼ級戦艦は大型ながらも、その戦闘力はラングール軍のジラーク級に叶わず、ラングール海軍から「ハリボテ」と揶揄されたのだ。しかしそれはジラークの力による差が大きく、実際の艦の性能差はほとんどない。


「だがあれだけの兵士を載せた輸送船団……見逃すわけにはいかん」


 ロアルドの視線の先にはカザラス軍の輸送船団があった。甲板には多くの人影が見える。限界まで兵士を載せているのであれば、一隻だけで数百人の兵士が載っているはずだ。


「せっかく敵が横っ腹を見せてくれているのだ。美味しく嚙みつかせていただくとしよう」


 ロアルドは覚悟を決めると、兵士に指示を出す。


「全艦、最大船速で敵の側面に突撃する! 敵の護衛艦を沈め、中の輸送船をできるだけ沈めつつ中央を突破、そのまま反対側から離脱する。欲張りすぎて船足を止めるなよ!」


「はっ!」


 ラングール兵たちが勇ましく呼応する。その顔には強い決意が浮かんでいた。






 そんなラングール海軍の後方。そこには三隻のジラーク級が浮かんでいた。しかしラングール海軍が用いている戦艦ではない。


「いよいよですね」


 そのうちの一隻で、一人の美女が呟いた。美しい金髪が風になびいている。”金色”のイルヴァ・セラマルク。ラングール共和国で交易をつかさどるセラマルク公爵夫人であった。


 イルヴァたちが乗っているのは同じジラーク級でも戦闘用ではなく長距離交易用の艦である。そのため武装や装甲が減らされており、代わりに輸送力や居住性が強化されていた。しかし海には危険な魔物も多く、それなりの武装と装甲は残されている。そのためいざという時に支援できるよう、イルヴァは近くに艦隊を展開させていた。


 とはいえラングール共和国は各公爵家が独立した権限を持っており、非常時だからと言って他家に命令をすることはできない。あくまでも戦闘に参加するかどうかはイルヴァの判断に委ねられていた。


「しかし敵の動きが鈍いようです」


 イルヴァの傍らに立つショートカットの美女、エラニアが言った。


「ここは前回のように罠を仕掛けられるような浅瀬ではありません。今回はさすがに勝てるのではありませんか?」


 エラニアが言うと、イルヴァは微笑んで見せた。


「そうなれば良いですが……相手はカザラス帝国の征伐軍です。その将は皇帝が帝国の将来を担うと判断した人物が努めます。無策に物量を頼って攻めてくるような相手ではないと思いますけれど……」


 そう言うとイルヴァはラングール艦隊に視線を向けた。


「こちらも戦闘準備を。状況に応じて、いつでも動けるようにしておいてくださいね」


「承知しました」


 イルヴァの言葉にエラニアが頭を下げる。


「さて……面白くなりそうですね」


 戦況を見つめるイルヴァの瞳は、好奇心で水面のようにキラキラと輝いていた。

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