第322話 頓挫(ガルツ要塞)

 鎧を着た大量の人の群れ。その重い足音が太鼓のように空気を震わせる。その衝撃は離れた場所にいるロニーたちにも伝わり、肌をピリピリと刺激した。


「毎度のことながら壮観だな……」


 ガルツ要塞の本丸。そのテラスでガルツ要塞防衛軍の指揮を執るロニーが呟いた。そこからは防壁の向こうから近づいてくるカザラス軍の姿がよく見える。


 皇帝ロデリックの第四子アーロフが率いる第一征伐軍。その数は輜重しちょう隊も含め総勢四万人程にもなっていた。攻城兵器の投石機にドラゴン対策のバリスタ、そして今回は攻城塔まで用意されている。


 攻城塔は車輪で動く塔であり、相手の防壁に横付けして板を渡し、防壁上に直接兵を送り込むための兵器だ。ガルツ要塞に至る道は緩やかながら上り坂となっているため、攻城塔のような兵器を運ぶのは手間だ。そのうえガルツ要塞の高い防壁に対抗するには、攻城塔もそれだけ巨大なものを作らなければならず、運ぶ手間も莫大となる。だが今回カザラス軍が用いている攻城塔はやや大きめではあるが、ガルツ要塞の防壁まで届くものではなかった。


「あんなんじゃ届かないっすよ。カザラス軍はバカなんっすかね?」


 ロニーの横でヒューイが笑う。ヒューイはミドルンの守備隊を率いて援軍として来ていた。


「もしかして移動式のトイレじゃねぇのか? 戦場じゃするところが無いだろ」


 金獅子傭兵団を率いて参戦しているアルバートが言う。彼が参加する大軍同士の戦いはセルフォード戦に続いて二度目だ。しかも兵数は比べ物にならない。戦場を知らないアルバートは的外れなことを言うことも多かった。アルバートの父親のオコーネルはまだ療養中だ。本人は参加を申し出たが、アルバートがそれを許さなかった。


「エルフは参戦していないようだ。破壊工作はあまり心配しなくて大丈夫だろう」


 エルフの美女、メルディナが感情のこもっていない声で言った。ダークエルフと仲の悪いエルフ族の彼女は、訳あってアデルの下で働いている。


「我々の風魔法による防壁を思い知ってか、敵にはクロスボウが多く配備されている。ハーピーらによる空からの偵察もやりづらくなっているようだ」


 ダークエルフのギディアムが不機嫌そうに言った。本当なら休暇でマザーウッドにいる母親に会えるはずであったが、カザラス軍の来襲によりその予定が潰れていた。母親を心底愛するギディアムには許しがたいことであった。


「ふむ……しばらくは偽装防壁で時間を稼げるかと思ったが……そう楽はさせてくれないようだな。各自、いつでも交戦できるように準備をお願いする」


 ロニーがカザラス軍の布陣を睨む。


「ところで……デスドラゴン様のお力はお借りできないのでしょうか?」


 ロニーの言葉とともに一同が振り向く。そこにはテラスに長椅子を持ってきて寝そべっているデスドラゴンがいた。その腕にはオークが抱きしめられている。オークは冷や汗を浮かべ、居心地が悪そうにしていた。相手は世界最強ともいえる力を持つ成体の竜王だ。少し力加減を間違えればオークの体など壊れてしまう。


「この前働いたばっかなんデスけど。まじムリ勘弁オーケストラ」


 デスドラゴンはそう言うとそっぽを向いた。ちなみにデスドラゴンの言う「この前」とは数か月前にダグラムから食糧を確保した時の話である。


「ごめんなさいね。ピンチになったらきっと動いてくれると思うんだけど……」


 デスドラゴンの後ろで、ジョアンナが困った顔で言った。ジョアンナは高齢ではあるが気持ちが若く、なぜかデスドラゴンと気が合う。そのため今ではデスドラゴンのお付きのような役割になっていた。


「いえいえ。神竜様のお手を煩わせるわけにはいきません。我々の力のみでここは乗り切って見せましょう」


 ロニーはデスドラゴンに恭しく頭を下げる。レイコに窮地を救ってもらった経験のあるロニーは、すっかり神竜教徒となっていた。






「ほう。奇麗に直したものだな」


 ガルツ要塞の手前に作られた防壁を眺め、アーロフは呟いた。その首にはラーベル教の女神を象った首飾りが下がっている。


 その防壁はダークエルフが魔法で作り出したものだった。ダークエルフの土魔法は密度の調整がいまいちで、建築物には向かない。しかし以前の戦いで足止めのために作られていた。ダルフェニア軍はこの壁を偽装防壁と呼んでいる。以前の戦いで防壁はかなり破壊されたが、すでに修復・改築されていた。


 偽装防壁はガルツ要塞の防壁そっくりに作られた二重の石壁となっている。以前はカザラス帝国側の壁にしか門がなく、内部で敵を足止めし密集したところをワイバーンの雷撃で一網打尽にしていた。しかしそれでは交通が遮断されてしまうため、現在は両方の防壁に門が取り付けられている。


「今回も兵は配備されていないようですな」


 アーロフの傍らで副官のヤナスが呟く。


「あれが見せかけの脆い壁であることはダルフェニア軍が一番わかっているだろうからな。さっさと壊して先へ進むぞ。だがその前に安全確保だ」


 アーロフは振り返ると兵士たちに命じた。


「攻城塔、進め!」


 アーロフの指示に従い、攻城塔がガタガタと進みだす。しかしその向かう先は防壁ではない。攻城塔は左右に分かれガルツ峡谷の崖際に設置される。


「行け! 両脇を確保しろ!」


 攻城塔から崖の上に板が渡される。攻城塔の内部は階段になっており、下からカザラス兵たちが崖の上を目指して昇りだした。


 前回の戦いでアーロフの軍は崖上からのダルフェニア軍の奇襲によって手痛い損害を被っている。その経験からアーロフは今回、崖上の制圧にこだわっていた。攻城塔を持ってきたのもそのためだ。


「敵影なし!」


「こちらもです!」


 左右の崖に上った兵士たちから報告が上がる。今回はダルフェニア軍は崖上に奇襲部隊を置いてはいなかった。


「トンネルの出口も塞いでしまえ!」


 ヤナスが大声で指示を出す。偽装防壁の手前にはガルツ要塞の裏手につながるトンネルが掘られていた。細く長いトンネルは風魔法による換気ができなければ通ることができない。前回の戦いではこのトンネルを利用し、ダルフェニア軍の突撃部隊がアーロフの軍に攻撃を仕掛けていた。


 兵士たちがヤナスの指示に従い、トンネルの壁や天井を崩す。トンネルの出口は大量の土砂によって塞がれた。


「投石機部隊、前へ!」


 慌ただしくカザラス兵たちが動き、投石機が運ばれてくる。狭いガルツ峡谷内では移動も一苦労だった。


「よし、あの防壁を破壊してガルツ要塞への道を開くのだ!」


 アーロフが勝ち誇った表情で命じる。投石機に岩が装填され、急いで発射準備が整えられた。


「撃て!」


 空気を切り裂き、高々と岩が打ち上げられた。放物線を描いた岩は吸い込まれるように偽装防壁へと向かう。


 そして岩が命中し、脆くも崩れ去る防壁……そんな光景を期待していたアーロフの目の前で信じられないことが起こった。


 ガンッ……!


 激しい衝突音とともに、防壁に衝突した岩がいくつかの破片に別れ地面に落ちる。しかし脆いはずの防壁はほぼ無傷であった。


「……は?」


 目の前の光景を見てアーロフは呆気にとられた。


「つ、続けて放て!」


 ヤナスが命令を出す。投石機部隊から次々と岩が放たれた。しかし偽装防壁は強固で、多少は崩れたもののアーロフたちの想定とは程遠かった。


「ど、どうなっておる!?」


「どうやら壁が補強されているようですな……」


 声を荒げるアーロフにヤナスが狼狽えながら言った。


「馬鹿な……これだけ強固な防壁を作るとなれば人でも時間もかかるはず。だがそんな様子はなかった。魔法で今度は強固な壁を作ったのか……? そうなると最初の壁はわざと脆く作ったということに……」


 想定外の事態にアーロフが険しい表情で考え込んだ。


 偽装防壁は確かに最初はダークエルフが魔法で作り出した脆い壁であった。しかしその後ダークエルフが防壁を魔法で再建し、さらに土魔法を得意とするムラビットが石の密度を調整して強固な防壁としていた。ダルフェニア軍が「偽装防壁」と呼んでいるのは見せかけの防壁だからではなく、見せかけの防壁に見せかけた・・・・・・・・・・・・・・・強固な防壁となっているからだ。


 こうしてアーロフの侵攻計画は最初の段階で頓挫したのであった。

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