第337話 商戦(イルスデン タイファ)
ロデリックの部屋を後にした主治医のベンヤミンは、ラーベル教の大神殿にいた。
「どうでしたか?」
ベンヤミンが礼拝堂に入るなり、大司教のマクナティアが声をかける。
「は、はい。どうにかアーロフ殿下が戻ってくることは避けられました。イェルナー殿下を第一征伐軍の指揮官とし、アーロフ殿下は副官として留まるそうです」
ベンヤミンは額に汗を浮かべながら、マクナティアの前に膝まづき報告する。
「とりあえずは安心ですか。ご苦労様です」
マクナティアは人懐っこい笑みを浮かべる。しかしベンヤミンの緊張はほぐれなかった。
「それで……皇帝陛下のお体はいかがですか?」
「いまのところ病状は安定しております」
「そうですか。しかし最後まではもたないでしょうねぇ」
マクナティアは眼鏡を直しながら小さく首を振る。
「ロデリック様であれば七国統一を成し遂げてくれるかと思いましたが、少し厳しそうです。ですがその後継者のアーロフ殿下やイェルナー殿下が果たして統一を成し遂げてくださるかというと疑問ですね」
周囲を歩き回りながらマクナティアは顎に指をあてて考えを巡らせた。
「こちらもまだ行動を起こすには準備が必要です。皇位継承争いに変化があった場合は至急、報告をください」
「かしこまりました」
ベンヤミンは頭を下げると、そそくさとマクナティアの元から去っていった。
イルスデン城の周囲には貴族や有力者の館が立ち並ぶ一角がある。通称、「貴族街」と呼ばれる一角だ。警備の兵があちらこちらに立ち、不審なものが立ち入らないか目を光らせていた。通行人は少ないものの、通りは広い石畳だ。貴族は移動に馬車を用いるため、馬車同士がスムーズに行き交える広さが確保されている。
そんな立ち並ぶ屋敷の中に、看板を掲げた商店が一つだけ建っていた。商店とは言えその作りは貴族の屋敷よりも豪奢であり、一階の店舗部分には透明度の高いガラス窓が多く設けられていた。窓からのぞく店舗内には上品な仕立ての服や、凝った細工の装飾品が並んでいる。
レーヴェンツ商会。帝国御用達であり、イルスデンで最大の規模を誇る商会である。その前身は皇帝ロデリックを経済的に支えたヨーゼフ商会であり、その息子であるエイムントが後を継いだ際、レーヴェンツ商会と名を変えた。貴族街にあるその店はエイムントの住居であり、レーヴェンツ商会の本店でもあった。
レーヴェンツ商会はイルスデン内に何店舗も所有している。一般の商店が立ち並ぶ通りにはもっとも古い店舗もあり、少し前までは隠居したヨーゼフが趣味で経営していたヨーゼフ商会本店として営業を続けていたが、今はそちらもレーヴェンツ商会となっていた。
元々は平民であったヨーゼフはその功績が認められ男爵位が与えられている。レーヴェンツは爵位とともに得た家名であった。イルスデンの郊外には領地も存在し、ヨーゼフの時代は畑が作られていた。自前で生産力を持つことで商品を安くでき、供給も安定すると考えたからだ。しかし息子のエイムントはその畑をつぶして倉庫を何棟も建てていた。防壁内という制限のある都市、しかも帝国の中枢であるイルスデンとなれば物流量も多く、都市内に必要な分の倉庫を建てるのは難しい。しかしヨーゼフ商会時代から努めている使用人の中にはそれを快く思っていない者も多くいた。
「坊ちゃんになってから空気が悪いねぇ」
立ち並ぶレーヴェンツ商会の倉庫の前で、使用人が集まって愚痴をこぼしていた。
「まったくだ。儲けだの効率だのばっかで、人情ってもんがねぇ」
「今回の兵糧だって、出せ出せって偉そうに言うばっかだ。ヨーゼフ様ならきっと売ってくれって農家に頭を下げて回ってるぜ」
使用人たちは揃って倉庫の中を見る。倉庫の中は隙間だらけだった。
一方、その倉庫の主であるエイムントは貴族街にある自宅で怒りを振りまいていた。
「兵糧が半分も集まらぬとはどういうことだ!」
エイムントの手には部下からの報告書が握られている。帝国御用達であるレーヴェンツ商会には戦争のために大量の食糧の発注が来ていた。しかしレーヴェンツ商会が用意できている量は要求された数字に遠く及ばなかった。
「な、なにぶん、戦争が長く続いており、食糧は高騰しております。そのうえロベルト商会がいろいろ手を回している模様で……」
「あのタヌキめ!」
部下の言葉にエイムントは机をたたく。その音に部下が肩を震わせた。
ロベルト商会はダーヴィッデが運営する商会である。もともとエイムントはダーヴィッデを快く思っていなかった。商会としての力はレーヴェンツ商会のほうが上であるが、ダーヴィッデは戦争を上手く利用してカザラス帝国に取り入り、侯爵位を得た。宮廷内では男爵位しか持たぬエイムントよりも上ということになる。
(これも親父が高い爵位を要求しなかったせいだ!)
エイムントは心の中で愚痴った。
ロデリックはヨーゼフにもっと高い地位を与えようとしていた。しかしヨーゼフは爵位に興味がなかった。とはいえ皇帝の申し出を
権力欲の強いエイムントはそのことを恨んでおり、美しいと評判であった妹マギヤをロデリックの妃とすることで宮廷内での発言力を得るきっかけともなっている。そのころは軍事力によってどんどんと版図を広げようとするロデリックと民の生活を第一に考えるヨーゼフは疎遠となっていた。ロデリックにとっても権力志向の強いエイムントの方が扱いやすく、エイムントはロデリックの後ろ盾を得て強引に商会内で実権を握ると、ヨーゼフを隠居に追い込んだ。
「ヒルデガルドもよりによってダーヴィッデなどと手を結びおって……!」
エイムントが唸るように呟く。彼が敵視するダーヴィッデは皮肉にもエイムントの姪であるヒルデガルドの筆頭支持者となっていた。
「高値でも良い。帝国にその分、高く売りつければ済む話だ。とにかく指定された量を集めろ! 中小の商人たちにも手伝わせるのだ! 断るなら帝国への反逆だと脅せ!」
エイムントは怒鳴るように指示を出すのだった。
そんなエイムントの大量買い付けの話はダーヴィッデが拠点を置くタイファにも届いていた。
「ほほう、ずいぶんと景気の良い話ですな」
部下からの報告を聞いたダーヴィッデがややふっくらとした顔に笑みを浮かべる。同じ部屋にはヒルデガルドもおり、ソファーに腰を下ろして話を聞いていた。
「我々の仕入れ額より五割は高い……いいでしょう。そんなに欲しいなら売って差し上げなさい。ただし彼に協力している下っ端の商人たちに、一気に買わせるのです。連携のとれていない彼らは必要以上の量を買ってくださることでしょう。さらに商人たちもそこに自分たちの手数料も上乗せすれば相当な額になるはずです」
丁寧な口調でダーヴィッデは部下に命じる。ヒルデガルドが下の者にも丁寧に接するため、ダーヴィッデがヒルデガルド以上に大きい態度でいるわけにはいかなかった。
「レーヴェンツ商会にとって大打撃となってしまいますが……よろしいですかな?」
ダーヴィッデはヒルデガルドの方を振り返った。
「かまいません。叔父上は帝国のことよりも自身が儲けることに夢中です。それで損をするのであれば、単に商才がないということでしょう」
ヒルデガルドは小さくため息をつきながらそう言い放った。
「……ただし、我々が必要とする量は余裕をもって確保してください。それとタイファの人々には無償で食料を配給しましょう。物価が高騰して困っているはずです」
「はっ。お任せください」
ダーヴィッデはヒルデガルドに頭を下げる。
(民を味方につける才能……恐ろしいお方だ)
ダーヴィッデは目の前の少女が、紛れもなく皇帝の器を持っていることを確信した。
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